拝領唱 "Data est mihi omnis potestas" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ80)
GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX p. 213; GRADUALE NOVUM I pp. 186–187.
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【教会の典礼における使用機会】
いつか加筆する。主要な使用機会だけ書くと,昔も今も主の復活の八日間中の金曜日に歌われるほか,現行「通常形式」のローマ典礼では主の昇天の祭日 (A年のみ) や三位一体の主日 (B年のみ) などにも用いられる。
【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】
Data est mihi omnis potestas in caelo et in terra, alleluia: euntes, docete omnes gentes, baptizantes eos in nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti, alleluia, alleluia.
私には天と地における全権が与えられている,ハレルヤ。行ってすべての民 (族) に教えを説きなさい,彼らに父と子と聖霊との名によって洗礼を授けつつ,ハレルヤ,ハレルヤ。
出典はマタイによる福音書第28章第18b–19節であり,復活節特有の "alleluia (ハレルヤ)" の付加を別にすれば,テキストはVulgataにほぼ一致している。唯一の違いは,Vulgataでは "euntes" の次に "ergo (それゆえ)" という接続詞があるのだがこの拝領唱にはないということである。
【対訳】
Data est mihi omnis potestas in caelo et in terra, alleluia:
私には天と地における全権が与えられている,ハレルヤ。
別訳:(……) 天と地において (……)
「私」= (復活後の) イエス・キリスト。
現在時制ではなく完了時制。逐語訳の部で解説する。
"potestas" の意味するところについて,またどうしてイエスに「全権」が与えられているのかについて,逐語訳の部を是非お読みいただきたい。
euntes,
行って,
現在能動分詞 (英:going)。
docete omnes gentes,
すべての民 (族) に教えを説きなさい,
別訳:すべての異邦人 (諸国の民) に教えを説きなさい,
もとの聖書ではこの前に「だから」という意味の接続詞が入る。イエスに「天と地における全権が与えられている」ことがどうして「すべての民 (族) に教えを説」く (ギリシャ語原典にさかのぼるとこれはむしろ「[わたしの] 弟子にしなさい」「門下に入れなさい」という意味である) べき理由になるのかについては,逐語訳の部の "omnis potestas" のところで引用した聖書箇所 (特に1つめ) をお読みいただきたい。
baptizantes eos in nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti, alleluia, alleluia.
彼らに父と子と聖霊との名によって洗礼を授けつつ,ハレルヤ,ハレルヤ。
直訳:彼らを父と子と聖霊との名によって洗礼しつつ (……)
別訳1:彼らを父と子と聖霊との名によって洗礼することによって (……) (→参考)
別訳2 (聖書のギリシャ語原文に寄せた訳):彼らを父と子と聖霊との名へと洗礼しつつ/することによって (……)
別訳3:(……) 洗礼を授けなさい (……)
分詞構文。直前にある命令文に連なるものなのでこれも命令文のように訳したものが別訳3だが,本当に命令法が用いられているのはあくまで前の「教えを説きなさい」(もとの聖書では「門下に入れなさい」「弟子にしなさい」) だけである。
【逐語訳】
data est 与えられている (動詞do, dareの直説法・受動態・完了時制・3人称・女性・単数の形)
原文のギリシャ語でも完了時制で,ギリシャ語の (現在) 完了時制は「過去に起こったできごとの結果が現在も続いている」ことを表すので,現在形で訳すとよいことも多い。実際,いろいろな日本語聖書を見てもここは「授かっている」(聖書協会共同訳),「与えられている」(バルバロ訳,フランシスコ会訳),「与えられています」(新改訳) などと訳されている。
ラテン語の完了時制にも同じ用法があるので (ほかの用法もあるが),素直に上記の諸翻訳聖書に倣うことにした。
mihi 私に
omnis potestas すべての権力が,すべての権能が,すべての「意のままにする力」が (omnis:すべての,potestas:権力が,権能が,意のままにする力が)
もとのギリシャ語聖書においてこの "potestas" にあたる語ἐξουσίαは「自由にふるまえる (何かをすることが許されている,そうする能力がある) こと」という意味を基本とするものである。つまり,イエスには天においても地においても何でも意のままにすることが許されている,そうする力が与えられている,ということになる。
「立法権」「行政権」「司法権」というときの「権」の部分に用いられるラテン語はこの "potestas" である。その意味では「権力」である。
どうしてこのような権力が与えられているのかについては,新約聖書内のほかの箇所が教えてくれる。
in caelo 天における;天において (caelo:天 [奪格])
「天」は聖書では複数形のことも多いが,今回は単数形。
直前の "potestas" にかかる形容詞句とも,最初の "data est" にかかる副詞句ともとれる。
et (英:and)
in terra 地における;地において (terra:地 [奪格])
直前の "potestas" にかかる形容詞句とも,最初の "data est" にかかる副詞句ともとれる。
alleluia ハレルヤ
euntes 行きつつ (動詞eo, ireをもとにした現在能動分詞,男性・複数・主格)
docete 教えなさい (動詞doceo, docereの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)
もとのギリシャ語では「門下に入れなさい」「弟子にしなさい」。
omnes gentes すべての民族を,すべての「諸国の民」を,すべての「異邦人」を (omnes:すべての,gentes:民族を,諸国の民を,異邦人を)
聖書における "gentes" (<gens) は,神の民イスラエル (ユダヤ人) の対概念としての「異邦人」「諸国の民」という含みを持つ。
baptizantes 洗礼しつつ (動詞baptizo, baptizareをもとにした現在能動分詞,男性・複数・主格)
eos 彼らを
"omnes gentes" を指すはずだが,性は一致していない ("gentes" は女性名詞だが,"eos" は男性形)。名詞 "gentes" を直接指しているというより,「その人々を」という感覚で言われているのだろう。
in nomine 名によって,名において (nomine:名,名前 [奪格])
もとのギリシャ語では,この "in" にあたる語が英語でいう "into" のような語になっている。ラテン語でそれを表すときは「in + 対格」という形になるのだが,ここでは対格でなく奪格なので,基本的にはギリシャ語とは異なる訳をすることになる。
Patris 父 (父なる神) の
前の "nomine" にかかる。
et (英:and)
Filii 息子 (子なる神) の
前の "nomine" にかかる。
et (英:and)
Spiritus Sancti 聖霊 (聖霊なる神) の (Spiritus:霊の [属格!],Sancti:聖なる)
前の "nomine" にかかる。
alleluia, alleluia ハレルヤ,ハレルヤ