拝領唱 "Manducaverunt" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ121)

 Graduale Romanum (1974) / Graduale Triplex, p. 278 (これら2冊の内容は四線譜の上下のネウマの有無を除けば基本的に同じなので,本文中で言及するときは,煩雑を避けるため原則として後者のみ記す).
 
Graduale Novum I, p. 247.
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更新履歴

2025年1月26日 (日本時間27日)

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【教会の典礼における使用機会】

【現行「通常形式」のローマ典礼 (1969年のアドヴェントから順次導入された) において】

 1972年版Ordo Cantus Missae (Graduale Triplexはだいたいこれに従っている) では,次のところに今回の拝領唱が記されている。

  •  アドヴェント (待降節) 第1週の水曜日。

  •  降誕節中の1月8日 (主の公現の祭日を原則通り1月6日に祝う場合。主の公現の祭日を1月2〜5日にくる日曜日に移して祝う場合は,それに続く火曜日。主の公現の祭日を1月7日もしくは8日にくる日曜日に移して祝う場合は,火曜日がくる前に降誕節が終わるのでこの定めは関係なくなる)。

  •  年間第6週 (金曜日と土曜日を除く)。

  •  聖ピウス (ピオ) 10世の記念日 (8月21日)。ほかの選択肢あり。

  •  (内容が聖体拝領そのものによく合うので) いつでも任意に用いることができる拝領唱 (7つ挙げられているうちの一つ)。

 2002年版ローマ・ミサ典礼書 (Missale Romanum) においては,PDF内で "Manducaverunt", "saturati", "desiderium", "fraudati" をそれぞれキーワードとする検索をかけた限りでは,今回の拝領唱は年間第6主日にのみ割り当てられている (ほかの選択肢あり)。

【20世紀後半の大改革以前のローマ典礼 (現在も「特別形式」典礼として有効) において】

 1962年版ローマ・ミサ典礼書 (Missale Romanum) では,PDF内で上記キーワードで検索をかけた限りでは,今回の拝領唱は五旬節の主日 (四旬節第1主日の1週間前) にのみ置かれている。

 AMSにまとめられている8~9世紀の諸聖歌書でも同様である (AMS第36b欄)。
 

【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】

Manducaverunt, et saturati sunt nimis, et desiderium eorum attulit eis Dominus: non sunt fraudati a desiderio suo.
彼らは食べ,余りあるほどに満腹した。彼らの欲するものを彼らにしゅはもたらしてくださった。彼らは自らの欲するものを与えずにおかれはしなかった。

 詩篇第77篇 (ヘブライ語聖書では第78篇) 第29節全部と第30節前半が用いられている。この第77篇は,ヤコブからダビデまでの時代に「しゅ」がその民 (イスラエルの民) にどのような恵みを与えてきたか,それなのに民が「主」に対していかに不信仰だったかを振り返るものである。そのうち今回の拝領唱になっている箇所は,出エジプトの途上でマナ (天からのパン) と肉が「主」から与えられたときのことを語っている
 テキストはローマ詩篇書ともVulgata=ガリア詩篇書 (ドイツ聖書協会2007年第5版) とも少しだけ異なっており,相違点は次の通りである (「ローマ詩篇書」「Vulgata=ガリア詩篇書」とは何であるかについてはこちら)。

  •  ”Dominus (しゅが)” の語はこれらの詩篇書テキストの対応部分にはない。もとの詩篇を通読すれば分かるがこの箇所だけ読んでも分からない主語を明示するために加えられたものであろう。

  •  ローマ詩篇書では “non sunt fraudati” の直前に “et” (英:and) がある。
     

【対訳・逐語訳】

Manducaverunt,

彼らは食べた,

manducaverunt 彼らが噛んだ,彼らが食べた (動詞manduco, manducareの直説法・能動態・完了時制・3人称・複数の形)

et saturati sunt nimis,

そして余りあるほどに満腹した,

et (英:and)
saturati sunt 満腹させられた (動詞saturo, saturareの直説法・受動態・完了時制・3人称・複数の形) …… ”saturati” は上記動詞をもとにした完了受動分詞の男性・複数・主格の形,”sunt” は動詞sum, esse (英語でいうbe動詞) の直説法・能動態・現在時制・3人称・複数の形である。このように,ラテン語では受動態・完了時制は「完了受動分詞 + sum, esseの現在時制」という形で表される。
nimis 過度に;大いに

et desiderium eorum attulit eis Dominus:

彼らの欲するものを彼らにしゅはもたらしてくださった。

et (英:and)
desiderium eorum 彼らが欲するものを (desiderium:願望を,欲求を,需要を,eorum:彼らの) 
attulit 運んできた,持ってきた (動詞affero, afferreの直説法・能動態・完了時制・3人称・単数の形) ……不規則動詞であり,現在時制と完了時制とで形がすっかり変わるのでその中でも特に分かりづらいものであろう。基本となる部分は現在時制でfero,完了時制でtuli (今回だと3人称・単数なのでtulit) であり,そこに接頭辞adがついているというのがこの動詞である。つまり本来adfero, adtuli (3人称・単数:adtulit) なのだが,音便が起こってaffero, attuli (attulit) となっているわけである。
eis 彼らに
Dominus しゅ

non sunt fraudati a desiderio suo.

彼らは自らの欲するものを与えずにおかれはしなかった。

non sunt fraudati 彼らが与えられずにいることはなかった (non:[否定詞],sunt fraudati:彼らが与えられずにいた [動詞fraudo, fraudareの直説法・受動態・完了時制・3人称・複数の形])
……ラテン語における受動態・完了時制の表されかたについては,先ほどの “saturati sunt” のところで説明した。今度は語順が逆になっているが,”fraudati sunt” と書くのと同じだと考えてよい。
……動詞fraudo, fraudareの基本的な意味は「騙し取る」であり,また騙す騙さないにかかわらず「奪う」という意味でも用いられる語らしいが,上記のような意味も手元の辞書 (Stowasser, Sleumer) に載っており ("vorenthalten"),今回の文脈にはこれが最も合うと思われる。
a desiderio suo 自らの欲するものから (a:〜から,desiderio:願望,欲求,需要 [奪格],suo:自らの)

 

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