昇階唱 "Viderunt omnes fines terrae" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ51)

 GRADUALE TRIPLEX (GRADUALE ROMANUM 1974) pp. 48–49; GRADUALE NOVUM I p. 29.
 gregorien.infoの該当ページ

 西洋音楽史を学習すると必ず出てくるペロティヌス (ペロタン) のオルガヌムのゆえに,キリスト教や教会音楽に特に興味がない人々にも比較的よく知られている聖歌であろう。なお,今回扱う昇階唱 (graduale) の一部と同一のテキストをもつ拝領唱 (communio) もあるが,ペロティヌスのオルガヌムのもとになっているのは昇階唱のほうである。
 

更新履歴

2022年6月2日
● これまで「グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ」に入れていなかった聖務日課用聖歌を新たにこのシリーズに入れたことに伴い,本稿の番号を変更した (50→51)。内容にはほぼ変更ない (音源動画を全体訳の下に移動した程度)。

2022年1月19日

● 音源を追加した。本文に変更はない。

2021年12月25日
● 投稿
 

【教会の典礼における使用機会】

 まず何といっても主の降誕の祭日 (12月25日) の「日中のミサ」で用いられる。ほかには,その後主の公現の祭日 (本来1月6日,日本では1月2日から8日までの間にくる日曜日) までの日々に用いることができる (ほかの選択肢もある)。ただしこの期間には多くの祭日や祝日があり,それらは固有の式文を持っているため,実際にこの昇階唱を用いる可能性があるのは12月29~31日と1月2日~公現祭前日 (いずれも日曜日を除く) だけである。

 旧典礼 (特別形式典礼) でも主の降誕 (12月25日) の第3ミサ (日中のミサ) で用いられる。その後公現祭までの日々 (固有の式文のない日のみ) に用いるのも概ね同じだが,現行典礼 (通常形式典礼) と異なるのは,ほかの選択肢が示されておらず,したがってそれらの日々には必ずこの昇階唱を用いることになるということ,それから,1月1日 (現行典礼では「神の母聖マリア」の祭日だが,旧典礼では「主の降誕から8日目」) にもこの昇階唱が用いられるということである。
 

【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】

Viderunt omnes fines terrae salutare Dei nostri. Iubilate Deo omnis terra.
V. Notum fecit Dominus salutare suum : ante conspectum gentium revelavit iustitiam suam.
【レスポンスム】地のすべての果ては私たちの神の救いを見た。地上全体よ,神に向かって歓呼せよ。
【独唱句】主は御自らの (お与えになる) 救いを知られるものとなさった。諸々の民の見ている前で,彼は御自らの正義を啓示なさった。

 レスポンスムの出典は詩篇第97 (98) 篇第3節後半~第4節前半,独唱句のそれは同詩篇第2節である。いずれも,Vulgataではなくローマ詩篇書 (Psalterium Romanum) のテキストに一致している。といってもVulgataのテキストもほぼ同義の別の語をところどころ用いているというだけで,内容は同じといってよい。

 ラテン語学習の教材としてお使いになりたい方のため,古典ラテン語式の母音の長短を示す。このテキストは教会ラテン語なので,この通り発音されるべきだというわけではなく,あくまで学習用のものとお考えいただきたい。
Vidērunt omnēs fīnēs terrae salūtāre Deī nostrī. Iūbilāte Deō omnis terra.
V. Nōtum fēcit Dominus salūtāre suum : ante cōnspectum gentium revēlāvit iūstitiam suam.
 

【対訳】

【レスポンスム】

Viderunt omnes fines terrae salutare Dei nostri. 
地のすべての果ては私たちの神の救いを見た。
別訳:地のすべての区域は (…)

Iubilate Deo omnis terra.
地上全体よ,神に向かって歓呼せよ。
解説:
 命令法をとっている動詞 "iubilate (歓呼せよ)" は複数形なのだが,呼びかけている対象 "omnis terra (地上全体)" は単数形である。「地上全体よ」といっても実際には「地上全体の人々」(人々は当然複数である) に呼びかけているのでこういう現象が起きるのだろう。

【独唱句】

Notum fecit Dominus salutare suum : 
主は御自らの救いを知られるものとなさった。
解説:
  「御自らの救い」といってももちろん「主」自身が救われることではなく,「主」が人間を救うことをいっている。

ante conspectum gentium revelavit iustitiam suam.
諸々の民の見ている前で,彼は御自らの正義を啓示なさった。
解説:
 この「諸々の民の (gentium)」という語には,「選民ユダヤ人以外の諸民族 (異邦人) の」という含みがある。神の救いが選民だけでなく全世界に及ぶようになったというのは,クリスマス関係の聖書箇所や典礼にしばしば現れるメッセージの一つである。
  「正義」という言葉が出ているが,この一文は前の一文の言いかえであり (2つの連続する文で同じことを表現するのは,旧約聖書の詩文において非常によく用いられる手法である),するとこの語は「救い」の言いかえだということになる。正義にもいろいろあるが,ここで言われているのはそのような正義であることに注意したい。
 

【逐語訳】

【レスポンスム】

vidērunt 見た (動詞videō, vidēreの直説法・能動態・完了時制・3人称・複数の形)

omnēs すべての

fīnēs 果てが;区域が
● "viderunt" の主語。

terrae 地の
● 直前の "fines" にかかる。

salūtāre 救いを
● "viderunt" の目的語。

Deī 神の

nostrī 私たちの
● 直前の "Dei" にかかる。

iūbilāte 歓呼せよ (動詞iūbilō, iūbilāreの命令法・能動態・現在時制・2人称・複数の形)

Deō 神に

omnis 全部の

terra 地よ (単数形)

【独唱句】

nōtum 知られている

fēcit (英:made / have made。動詞faciō, facereの直説法・能動態・完了時制・3人称・単数の形)
● ここでは,make A B「AをBにする」の構文におけるmakeと同じ意味・働きを持っている。ここの一文を英訳すると "The Lord has made his salvation known" となる。

Dominus 主が
● "fecit" の主語。

salūtāre 救いを
● "fecit" の目的語。

suum 自身の
● 直前の "salutare" にかかる。

ante ~の前で

cōnspectum 見ること (対格)

gentium 諸々の民の,異邦人の
● 直前の "cōnspectum" にかかる。

revēlāvit 彼が~の覆いをとった,彼が啓示した (動詞revēlō, revēlāreの直説法・能動態・完了時制・3人称・単数の形)

iūstitiam 正義を
● "revelavit" の目的語。

suam 自身の
● 直前の "iustitiam" にかかる。


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