入祭唱 "Vocem iucunditatis annuntiate" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ76)

 GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX p. 229; GRADUALE NOVUM I pp. 202–203.
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 GRADUALE NOVUMでは子音字としてのiをjで記すので,この入祭唱の冒頭は "Vocem jucunditatis" となっている。
 

【教会の典礼における使用機会】

【現行「通常形式」のローマ典礼 (1969年から順次導入) において】

 1970年のOrdo Cantus Missaeでは,復活節第6週 (ただし水曜日まで) に割り当てられている。水曜日までなのは,木曜日に「主の昇天」の祭日が祝われ,そこから新しい時期に入るためである。ただし日本などでは主の昇天の祭日を次の日曜日 (復活節第7主日にあたる日) に移して祝うので,その前日まで,すなわち復活節第6週全体にわたってこの入祭唱を用いるように定められている。
 しかし,この「主の昇天の祭日を次の日曜日に移して祝う場合」の定めにおいて,GRADUALE ROMANUM/TRIPLEX/NOVUMは珍しくOrdo Cantus Missaeと異なることを指示している (GRADUALE ROMANUM/TRIPLEX p. 234, NOVUM II pp. 98–99)それによると,復活節第6週の木曜日と金曜日には,これはこれで別の入祭唱を用いる。土曜日 (の15時ごろまで。それ以降は日曜扱いなので) についての指示はROMANUM/TRIPLEXにはないが,おそらくこれはただの書き忘れで,NOVUM IIに「復活節第6主日と同じ」すなわち今回の入祭唱を歌うようにとの指示がある。
 2002年版ミサ典書では,この入祭唱が割り当てられているのは主日のみで,続く週日はそれぞれ別の入祭唱を持っている。これはこの復活節第6週に限った話ではなく,「年間」以外のすべての季節においてそうである。

 ほかには,使徒聖マティアの祝日 (5月14日) と使徒聖バルナバの記念日 (6月11日) にも用いられ,また複数の使徒または殉教者を記念するミサで共通に用いることができる歌 (Commune) でもあるが,それぞれ,その日が復活節中に来る場合に限る。このうち「使徒または殉教者」という括りが興味深い。両者に共通するのは,信仰/福音を証しした・告げ知らせたということである。「殉教」を意味する西欧語の語源であるμαρτύριον (martyrion) という古代ギリシャ語は,単に「証し」を意味するものである。そしてまさに,福音 (喜ばしい知らせ) を告げ知らせるというのは今回の入祭唱のテーマなのである。
 この入祭唱はさらに,「諸々の民の福音化のため」の随意ミサで用いることができるものの一つでもある (ただしやはり復活節中に限る) のだが,以上のことを思えば容易に納得のゆく使用機会だろう。
 2002年版ミサ典書では,聖マティア・聖バルナバ・「複数の使徒または殉教者」・「諸々の民の福音化のため」のいずれにも別の入祭唱が指定されている。

【20世紀後半の大改革以前のローマ典礼 (現在も「特別形式」典礼として有効) において】

 改革後と同じく,この入祭唱は復活節第6主日 (ただし呼び方は「復活後第5主日」) に割り当てられている。
 
それに続く週日の扱いだが,月・火曜日はともかく水曜日は「主の昇天の前日」という特別扱いになる。1474年版・1570年版・1962年版の各ミサ典書では,この「主の昇天の前日」にも今回の入祭唱が充てられているのだが,AMSにまとめられている8~9世紀の聖歌書6つを見ると,「主の昇天の前日」を記している聖歌書すべて (3つ) において別の入祭唱が指定されている (AMS 101番bis, pp. 120–121)。
 聖マティアや聖バルナバの日のミサには,別の入祭唱が指定されている。
 

【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】

Vocem iucunditatis annuntiate, et audiatur, alleluia: nuntiate usque ad extremum terrae: liberavit Dominus populum suum, alleluia, alleluia.
Ps. Iubilate Deo omnis terra: psalmum dicite nomini eius, date gloriam laudi eius.
【アンティフォナ】歓喜の声を伝え広めよ,それが聞かれるようにせよ,ハレルヤ。告げ知らせよ,地の最果てに至るまで,「しゅは御自身の民を解放なさった」と,ハレルヤ,ハレルヤ。
【詩篇唱】神に向かって歓呼せよ,全地 (の住人たち) よ,讃歌を彼の御名に向けて歌え。彼への讃美を輝かしいものにせよ。

 冒頭の文の解釈がいろいろ考えられ,それぞれ捨てがたいものがある。対訳・逐語訳の部もお読みいただきたい。

↑ ソレム修道院の古い録音。  

 アンティフォナの出典はイザヤ書第48章第20b–d節である。Vulgataと比較すると,全体として言っていることは同じだといってよいものの,個々の語句はだいぶ異なっている ("alleluia" がないことについては考えなくてよい。これは復活節の聖歌ならどれでも付け加えられている要素であり,この入祭唱特有の変更点ではない)。

in voce exultationis adnuntiate auditum facite hoc
これを大喜びの声をもって伝え広め,聞かれるようにせよ,
efferte illud usque ad extrema terrae
それ (この知らせ) を地の最果てまでもたらせ,
dicite redemit Dominus servum suum Iacob
言え,「主は御自身の民ヤコブを買い戻してくださった」と。

イザヤ書第48章第20b–d節 (Vulgata)

 この違いは,Vulgataのイザヤ書がヘブライ語原典から直接訳されたものであるのに対し,入祭唱アンティフォナのほうは七十人訳ギリシャ語聖書から訳されたラテン語聖書テキストに基づいているらしい (実際にこのアンティフォナを七十人訳と比較するとそれがはっきり感じられる) ことからくるものである。手元にはVulgataのテキストしかない (私がいつも使っているVetus Latina [Vulgata以前のさまざまなラテン語訳聖書テキスト] のデータベースが,この箇所についてはVetus Latinaテキストを全く収録していない) ため,残念ながら,アンティフォナのもとになったと思われるラテン語聖書テキストを実際にここでお示しすることはできない。

 詩篇唱にとられているのは詩篇第65篇 (ヘブライ語聖書では第66篇) であり,ここに掲げられているのはその第1–2節である。復活節第3主日の入祭唱のアンティフォナと ("alleluia" の有無を除いて) 同じテキストである。なお,年間第2主日 (公現後第2主日) の入祭唱) も同じ詩篇唱を持っている。テキストはローマ詩篇書にもVulgata=ガリア詩篇書にも完全に一致している (「ローマ詩篇書」「Vulgata=ガリア詩篇書」とは何であるかについてはこちら)。
 

【対訳】

【アンティフォナ】

Vocem iucunditatis annuntiate,
歓喜の声を伝え広めよ,
別訳1:歓呼の声を伝え広めよ,
別訳2:愉快な知らせを伝え広めよ,
別訳3:嬉しい知らせを伝え広めよ,

  •   「声を」 「知らせを」と訳した "vocem" (<vox),また「歓喜の」「歓呼の」「愉快な」「嬉しい」と訳した "iucunditatis" (<iucunditas) については,逐語訳の部で説明する。いずれにせよ,"iucunditatis" は静かな喜び・内面的な喜びではなく,陽気にはしゃいでいるような喜びである

  •  動詞annuntio, annuntiare (>annuntiate) は一般的には「告げ知らせる」と訳されるものかと思うが,「声を」に続けるにせよ「知らせを」に続けるにせよ少し座りが悪いと感じるので,上のように訳すことにした。

et audiatur, alleluia: 
そしてそれが聞かれるようにせよ,ハレルヤ。

  •  誰かに対する命令のように訳したが,ここに用いられているのは命令法ではなく接続法で,人称も2人称ではなく3人称である。主語は「それ」すなわち「歓喜の声/愉快な知らせ」であり,直訳すれば「そしてそれが聞かれよ」「そしてそれが聞かれるべし」「そしてそれが聞かれるようにならんことを」といったところ。

  •   「それ」といっても代名詞が見当たらないが,これは動詞に隠されていると考える。ラテン語では主語としての1人称代名詞ego/nosや2人称代名詞tu/vosがふつう省略され,動詞の活用だけで人称を示すが,同じことがここでは3人称で起きているというわけである。

nuntiate usque ad extremum terrae:
告げ知らせよ,地の最果てに至るまで,

  •  この "nuntiate" は,手元のPDF版を見る限りでは,1570年版以降のミサ典書では先ほどと同じ "annuntiate" に替わっている。

liberavit Dominus populum suum, alleluia, alleluia.
「主は御自分の民を解放なさった」と,ハレルヤ,ハレルヤ。

【詩篇唱】

 以前訳した入祭唱 "Omnis terra adoret te" と共通の詩篇唱なので,以下,当該記事に書いたものをそのまま写す (逐語訳の部も同様)。

Iubilate Deo omnis terra,
神に向かって歓呼せよ,全地 (の住人たち) よ,

  •   「歓呼せよ」と訳した命令法の動詞 "iubilate" は複数形をとっているのに,呼びかけている対象である「全地」"omnis terra" は単数形である。七十人訳聖書のドイツ語訳 (Septuaginta Deutsch) が "alle (Bewohner der) Erde"「全地 (の住人たち) よ」と,「(の住人たち)」を訳文で補っており,こうすれば複数形で呼びかけているのがまあ問題なくなるので,私もこれに倣うことにした。

psalmum dicite nomini eius:
讃歌を彼の御名に向けて歌え。

date gloriam laudi eius.
彼への讃美を輝かしいものにせよ。
直訳:彼への讃美に飾りを (輝きを/栄光を/誉れを) 与えよ。

  •  ただ神を讃える祈りを唱えるのも讃美だが,歌うことにより,讃美自体が美しいもの,輝かしいものになる (そしてそれが,神の栄光を地上で示すことにもなるだろう)。直前の「讃歌を彼の御名に歌え」の言い換えであるとともに,讃歌を歌うこと (ひいては教会音楽全体) の意義の一つを教えてくれている。
     

【逐語訳】

【アンティフォナ】

vocem 声を;呼びかけを;知らせを

  •  これの基本形 (単数・主格の形) は "vox" で,基本的な意味は「声」だが,「呼びかけ」「(演説などまとまった) 言葉」「言語」といった意味でも用いられる。

  •  七十人訳ギリシャ語聖書やヘブライ語原典にさかのぼると,そこにもやはり「声」という意味の語があるものの,そちらには「報告」「知らせ」「噂」といった意味もある。

  •  以上,ギリシャ語やヘブライ語にさかのぼった場合も含めてのさまざまな意味のうち,「知らせ」という意味に取るのが,この語を目的語とする動詞 "annuntiate (告げ知らせよ,伝え広めよ)" と最もよく合いはすると思う。

  •  といっても,たしかに「声を告げ知らせよ」はいまひとつだが,「声を伝え広めよ」ならば私はそれほど違和感はない。また上述の通り,「知らせを」はこのラテン語単語自体ではなくもとのギリシャ語やヘブライ語に基づいた訳例なので,避けられるなら避けたい。

  •  これは名詞の対格 (対格の基本的な意味は「~を」) であり,七十人訳ギリシャ語聖書でもそうなっている。
     しかしヘブライ語聖書ではそうではなく (そもそもヘブライ語に格変化はないが,これを目的語と解釈できる前後関係ではないということ),前置詞‏בְּ‎がついた名詞になっている。この‏בְּ‎は教会ラテン語でいう "in" (英語などの "in" よりずっと広い意味を持つ) に対応する前置詞で,さまざまな使われ方をするが,その中に手段を表すというものがある。そう解釈するならば,「歓呼の声をもって告げ知らせよ」となり,何の問題もなく「声」という訳語を採ることができる。「知らせ」とも取れないわけではないが,この文脈で「声」よりも優先してこの訳を選ぶ理由がない (と少なくとも私は思う)。
     これはあくまでヘブライ語原典での話であり,そのまま今回の入祭唱に適用できるわけではないが,とにかく,本来ここは「声」だと考えるもう一つの理由にはなるだろう。

iucunditatis 愉快さの,陽気さの,嬉しさの,快適さの,心地よさの,親切さの

  •  直前の "vocem" にかかる。

  •  これは名詞の属格なので,素直に読むと「~の」という意味になるが,属格にはさまざまな用法があり,その中に「性質の属格」というものがある。これだと「~という性質をもつ」という意味になり,この語がかかる "vocem" を「知らせを」と訳すならば,「愉快さ (/嬉しさ/快適さ/etc.) という性質をもつ知らせを」,つまり結局「愉快な知らせを」と,あたかも形容詞がかかっているかのような意味になる。

  •  対訳の部の別訳1では「歓呼の」としたが,これはおおもとのヘブライ語の意味に寄っている訳である。ギリシャ語からすると「陽気さの (陽気な)」「愉快さの (愉快な)」「はしゃいだ」といったところ。

  •  このラテン語 "iucunditas" (>iucunditatis) 自体は,手元の一般的なラテン語辞書 (STOWASSER) で引くとまず「快適さ」「心地よさ」「親切さ」といった意味が載っており,最後に「嬉しさ・陽気さ」とある。しかしこの語は動詞iuvo, iuvareから来ているらしく,この動詞を同じ辞書で引くと「明るい気持にする」「喜ばせる」「楽しませる」といった意味がまず載っている (次に「支援する」「助ける」など)。このこととヘブライ語・ギリシャ語とを考え合わせると,「快適さ」などより「喜び」(それも静かなものではなく,快活・陽気な) という方向で解釈するのが適切であろう。

  •   「快適さ・心地よさ (つまり快さ)」と「(陽気な) 喜び」ということで,私としては,できれば1語で両方の要素を兼ねていそうな「愉快さの (愉快な)」という訳語を採りたいところである。ただ,この語だけを見る限りはそうなのだが,これがかかる直前の語「声 (vocem)」との相性がよくないため,全体訳では妥協して「歓喜の声」とした。この点では,"vocem" を「知らせ」と訳して「愉快な知らせ」としたい思いもある。

annuntiate 報告せよ,告げ知らせよ,伝え広めよ (動詞annuntio, annuntiareの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)

et (英:and)

audiatur それが聞かれよ,それが聞かれるべし,それが聞かれますように (動詞audio, audireの接続法・受動態・現在時制・3人称・単数の形)

  •   「それ」は最初の語 "vocem" を指す。

alleluia ハレルヤ

nuntiate 知らせをもたらせ,告げ知らせよ (動詞nuntio, nuntiareの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)

usque ad ~まで

extremum terrae 地の最果て,地の最も外側 (extremum:最果て/最も外側 [対格],terrae:地の)

  •  "extremum" はもともと形容詞 "exter(us)/-a/-um (外側の)" の最上級。

liberavit 自由にした,解放した (動詞libero, liberareの直説法・能動態・完了時制・3人称・単数の形)

Dominus 主が

populum suum 自身の民を (populum:民を,suum:自身の)

alleluia, alleluia ハレルヤ,ハレルヤ

【詩篇唱】

iubilate 喜んで叫べ,歓呼せよ (動詞iubilo, iubilareの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)

Deo 神に

omnis 全部の

terra 地よ (単数)

  •  対訳のところに書いた通り,命令法の動詞 (上の "iubilate" と下の "dicite" および "date") が複数形なのに命令対象は単数形という破格である。「全地の人々よ」と理解する。

psalmum 讃歌を,詩篇を

dicite 歌え (動詞dico, dicereの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)

nomini eius 彼の名前に (nomini:名前に,eius:彼の)

date 与えよ (動詞do, dareの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)

gloriam 栄光を,誉れを,飾りを,輝きを

laudi eius 彼への讃美に (laudi:讃美に,eius:彼への)

  •  "eius" は最も一般的には「彼の」だが,これに限らずラテン語における名詞の属格や所有形容詞は「~の」だけでなく「~への」という意味でも用いられ,どちらなのかは文脈判断する。ここでは,「彼の讃美」すなわち「彼 (神) 讃美すること」より,「彼への讃美」すなわち「彼讃美すること」ととるほうが明らかにふさわしい。

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