入祭唱 "Ego clamavi" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ40)
GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX p. 354; GRADUALE NOVUM I pp. 342–343.
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更新履歴
2023年10月3日 (日本時間4日)
"exaudisti" の時制の解釈についての解説を大幅に書き改めた。
現在の方針に合わせていろいろと細かい修正を行なった。
2019年10月16日
投稿
【教会の典礼における使用機会】
【現行「通常形式」のローマ典礼 (1969年のアドヴェントから順次導入された) において】
1972年版Ordo Cantus Missae (GRADUALE ROMANUM [1974] / TRIPLEXはだいたいこれに従っている) では,四旬節第3週の火曜日と年間第29週に割り当てられている。教会暦関係なしの「種々の機会のミサ」のうち「飢饉の時の,または飢えに苦しむ人々のためのミサ」において用いることのできる入祭唱の一つともなっている。
2002年版ミサ典書でも四旬節第3週の火曜日と年間第29主日とに割り当てられているが,「飢饉の時の,または飢えに苦しむ人々のためのミサ」のところには載っていない。
【20世紀後半の大改革以前のローマ典礼 (現在も「特別形式」典礼として有効) において】
1962年版ミサ典書では,この入祭唱は主日に用いられることはなく,四旬節第3週の火曜日にのみ割り当てられている (AMSにまとめられている8~9世紀の諸聖歌書でも同様)。つまり,典礼改革によって使用機会が増えた (なんといっても,主日にも歌われるようになった) ことになる。同じことは,これに続く年間第30~32週の入祭唱にもいえる。
【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】
Ego clamavi, quoniam exaudisti me, Deus: inclina aurem tuam, et exaudi verba mea: custodi me, Domine, ut pupillam oculi: sub umbra alarum tuarum protege me.
Ps. Exaudi Domine iustitiam meam: intende deprecationem meam.
【アンティフォナ】私は叫びました,なぜならあなたが私 (の願い/言葉) をよく聴いてくださったからです,神よ。御耳をお傾けください,そして私の言葉をよくお聴きください。見張りをして私をお守りください,主よ,瞳を守るように。御翼のかげに私を隠してください。
【詩篇唱】よくお聴きください,主よ,私の正義を。注意をお向けください,私の懇願に。
ラテン語学習の教材としてお使いになりたい方のため,古典ラテン語式の母音の長短も示しておく。このテキストは教会ラテン語なので,この通り発音されるべきだというわけではなく,あくまで学習用のものとお考えいただきたい。
Ego clāmāvī, quoniam exaudistī mē, Deus: inclīnā aurem tuam, et exaudī verba mea: cūstōdī/custōdī mē, Domine, ut pūpillam oculī: sub umbrā ālārum tuārum prōtege mē.
Ps. Exaudī Domine iūstitiam meam: intende dēprecātiōnem meam.
アンティフォナの出典は詩篇第16篇 (ヘブライ語聖書では第17篇) 第6節全体と第8節の一部だが,テキストはローマ詩篇書 (下表 "Ps. Rom.") ともVulgata=ガリア詩篇書ともそれぞれほんの少しだけ異なっている (「ローマ詩篇書」「Vulgata=ガリア詩篇書」とは何であるかについてはこちら)。
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それから,第6節全体と第8節の一部が用いられているということで,つまり削られた言葉があるわけだが,そこを省略せずにこの部分 (第6–9節) の全体を示すと次のようになる。テキストはローマ詩篇書から引用する。
ego clamavi quoniam exaudisti me Deus
私は叫びました,あなたが私 (の願い/言葉) をよく聴いてくださったからです,神よ。
inclina aurem tuam mihi
御耳を私にお傾けください,
et exaudi verba mea
そして私の言葉をよくお聴きください。
mirifica misericordias tuas
あなたのあわれみを素晴らしく輝かせてください,
qui salvos facis sperantes in te a resistentibus dexterae tuae
あなたに希望をおく者たちをあなたの右手に反抗する者どもから救ってくださる方よ。
custodi me Domine ut pupillam oculi
見張りをして私をお守りください,主よ,瞳を守るように。
sub umbra alarum tuarum protege me
御翼のかげに私を隠してください,
a facie impiorum qui me adflixerunt
私を悲惨に陥らせる神なき輩の顔から。
inimici mei animam meam circumdederunt
私の敵どもが私の命を (つけ狙って) 包囲したのです。
詩篇唱にとられているのも同じ第16篇 (ヘブライ語聖書では第17篇) であり,ここに掲げられているのはその第1節前半である。テキストはVulgata=ガリア詩篇書に一致している。
【対訳・逐語訳 (アンティフォナ)】
Ego clamavi,
私は叫びました,
ego 私が ……ラテン語では出さなくてもよい1人称代名詞を敢えて出して強調している。
clāmāvī 私が叫んだ (動詞clāmō, clāmāreの直説法・能動態・完了時制・1人称・単数の形)
quoniam exaudisti me, Deus:
なぜならあなたが私 (の願い/声) をよく聴いてくださったからです,神よ。
別訳:なぜならあなたが私 (の願い) を聞き入れてくださったからです,神よ。
quoniam なぜなら~だから (~という事実・既知のことがあるから)
exaudistī あなたがよく聴いた,あなたがはっきりと聴いた,あなたが聞き入れた (動詞exaudiō, exaudīreの直説法・能動態・完了時制・2人称・単数の形)
mē 私を
Deus 神よ
ごらんの通り完了時制で,七十人訳ギリシャ語聖書もここは直説法・アオリストという (一回限りの) 過去のできごとを述べる形を用いている。
しかし,これは現在形にしたほうが意味がよく分かるところだろう。「私は叫びました,なぜならあなたは私 (の願い/言葉) をよく聴いてくださるからです」。いつも聴いてくださると知っている・信じている・期待しているからこそ叫んだ,というわけである。
実際,ヘブライ語までさかのぼってみると,ここには未完了形が用いられている (なおヘブライ語では「聴く」ではなく「答える」)。神が一回限り聴くなり答えるなりしてくださったのではなく,それこそいつも (少なくとも,何度も) そうしてくださるという意味が読み取れるので,ますます上記のような解釈がふさわしいと思われる。
ヘブライ語で完了形になっているところが (実際のところ過去の話か否かにかかわらず) ギリシャ語で直説法・アオリストに,ラテン語で完了形に訳されてしまうというのはいつものことなのだが,ここではヘブライ語で未完了形なのにこうなってしまったのはなぜなのか,私には分からない。グレゴリオ聖歌が成立したころの人々はヘブライ語など知らず,ただラテン語テキストだけを持ち,ラテン語テキストを徹底的に読みこんでいたはずだ,ということを考慮し,本シリーズではラテン語テキストをそのまま訳すことを原則としており,ここでもそうした。しかし,現代に生きる者としてテキストを味わうにあたっては,ラテン語の表すところからは外れてしまっても,以上のようなことまで考えてもよいと思う。
inclina aurem tuam,
あなたの耳をお傾けください,
inclīnā 傾けてください (動詞inclīnō, inclīnāreの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
aurem tuam あなたの耳を (aurem:耳を,tuam:あなたの)
et exaudī verba mea:
そして私の言葉をよくお聴きください。
et (英:and)
exaudī よく聴いてください,はっきりと聴いてください,聞き入れてください (動詞exaudiō, exaudīreの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
verba mea 私の言葉を (verba:言葉を [複数形],mea:私の)
custodi me, Domine, ut pupillam oculi:
(見張りをして) 私をお守りください,主よ,瞳を守るように。
cūstōdī/custōdī 見張りをして守ってください,番をしてください (動詞cūstōdiō/custōdiō, cūstōdīre/custōdīreの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形) ……第1音節の母音は,Stowasserでは短く,Sleumerでは長くなっており,Wiktionary英語版にはその両方が載っている。
mē 私を
Domine 主よ
ut ~のように (英:as)
pūpillam oculī 瞳を (直訳:目の瞳を) (pūpillam:瞳を,oculī:目の) …… "pupillam" という名詞は対格 (「~を」) をとっているが,これは少し前の "me" (やはり対格) に対応しているものである。「~のように」という意味の語 "ut" によって両者が結びつけられ,「pupillamのようにme (を守ってください)」という意味になっている。
「瞳を守るように」(なお直訳すると「瞳をのように」) という分かりづらい言い方は,ラテン語聖書に始まったものでも七十人訳ギリシア語聖書に由来するものでもなく,もとのヘブライ語聖書が用いているものである。銘形秀則牧師が解説してくださっているので引用する。
● 日本には「目の中に入れても痛くない」という慣用句がありますが、それは自分の子どもや孫がとても愛らしくてかわいくてたまらない思いを表しています。そのように、「ひとみ(瞳)」はとても大切なものを表わすたとえです。
● モーセの訣別説教が記された申命記にはイスラエルの民に対する神の思いが次のように語られています。「主は荒野で、獣のほえる荒野で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。」(32章10節)と、主の民に対するねんごろな思いが「ご自分のひとみのように」と記されています。このような主のかかわりに対して、「主の命令を守って生きよ。わたしのおしえをあなたのひとみのように守れ。」(箴言7章2節)、LB〔リビングバイブル〕では「宝物のように大事にしなさい」と訳されています。
sub umbra alarum tuarum protege me.
あなたの翼のかげに私を隠してください。
sub ~の下で,~の中で (英:underなど)
umbrā かげ (陰,影) (奪格)
ālārum tuārum あなたの翼の (ālārum:翼の [複数],tuārum:あなたの) ……直前の "umbra" にかかる。
prōtege 前を覆ってください,隠してください (動詞prōtegō, prōtegereの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
mē 私を
【対訳・逐語訳 (詩篇唱)】
Exaudi Domine iustitiam meam:
よくお聴きください,主よ,私の正しさを。
exaudī よく聴いてください,はっきりと聴いてください,聞き入れてください (動詞exaudiō, exaudīreの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
Domine 主よ
iūstitiam meam 私の正義を (iūstitiam:正義を,meam:私の)
「正しさを」と訳した "iūstitiam" はふだんなら「正義を」とするところだが,それだとどうも「お聴きください」という語の目的語になりづらいと感じるのでこのようにした。
ヘブライ語原典から訳された普通の日本語聖書のうち,新改訳では「正しい訴えを」聴いてください,となっており,これだとさらに分かりやすい。
intende deprecationem meam.
注意をお向けください,私の懇願に。
intende 注意を向けてください,心に留めてください (動詞intendō, intendereの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
dēprecātiōnem meam 私の懇願を (dēprecātiōnem:懇願を,meam:私の) ……対格なのでこれ自体の基本的な意味は「~を」だが,直前の "intende" を「注意を向けてください」と訳す場合は,ここは「私の懇願に」と訳さざるを得ない。