入祭唱 "Salve, sancta Parens" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ47)
【更新履歴】
2022年1月16日 (日本時間17日) ※ほとんど変更なし
●「教会の典礼における使用機会」に書いたことに少し誤りが含まれていたため修正した。
● その他些細な修正を施した。
2021年1月5日 (日本時間6日)
● 投稿
GRADUALE TRIPLEX (GRADUALE ROMANUM 1974) pp. 403-404; GRADUALE NOVUM I pp. 36-37.
gregorien.infoの該当ページ
【教会の典礼における使用機会】
聖母に関するミサで共通に用いることができる歌 (このようにあるテーマに関するミサで共通に用いることができる歌のことを,communeコンムーネという) の一つであり,特に次の祭日・記念日の入祭唱に指定されている。
● 1月1日:神を産んだ者としての聖マリア (神の母聖マリア)
● 8月5日:サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の献堂 (聖マリア教会の献堂) ※ほかの選択肢もある
● 8月22日:元后 (女王) としての聖母 (天の元后聖マリア)
旧典礼 (1969年のアドヴェント前まで行われていた。現在も「特別形式」の典礼として一部で続けられている) においても聖母のcommuneの一つであるが,特にこの入祭唱が割り当てられている日は1つを除き異なっており,次の通りである。
● 7月2日:聖母の訪問
● 8月5日:サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の献堂 ※旧典礼のミサ典書 (少なくとも1962年版) には「雪の聖母教会」と記されている
● 9月8日:聖母の誕生
● 9月24日:贖虜の聖母
● 11月21日:聖母の奉献
比較的新しくできた入祭唱であるらしく,11世紀以降の写本にしか記されていない (一般にミサ用グレゴリオ聖歌に関してよく参照されるLaonランやEinsiedelnアインジーデルンの写本はいずれも10世紀のもの)。
【テキスト,全体訳,元テキストとの比較など】
Salve sancta Parens, enixa puerpera Regem, qui caelum terramque regit in saecula saeculorum. T. P. Alleluia, alleluia.
Ps. Eructavit cor meum verbum bonum : dico ego opera mea regi. Ant.
Ps. Audi, filia et vide, et inclina aurem tuam, et obliviscere populum tuum et domum patris tui. Ant.
Ps. Et concupiscet rex speciem tuam, quoniam ipse est dominus tuus, et adora eum. Ant.
【アンティフォナ】御挨拶申し上げます,聖なる御母よ,天地を永遠に支配する王をお産みになった方よ。(復活節には) ハレルヤ,ハレルヤ。
【詩篇唱1】私の心は (抑えきれず) よい言葉を語った。私は私の作品を王に向かって吟ずる。(アンティフォナを繰り返す)
【詩篇唱2】聞きなさい,娘よ,見なさい,耳を傾けなさい,あなたの民とあなたの父親の家とを忘れなさい。(アンティフォナを繰り返す)
【詩篇唱3】すると王はあなたの美しさに想い焦がれるでしょう。彼こそあなたの主 (主人) なのだから,あなたも彼を拝みなさい。(アンティフォナを繰り返す)
詩篇唱を3節載せているのはGRADUALE ROMANUM (1974) / TRIPLEXのほうだけで,GRADUALE NOVUMには "Eructavit cor meum [...]" の1節しか載っていない。前者でわざわざ3節載せている (これはごく珍しいことである) 理由の推測は後述する。
ラテン語学習の教材としてお使いになりたい方のため,古典ラテン語式の母音の長短も示しておく。このテキストは教会ラテン語なので,この通り発音されるべきだというわけではなく,あくまで学習用のものとお考えいただきたい。
Salvē sāncta Parēns, ēnīxa puerpera Rēgem, quī caelum terramque regit in saecula saeculōrum. T. P. Alleluia, alleluia.
Ps. Ēructāvit cor meum verbum bonum : dīcō ego opera mea rēgī. Ant.
Ps. Audī, fīlia et vidē, et inclīnā aurem tuam, et oblīvīscere populum tuum et domum patris tuī. Ant.
Ps. Et concupīscet rēx speciem tuam, quoniam ipse est dominus tuus, et adōrā eum. Ant.
アンティフォナの出典は珍しく聖書ではなく,Seduliusセドゥリウスという5世紀の詩人による "Carmen paschale (復活祭の歌)" という長い詩の第2巻第63-64行である。こちらで原文を読むことができるが,当該箇所を見るとこのアンティフォナのテキストとは若干異なっており,次のようになっている。
入祭唱で "regit" (導く,支配する) となっているところが "tenet" (保持する) となっており,"in saecula saeculorum" が "per saecula" となっている (こちらは意味は同じ)。この相違が入祭唱のテキストの成立過程における意図的な変更なのか,もとのCarmen paschale自体が写本によっては入祭唱のテキストと同様になっているのかは,今のところ私は知らない。
詩篇唱の出典は詩篇第44 (一般的な聖書では45) 篇第2・11・12節である。第2節は実質的にこの詩篇の最初の節であり,これが載っているのは普段通りのことだが,あとの2つの節がその続きではなくだいぶ後の箇所であることが注目される。そしておそらくまさにこれが,珍しくわざわざ3節ぶんも詩篇唱のテキストが記されている理由ではないかと思う。
どういうことか。ほとんどの入祭唱においては詩篇唱としては (原則としてその詩篇の最初の) 1節が載っているだけなのだが,これはその1節しか歌ってはいけないという意味では必ずしもなく,長く歌う場合には同じ詩篇の続きを歌ってゆけばよいことに一応なっている。つまり,例えば第2節だけを載せておくと,長く歌う場合,次は自動的に第3節が歌われてしまうことになる。そうではなく,そこは飛ばして是非とも第11節・第12節を優先してほしい,ということを示すために,この両節が載せられたのだろう,というわけである。
同じように3つの節が載っている例として主の公現の祭日の入祭唱 "Ecce advenit dominator Dominus" があり,ここでもまずは詩篇第71 (72) 篇の第1節が載っているのだが,次がやはり第2節ではなく第10節に飛んでいることから,上の推測はどうやら間違っていないのではないかと思う。
その詩篇唱のテキストだが,これまた珍しいことに,Vulgata=ガリア詩篇書Psalterium Gallicanumともローマ詩篇書Psalterium Romanumとも異なっている箇所があり,それは第12節である。
詩篇唱のテキストはガリア詩篇書=Vulgataとだいたい一致しているものの (なお "speciem" と "decorem" とはこの文脈では似たような意味である),最後だけは明らかに異なる。両詩篇書とも "adorabunt (彼らは拝む)" としているところを,詩篇唱は "adora (〔あなたも〕拝みなさい)" としているのである。詩篇唱では珍しい,意図的な変更かもしれない。「彼ら」というのが誰なのかは詩篇の残りの部分を読まないと分からないので,それを唐突に登場させないためにこうしたのかもしれない。
なお,昔の写本の中には,詩篇唱としてほかのテキストが載っているものがある。
いずれも詩篇の一部ではなく,聖書のほかの文書の一部ですらない。
【対訳】
【アンティフォナ】
Salve sancta Parens,
御挨拶申し上げます,聖なる御母よ,
enixa puerpera Regem,
王をお産みになった方よ,
qui caelum terramque regit in saecula saeculorum.
天地を永遠に支配する (王を)。
解説:
直前の "Regem" にかかる関係詞節。
T. P. Alleluia, alleluia.
(復活節には) ハレルヤ,ハレルヤ。
解説:
今回の入祭唱に限らず,いろいろな季節に用いられる歌には,しばしばこの "T. P. Alleluia, alleluia" がついている。"T. P." は "Tempore Paschali (復活節に)" の略。復活節には何でもかんでも "Alleluia (ハレルヤ)" をつけて歌うことになっているので,もともと "Alleluia" がついていない歌においてもつけて歌えるようにとこの部分が記されている。
【詩篇唱1】
Eructavit cor meum verbum bonum :
私の心は (抑えきれず) よい言葉を語った。
dico ego opera mea regi.
私は私の作品を王に向かって吟ずる。
【詩篇唱2】
Audi, filia et vide,
聞きなさい,娘よ,見なさい,
et inclina aurem tuam,
耳を傾けなさい,
et obliviscere populum tuum et domum patris tui.
あなたの民とあなたの父親の家とを忘れなさい。
解説:
この詩篇が祝婚歌であることを念頭に置くとよく分かる言葉。
神とその民 (キリストと教会) の結婚,という捉え方をするならば,「古い (神から離れた) 生活を捨てて,キリストと結ばれる準備をしなさい」というふうに読める。(参考:明石清正牧師による詩篇第45〔44〕篇の解説)
【詩篇唱3】
Et concupiscet rex speciem tuam,
すると王はあなたの美しさに想い焦がれるでしょう,
解説:
花嫁 (神の民/教会) が,古い生活を捨ててふさわしい姿で立っているので。(参考:明石清正牧師による詩篇第45〔44〕篇の解説)
quoniam ipse est dominus tuus,
彼こそあなたの主 (主人) なのだから,
解説:
前にかかるのか後ろにかかるのか明らかでない。これまでの私のわずかな経験では,quoniam節やquia節 (いずれも理由・根拠を示す節) はいつも前にかかっていた (直前に述べたことの理由・根拠の説明をしていた)。しかし今回は後ろにかけるほうが理解しやすいので,全体訳ではそういう解釈を採った。現代のカトリック教会の公式ラテン語聖書であるNova Vulgata (新Vulgata) がそういう句読点の打ち方をしていることも参考にした。これはあくまで20世紀の訳であり,昔の教会・昔の人々がどう読んでいたのかをここから知ることはもちろんできないが。
しかし敢えて前にかけて「王はあなたの美しさに想い焦がれるでしょう,彼こそあなたの主なのだから」とするのも,人間への神の愛が語られているようで捨てがたいものがある。
et adora eum.
あなたも彼を拝みなさい。
別訳:そうしたら,彼を拝みなさい。
解説:
別訳は,直前のquoniam節を前にかける場合のみ可能。
【逐語訳】
salvē 御挨拶します (動詞salveō, salvēre「健康である」の命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
● 直訳すれば「健康であれ」だが,単にあいさつに用いられる言葉。
sāncta 聖なる
● Sleumerの教会ラテン語辞典では短母音になっている。
Parēns 親よ,生む (生んだ) 者よ
● 父親にも母親にも用いられる語で,しかも語尾変化は男女同形なので,どちらなのか見分けるにはついている形容詞の語尾を見るしかない。今回はsanctaという形容詞に修飾されており,これが女性形なので,母親である。
● もとはpariō, parere「産む,子をもうける」という動詞をもとにした現在能動分詞。
ēnīxa 産んだ (動詞ēnītor, ēnītīをもとにした完了受動分詞の顔をした完了能動分詞,女性・単数・呼格)
puerpera 産褥婦;産婦
Rēgem 王を
quī (関係代名詞,男性・単数・主格)
● 直前の "Rēgem" を受ける。
caelum 天を
terram 地を
-que (英:and)
● "caelum terramque" で「天と地を」。
regit 導く,統治する,支配する (動詞regō, regereの直説法・能動態・現在時制・3人称・単数の形)
in saecula saeculōrum 永遠に
● "saecula" は "saeculum (時,時代,世代,世紀,永遠)" の複数・対格,"saeculōrum" はその複数・属格だが,単に3語まとめて「永遠に」と取ればよい。「代々 (よよ) とこしえに」とでもすればさらによくニュアンスが表現できるかもしれない。
【詩篇唱1】
ēructāvit 吐き出した,語った (動詞ēructō, ēructāreの直説法・能動態・完了時制・3人称・単数の形)
cor meum 私の心が (cor:心が,meum:私の)
verbum bonum よい言葉を (verbum:言葉を,bonum:よい)
dīcō 私が歌う,朗読して披露する,言う (動詞dīcō, dīcereの直説法・能動態・現在時制・1人称・単数の形)
ego 私が
opera mea 私の作品 (複数) を (opera:作品を,mea:私の)
rēgī (<rēx) 王に
【詩篇唱2】
audī 聞け,聴け (動詞audiō, audīreの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
fīlia 娘よ
et (英:and)
vidē 見よ (動詞videō, vidēreの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
et (英:and)
inclīnā 傾けよ (動詞inclīnō, inclīnāreの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
aurem tuam あなたの耳を (aurem:耳〔単数〕を,tuam:あなたの)
et (英:and)
oblīvīscere 忘れよ (動詞oblīvīscor, oblīvīscīの命令法・受動態の顔をした能動態・現在時制・2人称・単数の形)
populum tuum あなたの民を (populum:民を,tuum:あなたの)
et (英:and)
domum 家を
patris tuī あなたの父親の (patris:父親の,tuī:あなたの)
【詩篇唱3】
et (英:and)
concupīscet 欲するだろう,欲するようになる (動詞concupīscō, concupīscereの直説法・能動態・未来時制・3人称・単数の形)
rēx 王が
speciem tuam あなたの姿を,あなたの美しさを (speciem:姿を/美しさを,tuam:あなたの)
quoniam ~であるから (接続詞)
● quiaと似ているが,特に既知の事実を示して「~だから」と言うという傾向を持つ。
ipse 彼が,彼こそが (?)
● 本来「~自身」(英:himselfなど) という意味の語だが,教会ラテン語ではこのように単なる指示代名詞として用いられることが多い。
● 単なる,と書いたが,七十人訳ギリシャ語聖書 (グレゴリオ聖歌のもととなったラテン語詩篇は,ヘブライ語原典からではなく七十人訳からの翻訳である) では,この語にあたる代名詞に強調が置かれているらしい (Septuaginta Deutsch〔七十人訳をドイツ語に訳したもの〕の註による)。私はギリシャ語はできないので詳しいことは分からないが,ともかくそういうことであればこの "ipse" にもそういう含みがあるのかもしれない。そういうわけで全体訳・対訳では「彼こそ」としてみた。
est ~である (動詞sum, esse〔英語でいうbe動詞〕の直説法・能動態・現在時制・3人称・単数の形)
dominus tuus あなたの主人;あなたの夫 (dominus:主人〔主格〕,tuus:あなたの)
● "dominus" の頭文字を大文字にすれば「主」。
●「夫」という意味はSleumerの教会ラテン語辞典には載っていない。
et ~も;(英:and)
● 2つの可能性を記したが,ここでは基本的には前者 (「~も」) であると考えられる。「彼があなたを望むのに応えて,あなたも彼を拝みなさい」という文脈での「も」。「あなたも」の「あなた」は次の動詞に含意されている。
● 後者の解釈 (「英:and」) は,対訳のところで別訳として示したものである。そこに記した通り,これが可能になるのはquoniam節が前にかかるものと解釈した場合だけである (そしてその場合でも,「~も」と取ることも相変わらずできる)。
adōrā 礼拝せよ,伏し拝め (動詞adōrō, adōrāreの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
eum 彼を