聖母マリアのアンティフォナ "Regina caeli, laetare" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ77)
ANTIPHONALE MONASTICUM I (2005) pp. 475–476; 同II (2006) pp. 13–14; 同III (2007) pp. 487–488; LIBER USUALIS p. 275, p. 278.
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"antiphonale synopticum" 内のこの聖歌のページ:荘厳調/単純調/第1旋法の旋律
"Regina coeli" と綴られることもある。
【教会の典礼における使用機会】
「聖母マリア (へ) のアンティフォナ (Antiphonae mariales)」と呼ばれる歌のうち,復活節に歌われるものである (聖母マリアのアンティフォナ全般についての簡単な説明はこちら)。
20世紀後半の典礼改革以来,どの季節にどの聖母マリアのアンティフォナを用いるかについての公式の規定は大部分なくなっているが,"Regina caeli" を復活節に歌うということだけは引き続き定められている。
なお,この典礼改革の前と後では復活節の長さが異なるため,"Regina caeli" を歌う期間も変わってくる。復活節というのは復活祭から聖霊降臨祭まで続く季節だが,改革前は聖霊降臨が1週間にわたって祝われており,それに伴い土曜日まで復活節だった (日数は56日間となる)。それに対し,改革後は聖霊降臨祭は主日 (日曜日) のみなので,復活節もそこで終わるのである (こうすると復活節は50日間となり,この50という日数には意味があるので,それを大切にした結果である)。
【テキストと全体訳】
テキストはANTIPHONALE MONASTICUM (2005–2007年版) にあるものを採用するが,アクセント記号は省略し,合字æはaeと記す。
Regina caeli, laetare, alleluia, quia quem meruisti portare, alleluia, resurrexit sicut dixit, alleluia, ora pro nobis Deum, alleluia.
天の元后よ,お喜びください,ハレルヤ。お運びするのにあなたがふさわしかったあの方が,ハレルヤ,御自身でおっしゃっていた通り復活なさったからです,ハレルヤ。私どものため,神にお祈りください,ハレルヤ。
↑ 荘厳調
↑ 単純調
↑ Gregor Aichingerによる4声の合唱曲。グレゴリオ聖歌ではないが,個人的に少し思い出深いので貼らせていただく。
【対訳】
Regina caeli, laetare, alleluia,
天の元后よ,お喜びください,ハレルヤ。
quia quem meruisti portare, alleluia, resurrexit sicut dixit, alleluia,
なぜなら,お運びするのにあなたがふさわしかった方,ハレルヤ,その方が復活なさったからです,彼がおっしゃっていた通りに,ハレルヤ。
このアンティフォナは明確に4行構成をとっている (各行の終わりに "alleluia" がある) が,これはその2行めと3行めである。つまり通常は分けて扱うはずのところだが,文が切れていないのでまとめて扱う。
文の終わりだけでなく途中にまで "alleluia" が入り込んでいる。上述のようにこのアンティフォナは明確に4行構成をとっており,単に各行の終わりに "alleluia" を置いた結果にすぎないといえばそうかもしれない。しかしそれにしても,何かを言い終わったときでなくまだ言っている途中なのに「ハレルヤ」が口から出てしまうということで,喜びが溢れて仕方がないという感じも受ける。なお,このような現象は復活節の聖歌にはほかにもときどき見られる。
「なぜなら~からです」に当たるのが "quia",「お運びするのにあなたがふさわしかった方」が "quem meruisti portare",「その方が復活なさった」が "resurrexit",「彼がおっしゃっていた通りに」が "sicut dixit" である。
「運ぶ (お運びする)」というのはこの場合,「胎に宿している」ということ。聖母がイエス・キリストの母であるのはずっと変わらないことだが,胎に宿していたのは過去のある時点までなので,「お運びするのにあなたがふさわしかった」と過去を表す言い方 (ここでは完了時制) になっている。
「彼 (イエス・キリスト) がおっしゃっていた通りに」というのは,イエスが自分の死と復活を何度も予告していた (マタイによる福音書でいうと第16章第21節,第17章第22–23節,第20章第17–19節) ことを指している。
ora pro nobis Deum, alleluia.
私どものために神にお祈りください,ハレルヤ。
ずっと「お喜びください,御子が復活なさいました」ということを言ってきて,最後に突然こう願って終わる (そしてやはり「ハレルヤ」をつける) のが,なんだかちゃっかりしているような感じで好きである。
【逐語訳】
Regina caeli 天の元后よ,天の女王よ (Regina:元后よ,女王よ,caeli:天の)
laetare 喜んでください (動詞laetor, laetariの命令法・受動態の顔をした能動態・現在時制・2人称・単数の形)
内面的に喜ぶのではなく,喜びを外に表すことを意味する語である。内面的に喜ぶのはgaudeo, gaudereで,こちらは伝統的に四旬節に歌われる聖母マリアのアンティフォナ "Ave Regina caelorum" に出てくる。同じ「お喜びください」でも,季節にふさわしい使い分けがされていることは注目に値する。
alleluia ハレルヤ
quia なぜなら~から
quem (英:he whom) (関係代名詞,男性・単数・対格)
先行詞なしでいきなり関係代名詞が現れているが,ラテン語ではよくあることで,英語でいうhe, she, thoseなどといった漠然とした先行詞を補って考えることになる (今回は聖母が運んだ,すなわち胎に宿していた方,つまりイエス・キリストのことなので "he")。日本語としては「~であるところの人」ということになる。
meruisti あなたがふさわしかった (動詞mereo, merereの直説法・能動態・完了時制・2人称・単数の形)
portare 運ぶ (動詞porto, portareの不定法・能動態・現在時制の形)
目的語は2語前の関係代名詞 "quem"。
alleluia ハレルヤ
resurrexit 彼が復活した (動詞resurgo, resurgereの直説法・能動態・完了時制・3人称・単数の形)
「彼」= "quem meruisti portare"。
sicut ~のように
dixit 彼が言った (動詞dico, dicereの直説法・能動態・完了時制・3人称・単数の形)
alleluia ハレルヤ
ora 願ってください,祈ってください (動詞oro, orareの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
pro nobis 私どものために (pro:~のために,nobis:私ども [奪格])
Deum 神に (対格)
「頼む,願う」という意味のときの動詞oro, orare (3語前の "ora") は,「誰に」頼む・願うのかを対格目的語 (対格の基本的な意味は「~を」) で表す。その相手を自分の願いの方向に動かそうと試みるのだ,と考えると,対格であることが納得しやすいだろう。ドイツ語でも,「頼む」という意味の動詞 "fragen" や "bitten" は対格 (4格) 目的語をとる。
alleluia ハレルヤ