昇階唱 "Christus factus est pro nobis obediens" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ57)

 GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX p. 148; GRADUALE NOVUM I pp. 108–109.
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2022年4月15日

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【教会の典礼における使用機会】

 現行「通常形式」のローマ典礼では,しゅの主日 (枝の主日),聖金曜日,年間第26主日 (A年のみ),十字架掲揚 (十字架称賛) の祝日 (9月14日) に用いられる。ほかに,「聖十字架の神秘について」や「我らの主イエス・キリストの最も価高き御血について」の随意ミサでも用いられる。

 1962年版ミサ典書 (旧典礼=現行「特別形式」のローマ典礼のミサを行うときに用いられる典礼書) では,この昇階唱は聖木曜日の晩 (主の晩餐の夕べのミサ) と十字架称揚の祝日 (9月14日) に割り当てられている。聖週間,特に過越の聖なる三日間という極めて大切な時に用いられる聖歌でありながら,新典礼では使用機会が変わっている (棕櫚の主日と聖金曜日とに移動している) ことが注目される。ほかには「聖十字架について」の随意ミサでも用いられる。
 9世紀の聖歌書である「コンピエーニュのアンティフォナーレ (グラドゥアーレ)」ではさらに,この昇階唱は「聖十字架の発見」の祝日 (5月3日) のところにも記されている。
 

【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】

Christus factus est pro nobis obediens usque ad mortem, mortem autem crucis.
V. Propter quod [et] Deus exaltavit illum, et dedit illi nomen, quod est super omne nomen.
【レスポンスム】キリストは私たちのために死に至るまで従順になられた,それも十字架の死に至るまで。
【独唱句 (※)】そのことのゆえに,神は[/も]彼を高く上げ,いかなる名にも優る名を彼にお与えになった。

※「独唱句」という訳語が適切かどうか,適切だとしても一般に用いられているものかどうか,私にはよく分からないということを断っておく。

 出典はフィリピ人への手紙第2章第8–9節である。今回はもとのラテン語聖書テキストとの詳細な比較は行わないが,ただ一つ,"pro nobis (私たちのために)" というのが明らかに付け加えられた語句であり,そしてLaon 239ではこの付加要素を強調するように直前に「タメ」がある (直前の語 "est" についているuncinusがやや大きい,つまりやや長く歌うことが示唆されている) ということを記しておく。
 

【対訳】

【レスポンスム】

Christus factus est pro nobis obediens
キリストは私たちのために従順になった,

usque ad mortem, mortem autem crucis.
死に至るまで,それも十字架の死に。

【独唱句】

Propter quod [et] Deus exaltavit illum,
そのことゆえに神は[/も]彼を高く上げた,

  •  "et" があれば「神も」,なければ「神が (は)」となる。GRADUALE TRIPLEXに書き写されたネウマのもとである9~10世紀の聖歌書を見ると,Laon 239,Sankt Gallen 359 (Cantatorium) とも "et" を含んでいない。

  •  "illum" は直訳すると「あれ」「あの人」なので,「かの人を」と訳すこともできそうである。

et dedit illi nomen, quod est super omne nomen.
そして彼 (=神) は彼 (=キリスト) に,いかなる名にも優る名を与えた。
直訳:(……) いかなる名よりも上の名を与えた。
 

【逐語訳】

【レスポンスム】

Christus キリストが

factus est なった (動詞fio, fieriの直説法・受動態の顔をした能動態・完了時制・3人称・男性・単数の形)

pro nobis 私たちのために (nobis:私たち [奪格])

obediens 従順である (動詞obedio, obedireをもとにした現在能動分詞,男性・単数・主格)

usque ad ~まで

mortem 死 (対格)

mortem 死 (対格)

autem それも

  •  本来「しかし」「さらに」「他面」「というのも」などという意味の語だが,文脈上どれも合わない。もとのギリシャ語 "δὲ" は一応「しかし」という意味を持ちつつも実にいろいろな使われ方をする語であり,それをラテン語に訳すとき,単純に基本的な意味の「しかし」にあたる "autem" という語をあてたというところではないかと思う。

  •  "δὲ" を手元の辞書で引くと,このフィリピ書第2章第8節を例として挙げつつ「説明を付加するときに用いられる」と書いてある部分がある。この場合,「死に至るまで」という言葉における「死」というのがどのような死なのかを説明して「十字架の死」と言い直しているわけで,確かに「説明を付加」しているといえる。するとここの "δὲ" は「それも」と訳すのがよさそうであり,ラテン語にも単純にそれを適用することにした。

crucis 十字架の

  •  2つ前の "mortem" にかかる。

【独唱句】

propter ~のゆえに

quod そのこと (関係代名詞,中性・単数・対格)

  •  前の文,すなわちレスポンスム全体を受けている。

et ~も

  •  直後の "Deus" にかかる。

Deus 神が

exaltavit 高く上げた (動詞exalto, exaltareの直説法・能動態・完了時制・3人称・単数の形)

illum 彼を,かの人を,あの人を

et (英:and)

dedit 与えた (動詞do, dareの直説法・能動態・完了時制・3人称・単数の形)

illi 彼に,かの人に,あの人に

nomen 名を

quod (関係代名詞,中性・単数・主格)

  •  直前の "nomen" を受ける。

est (英語でいうbe動詞sum, esseの直説法・能動態・現在時制・3人称・単数の形)

super ~の上の

omne あらゆる

nomen 名 (単数・対格)

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