拝領唱 "Narrabo omnia mirabilia tua" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ122)
Graduale Romanum (1974) / Graduale Triplex, p. 281 (これら2冊の内容は四線譜の上下のネウマの有無を除けば基本的に同じなので,本文中で言及するときは,煩雑を避けるため原則として後者のみ記す).
Graduale Novum I, p. 251.
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2025年2月15日 (日本時間16日)
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【教会の典礼における使用機会】
【現行「通常形式」のローマ典礼 (1969年のアドヴェントから順次導入された) において】
1972年版Ordo Cantus Missae (Graduale Triplexはだいたいこれに従っている) では,今回の拝領唱は次のところに記されている。
四旬節第2週の火曜日。
年間第7週。
聖母の汚れなき御心の任意の記念日。聖霊降臨の主日の2週間と6日後 (土曜日)。
聖エフレムの任意の記念日。6月9日。
幼子イエスの聖テレーズ (幼きイエズスの聖テレジア,リジューの聖テレーズ) の記念日。10月1日。
アビラの聖テレサ (テレジア) の記念日。10月15日。ほかの選択肢あり (拝領唱にというより式文全体に)。
ダマスコの聖イオアンネス (ヨアンネス,ヨハネ) の任意の記念日。12月4日。
教会博士である聖人を記念するミサで共通に用いることができる式文 (Commune)。ほかの選択肢あり。
教育者であった聖人や福者を記念するミサで共通に用いることができる式文 (Commune)。ほかの選択肢あり。
2002年版ローマ・ミサ典礼書 (Missale Romanum) においては,PDFをGoogle Chromeで開いて "narrabo", "psallam nomini" をそれぞれキーワードとするページ内検索をかけて見つけることができた限りでは,今回の拝領唱が載っている箇所は次の通りである。
四旬節第2週の火曜日。
年間第7主日。ほかの選択肢あり。
【20世紀後半の大改革以前のローマ典礼 (現在も「特別形式」典礼として有効) において】
1962年版ローマ・ミサ典礼書 (Missale Romanum) では,PDF内で上記同様に検索をかけて見つけることができた限りでは,今回の拝領唱が載っている箇所は次の通りである。
四旬節第2週 (表記は「四旬節第2主日後」) の火曜日。
聖霊降臨後第1主日に続く一連の週日 (聖霊降臨後第1主日自体が含まれないのは,この日に三位一体の主日が置かれているため)。
AMSにまとめられている8~9世紀の諸聖歌書でもほぼ同様だが (AMS第48b欄,第173欄),こちらでは三位一体の主日 (ローマ典礼暦年に導入されたのは1334年) がまだ導入されていないため,聖霊降臨後第1主日が文字通り聖霊降臨後第1主日として祝われることになっており,従ってこの日にも今回の拝領唱が用いられることになっている。
【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】
Narrabo omnia mirabilia tua: laetabor et exsultabo in te: psallam nomini tuo, Altissime.
私はすべての驚くべき御業を物語りましょう。あなたのゆえに歓喜し跳び上がりましょう。御名に讃歌を歌いましょう,至高者よ。
詩篇第9篇第2節後半と第3節全体 (ヘブライ語聖書でも同じ) が用いられている。
テキストはVultaga=ガリア詩篇書 (ドイツ聖書協会2007年第5版) に一致している。ローマ詩篇書では,”psallam” の前に “et” (英:”and”) がついているが,それ以外は同じである。(「ローマ詩篇書」「Vulgata=ガリア詩篇書」とは何であるかについてはこちら。)
特定の背景を考えなくとも理解できるし歌えそうなテキストではあるが,前述の通りこの拝領唱のもともとの使用機会の一つが「聖霊降臨後第1主日」であったことを念頭に置くのもよいと思う。
聖霊降臨を祝ったばかり (聖霊降臨は1週間にわたって祝われていたので,本当に前日まで聖霊降臨祭だったという状況) ということは,イエス・キリストの降誕,受難,復活,昇天,そして聖霊の降臨による一連の神の救いの業を順に祝ってゆく半年間が終わったところだということでもある。「私」が「物語」ろうと言っている「すべての驚くべき御業」とは, 「跳び上が」るほどの「歓喜」の理由とは, 「至高者」の「御名」への「讃歌」へと心を溢れさせているものとは,ほかならぬこれであると考えるのもよいのではないだろうか。
【対訳・逐語訳】
頻出事項・基本的な事項はこちらの記事でまとめて説明しているので併せてご利用いただきたい。
Narrabo omnia mirabilia tua:
私はあなたのすべての驚くべき業を物語りましょう。
直訳:(……) 驚くべきことを (……)
narrabo 私が物語りましょう (動詞narro, narrareの直説法・能動態・未来時制・1人称・単数の形)
omnia すべての
mirabilia 驚くべきことを (中性・対格・複数) ……形容詞が名詞的に用いられている。中性形の場合, 「もの・こと」を表す。
tua あなたの ……直前の “mirabilia” にかかる。
laetabor et exsultabo in te:
私はあなたのゆえに歓喜し跳び上がりましょう。
laetabor 私が喜ぼう (喜びを外に表そう) (動詞laetor, laetariの直説法・受動態の顔をした能動態・未来時制・1人称・単数の形)
et (英:and)
exsultabo 私が跳び上がろう,私が喜び躍ろう (動詞exsulto, exsultareの直説法・能動態・未来時制・1人称・単数の形) ……後者の訳語を採る場合, 「喜び踊ろう」(ダンス) ではなく「喜び躍ろう」(ジャンプ) である点注意。
in te あなたゆえに;あなたにあって (te:あなた [奪格]) ……ラテン語,特に教会ラテン語の “in” は意味がかなり広い。
psallam nomini tuo, Altissime.
訳1a:私はあなたの名に (向かって) 竪琴を奏でましょう,至高者よ。
訳1b:私はあなたの名のために竪琴を奏でましょう,至高者よ。
訳2a:私はあなたの名に向かって竪琴に合わせて歌いましょう,至高者よ。
訳2b:私はあなたの名のために竪琴に合わせて歌いましょう,至高者よ。
訳3a:私はあなたの名に讃歌を歌いましょう,至高者よ。
訳3b:私はあなたの名のために讃歌を歌いましょう,至高者よ。
psallam 私が撥弦楽器を奏でよう,私が撥弦楽器に合わせて歌おう;私がほめ歌おう (動詞psallo, psallereの直説法・能動態・未来時制・1人称・単数の形)
nomini tuo あなたの名に,あなたの名のために (与格) (nomini:名に,名のために,tuo:あなたの)
Altissime 最も高い方よ,至高者よ ……形容詞の最上級 (男性・単数・呼格の形) が名詞的に用いられている。
いろいろな訳例を掲げたが,訳し方を分けているポイントは2つで,その第1は "nomini tuo" における与格の解釈 (訳aか訳bかを分けるポイント),第2は "psallam" の意味 (訳1か訳2か訳3かを分けるポイント) である。
第1のポイントについて。与格の基本的な働きは間接目的語を示すことだが,利害を表すこともあり (ほかにもいろいろな用法がある。山下太郎氏によるまとめはこちら),そう解釈すると訳bのようになる。単に間接目的語を示していると解釈する場合 (訳a),訳は「~に」で本来十分なのだが,訳2においては (私の感覚では訳1においても少し), 「~に」では日本語としてうまく後につながらないので「向かって」という語を補っている。
このように複数の解釈の可能性が考えられる場合,ここに用いられているラテン語聖書テキストの翻訳元である七十人訳ギリシャ語聖書を見てみるとひとつの決め手が得られることもよくあるのだが,今回はこの手は通用しない。七十人訳における対応箇所には同じく与格の名詞があり,そして古代ギリシャ語の与格にもやはり利害を表す用法もあるからである。第2のポイントについて。このラテン語動詞や七十人訳ギリシャ語聖書での対応箇所を手元の辞書 (ラテン語はStowasserとSleumer,ギリシャ語はLust et al.) で引くと,まずは「(撥) 弦楽器を弾く」「(撥) 弦楽器の伴奏で歌う」という意味が載っており, 「ほめ歌う」「讃歌を歌う」が出てくるのはその後である。これだけを見ると,撥弦楽器云々という訳を採りたくなってくる (訳1,訳2)。といっても, 「ほめ歌う」「讃歌を歌う」という意味も載っていることには変わりない (訳3)。
このように,第1のポイントについても第2のポイントについても,ラテン語やギリシャ語を見ただけでは何ともいえない。
そこでヘブライ語原典 (マソラ本文,ドイツ聖書協会1997年第5版) にさかのぼると,אֲזַמְּרָ֖ה שִׁמְךָ֣ (あなたの名を私はほめ歌いましょう) となっており,まず第2のポイントについてはこれではっきりする (訳3を採る)。第1のポイントについては, 「~を」ということで上掲のいずれの訳にも合わないのだが,少なくとも「~のために」ではないということで,なるべく単純な訳を採るのがよいと思われる。したがって訳aを採ることになる。というわけで,全体訳には訳3aを採用した。とはいえこの拝領唱で歌われるのはあくまでラテン語テキストだし,そもそもグレゴリオ聖歌成立期の人々はヘブライ語テキストを参照してはいなかったはずなので,この解釈が唯一の「正解」というわけでは決してない。私は上記のように考えてとりあえず訳3aを採ることにしたが,研究したり歌ったりなさるにあたってはほかの可能性も視野に入れ柔軟にお考えいただきたい (今回に限らず)。