入祭唱 "Cibavit eos" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ44)

 GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX p. 377; GRADUALE NOVUM I pp. 364–365.
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更新履歴

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2023年5月12日

  •   「教会の典礼における使用機会」の部に加筆した (2002年版ミサ典書でどうなっているか,この入祭唱に復活節中のように多くの "alleluia" がついているのはなぜか)。

2020年6月11日 (日本時間12日)

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【教会の典礼における使用機会】

【現行「通常形式」のローマ典礼 (1969年のアドヴェントから順次導入された) において】

 現行「通常形式」の典礼においては,キリストの聖体 (ラテン語をそのまま訳すと「キリストの至聖なる御体と御血」) の祭日のミサで用いられる。この祭日は三位一体の主日 (聖霊降臨祭の次の日曜日) の次の木曜日と定められているが,木曜日は多くの国において平日であり,皆が教会に集まるのは難しい。しかしこれは大切な祭日なので,そのような国では次の日曜日に移して祝うことになっている。日本もこれに該当する。
 典礼暦の上での使用機会はこれ一つであるが,ほかに暦とは関係なしに,「臨終が近いときの聖体拝領のためのミサ」や「至聖なるエウカリスティアについての随意ミサ」でも用いられる。いずれも四旬節以外に限る。なぜかというと,この入祭唱には "alleluia (ハレルヤ)" という言葉が含まれているのだが,四旬節中はこの言葉を典礼の中で一切歌ったり唱えたりしないことになっているからである。

 2002年版ミサ典書では,上記のうち「至聖なるエウカリスティアについての随意ミサ」には別の入祭唱が指定されている。
 この入祭唱には "alleluia (ハレルヤ)" が含まれていると述べたが,これはもとの聖書テキストにあるのではなく,付け加えられたものである。これは,後述のようにこの入祭唱が本来復活節中のものだったことに由来する。しかし現行「通常形式」典礼ではそうではない (キリストの聖体の祭日は「年間」というニュートラルな時期に属する) ので,それに応じてであろう,この2002年版ミサ典書には "alleluia" なしのテキストが載っている。

【20世紀後半の大改革より前のローマ典礼 (現在も「特別形式」典礼として有効) において】

 こちらでもこの入祭唱はキリストの聖体 (ラテン語をそのまま訳すと「キリストの至聖なる御体」。「御血」がないことに関しては後述) の1級祝日に用いられるほか,聖霊降臨の主日の翌日 (月曜日) にも歌われる。実は,後者のほうがもともとの用途である。キリストの聖体の祝日自体が比較的新しく,13世紀にできたものだからである。1962年版ミサ典書ではほかに,「祭壇の至聖なる秘跡 (=聖体) についての随意ミサ」の入祭唱としてもこれが指定されている。
 現行「通常形式」典礼では復活節は聖霊降臨の主日 (日曜日) をもって終わるが,改革前の典礼では聖霊降臨がそこから1週間にわたって祝われ,その間は復活節もなお続く。そういうわけで,この入祭唱がもともと割り当てられていたタイミングは復活節中だということになる。この入祭唱に多くの "alleluia (ハレルヤ)" が含まれているのは,そのためである (復活節の聖歌にはとにかく何でも "alleluia" が付加されるのである)
 なお,こちらではキリストの聖体と聖血は別々の日に祝われる (「我らの主イエス・キリストのいとも価高き御血」の祝日はさらに新しく1849年導入,7月1日。別の入祭唱が用いられる)。
 

【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】

Cibavit eos ex adipe frumenti, alleluia : et de petra, melle saturavit eos, alleluia, alleluia, alleluia.
Ps. Exsultate Deo adiutori nostro : iubilate Deo Iacob.
【アンティフォナ】彼は彼らを小麦の脂肪で養った,ハレルヤ。そして岩から (の) 蜜で彼らを飽かせた,ハレルヤ,ハレルヤ,ハレルヤ。
【詩篇唱】喜び躍れ,われらの助け手である神に向かって。歓呼せよ,ヤコブの神に。

 ラテン語学習の教材としてお使いになりたい方のため,古典ラテン語に則った母音の長短も示しておく。
Cibāvit eōs ex adipe frūmentī, alleluia : et dē petrā, melle saturāvit eōs, alleluia, alleluia, alleluia.
Ps. Exsultāte Deō adiūtōrī nostrō : iūbilāte Deō Iacob.

 アンティフォナの出典は詩篇第80篇 (ヘブライ語聖書では第81篇) 第17節であり,テキストはローマ詩篇書の同箇所と一致している。Vulgata=ガリア詩篇書も2つの "eos" がいずれも "illos" となっているだけの違いであり,内容は変わらない。(「ローマ詩篇書」「Vulgata=ガリア詩篇書」とは何であるかについてはこちら。)
 詩篇唱に用いられているのも同じ詩篇第80 (81) 篇である。
 

【対訳】

【アンティフォナ】

Cibavit eos ex adipe frumenti, alleluia: 
彼は彼らを小麦の脂肪で養った,ハレルヤ。

  •   「彼」とは「主」のことである (もとの詩篇で直前の部分を読むと分かる)。

  •  聖書協会共同訳を見ると,「最上の小麦で」とある。"adipe" (<adeps) を辞書で引いても「脂肪」という意味しか出てこないので,少なくともこのラテン語テキストについては「小麦の脂肪で」と訳すしかないのだが,この「脂肪」という語で表現しようとしているのは「一番よい部分」ということなのかもしれない。

  •  ここで前置詞 "ex" が用いられているのは,私のラテン語力の問題や手持ちの辞書の限界なのかもしれないが,どうもよく分からない。詳しくは,逐語訳のこの語のところをごらんいただきたい。

et de petra, melle saturavit eos, alleluia, alleluia, alleluia.
そして岩から蜜で彼らを飽かせた,ハレルヤ,ハレルヤ,ハレルヤ。
別訳 ("petra" の後のコンマを無視したもの):そして岩から蜜で (……)

  •  グレゴリオ聖歌のテキストに句読点は本来ついていないので,時には外して考えるのが有効な場合がある。

  •  "petra" の後にコンマが打たれるのであれば "de petra (岩から)" は "melle (蜜で)" にはかからないということになり,すると "de petra" は副詞句であると考えざるを得ないことになる。意味としては,「岩から働きかけて」蜜で彼らを飽かせた,というところになろう。

  •  しかしコンマがなければ "melle" にかかる形容詞句と解釈することが可能なので (この場合 "melle de petra" という語順のほうが普通ではあるが),単純に「岩からの蜜で」彼らを飽かせた,という意味に取ることができる。

  •  旋律を見ると "petra" と "melle" との間に区切りを入れることをはっきり示すような要素は特になく,この点では形容詞句と取っても問題ないと考える。

【詩篇唱】

Exsultate Deo adiutori nostro:
喜び躍れ,われらの助け手である神に (向かって)。

  •  このexsulto, exsultare (>exsultate) という動詞の最も一般的であろう訳が「喜び躍る」であることを知りつつ,私はずっと「喜び跳び上がる」と訳してきた。この訳自体はよいのだが,わざわざ一般的な訳を避けていたのは,私の勘違いからくるものであった。というのは,「喜び躍る」の「躍る」(跳躍する,躍動する) という部分を私は「踊る」(ダンスする) と混同してしまっていたため,「この訳語では『跳び上がる』というexsultare本来の意味が出ない」と思い込んでいたのである。「躍」という漢字を使うのであればきちんとそういう意味が出るので,今回は一般的な訳をそのまま採用することにした。今後もおそらくそうするだろう。

iubilate Deo Iacob.
歓呼せよ,ヤコブの神に。

  •   「ヤコブ」の別名は「イスラエル」。もともと個人名だが,ここでは神の民イスラエルを指す (直前の「われらの」の言い換えである)。
     

【逐語訳】

【アンティフォナ】

cibāvit 彼が食物を与えた (食物を与えて養った) (動詞cibō, cibāreの直説法・能動態・完了時制・3人称・単数の形)

eōs 彼らを (対格)

ex ~から

  •  起点・起源・原材料・原因・理由・観点といったことを示すときに用いられる前置詞であり,どうもここには合わなさそうに思われる。「小麦の脂肪という点で」(観点) ということを言いたいのかなと少し思っているが,辞書に載っているこの意味でのほかの用例 (少しだが) を見ると違う気がする。あるいは「小麦の脂肪から成るもの」(原料) で,「もの」にあたる語が省略されている,というようなところかとも思う。

  •  Septuaginta Deutsch (七十人訳ギリシャ語聖書のドイツ語訳) はまさにここにあたる部分を "mit (英:with)" と意訳した上で,「直訳すると "aus (英:from, out of)" となる」という注釈をつけている。つまりラテン語テキスト以前に,そのもとになっている七十人訳ギリシャ語聖書からして,どうしてその前置詞が用いられているのか分かりづらいような箇所なのではないかと推測する。そしてそのよく分からない前置詞を機械的にラテン語に移した結果が "ex" なのではないだろうか。

adipe 脂肪 (奪格)

frūmentī 穀物の,小麦の

alleluia ハレルヤ

et (英:and)

~から

petrā 岩 (奪格)

melle 蜜で (奪格)

saturāvit 彼が食物を与えた,満足させた,飽かせた (動詞saturō, saturāreの直説法・能動態・完了時制・3人称・単数の形)

eōs 彼らを

alleluia, alleluia, alleluia ハレルヤ,ハレルヤ,ハレルヤ

【詩篇唱】

exsultāte 喜び躍れ,跳び上がれ (動詞exsultō, exsultāreの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)

Deō 神に

adiūtōrī nostrō われらの助け手に (adiūtōrī:助け手に,nostrō:われらの)

  •  直前の "Deō" と同格。

iūbilāte 歓呼せよ (動詞iūbilō, iūbilāreの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)

Deō Iacob ヤコブの神に (Deō:神に,Iacob:ヤコブの)

  •  "Iacob" は格変化しない。

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