入祭唱 "Circumdederunt me gemitus mortis" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ54)
GRADUALE TRIPLEX / GRADUALE ROMANUM 1974 pp. 117–118; GRADUALE NOVUM II pp. 67–68.
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更新履歴
2024年1月30日 (日本時間31日)
「教会の典礼における使用機会」の部に加筆・修正を行なった。
対訳の部と逐語訳の部とを統合した。
逐語訳において一語一語分けすぎてかえって分かりづらくなっていたのを改善した。
2022年1月25日 (日本時間26日)
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【教会の典礼における使用機会】
【七旬節という季節について】
現行「通常形式」のローマ典礼 (現在のカトリック教会で最も広く見られる典礼) では,降誕節が終わった後しばらく「年間」というニュートラルな性格の時期が続いて, 「灰の水曜日」(復活祭の46日前) から「四旬節」という祈り・節制・慈善を通した悔い改めの時期に入る,という形になっている。
これに対して,第2バチカン公会議後の典礼大改革が行われる前のローマ典礼 (現在も「特別形式」典礼として一部で続けられている) では「七旬節」という四旬節への前段階的な性格を持つ時期が設けられており,それは灰の水曜日の17日前 (四旬節第1主日の3週間前), 「七旬節の主日 (Dominica in Septuagesima)」に始まる。この時期に入ると,司祭の祭服の色が紫色 (悔い改めを表す) になる,Gloriaが歌われなくなる, 「ハレルヤ (alleluia)」という語が典礼からすっかり消え去る (前二者については教会の祝日を除く) といった,現在でも四旬節の典礼の特色となっている諸要素がもう現れる。
改革前典礼において,この「七旬節の主日」のミサのはじめに歌われるのが今回の入祭唱である。教会に集う人々はこの入祭唱を聴いて新たな季節に入ったことを実感し,そして季節の性格上厳粛な気持になりもしてきたことであろう。
【現行「通常形式」のローマ典礼 (1969年のアドヴェントから順次導入された) において】
現行「通常形式」典礼にはこの七旬節がなくなってしまったので,今回の入祭唱はすっかり影の薄い存在になってしまったといえ,実際,主日 (日曜日) に用いられることはない。
1972年版ORDO CANTUS MISSAE (GRADUALE ROMANUM [1974] / TRIPLEXはだいたいこれに従っている) では, この入祭唱は,四旬節第4主日の次の土曜日に割り当てられている。ほかには, 「種々の機会のミサ」のうち「戦争や破壊的なことが起こっているとき」のミサで用いることができる入祭唱の一つともなっている。
2002年版ミサ典書では,上記2つのほか, 「洗礼志願者のための典礼」(3回め) が行われるミサにも割り当てられている。
「洗礼志願者のための典礼」はラテン語ではscrutiniumといい,その年の復活徹夜祭に洗礼を受けることを望んでいる人が,それに向けて清めと照らしを受けることを目的とした儀式である。全部で3回行われ,原則としては四旬節第3主日・第4主日・第5主日に行われるが,必要に応じて四旬節中のほかの日に移されることもある (参考:カトリック中央協議会のサイト)。
【20世紀後半の大改革以前のローマ典礼 (現在も「特別形式」典礼として有効) において】
1962年版ミサ典書では,上述の通り七旬節の主日に割り当てられている。
AMSにまとめられている8~9世紀の諸聖歌書でも同様である (第34欄)。
【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】
Circumdederunt me gemitus mortis, dolores inferni circumdederunt me: et in tribulatione mea invocavi Dominum, et exaudivit de templo sancto suo vocem meam.
Ps. Diligam te Domine, fortitudo/virtus mea: Dominus firmamentum meum, et refugium meum(, et liberator meus).
【アンティフォナ】死の呻きが私を取り囲んだ,陰府の悲痛が私を取り囲んだ。そして私が悲しみのうちにあって主を呼び求めると,彼はその聖殿から私の声をしっかりと聴いてくださった。
【詩篇唱】私はあなたをお愛し申し上げましょう,主よ,私の強さよ/力よ。主は私の支え,私の避難所(,私の解放者)。
たいへん苦しそうな状況が感じられるテキストにもかかわらず,第5旋法 (リディア) という特に明るい旋法の旋律になっていることにやや意表を衝かれる (最高音域は用いていないし,ドではなくラが支配的になっている [つまり一時的にむしろ第6旋法=ヒポリディアになっている] 部分がいくらかありもするので,控えめではあるが)。「主」が「私の声をしっかりと聴いてくださった」ことの喜びに重点があるということだろうか。詳しく分析・考察したわけではないので,これ以上のことは今のところ言えない。
ラテン語学習の教材としてお使いになりたい方のため,古典ラテン語式の母音の長短も示しておく。このテキストは教会ラテン語なので,この通り発音されるべきだというわけではなく,あくまで学習用のものとお考えいただきたい。
Circumdedērunt mē gemitūs mortis, dolōrēs īnfernī circumdedērunt mē: et in trībulātiōne meā invocāvī Dominum, et exaudīvit dē templō sānctō suō vōcem meam.
Ps. Dīligam tē Domine, fortitūdō/virtūs mea: Dominus firmāmentum meum, et refugium meum(, et līberātor meus).
アンティフォナは詩篇第17篇 (ヘブライ語聖書では第18篇) 第5–7節をもとにしているが,そのままではなく,どの節も半分だけ用いられている。
ごらんの通り,採られた部分のテキストはローマ詩篇書 (Psalterium Romanum) に一致している (「ローマ詩篇書」や "Vulgata = Ps. Gallicanum" すなわち「ガリア詩篇書」とは何であるかについてはこちら)。
詩篇唱にも同じ詩篇第17 (18) 篇が用いられている。
"fortitudo/virtus" と記した部分は公式には "fortitudo" なのだが,GRADUALE TRIPLEXがネウマとともに手書きで "virtus" を併記している。
つまり古写本 (Einsiedeln 121) には "virtus" と記されているということであり,それゆえ,グレゴリオ聖歌のもとの姿を復元することを主目的とするGRADUALE NOVUMは "virtus" のほうを活字にし,"fortitudo" はいかなる形でも載せていない。なおもとのラテン語詩篇書ではどうなっているかというと,Vulgata=ガリア詩篇書 (Psalterium Gallicanum) では "fortitudo",ローマ詩篇書では "virtus" である。
最後の ", et liberator meus" の部分を括弧に入れたのはこの部分が古写本 (Einsiedeln 121) には含まれていないからで,GRADUALE TRIPLEXをよく見るとこの部分は括弧のようなもので括られており,ネウマも記されていない。GRADUALE NOVUMはというと,やはり前述のようなこの本の主目的に沿い,当該部分は完全に削除している。
【対訳・逐語訳 (アンティフォナ)】
Circumdederunt me gemitus mortis,
死の呻きが私を取り囲んだ,
dolores inferni circumdederunt me:
陰府の悲痛が私を取り囲んだ。
「陰府」とは死者の世界のこと。
et in tribulatione mea invocavi Dominum,
そして私の悲しみのうちにあって私は主を呼び求めた,
et exaudivit de templo sancto suo vocem meam.
すると彼はその聖殿から私の声をしっかりと聴いてくださった。
【対訳・逐語訳 (詩篇唱)】
Diligam te Domine, fortitudo/virtus mea:
私はあなたをお愛し申し上げましょう,主よ,私の強さよ/力よ。
Dominus firmamentum meum, et refugium meum(, et liberator meus).
主は私の支え,私の避難所(,私の解放者)。
この文には動詞がない。ラテン語にはよくあることで,このようなときには英語でいうbe動詞が省略されていると考える。「主は私の支え,私の避難所(,私の解放者) である」ということになる。