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嵐“Record of Memories”に見える人間性と表情の話

「この映画はドキュメンタリーですね」

堤幸彦監督がかけられた言葉だそう。

11月26日、全国公開初日に『ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”』を観てきた。ドルビーシネマで1度観ているので、2度目。

予約が苦手なわたしに代わり友達が舞台挨拶回のチケットを取ってくれて、堤監督と、櫻井翔さんのお話を那覇からの中継で聞くことができた。感謝カンゲキ雨嵐。

撮影当日は125台のカメラをつかったこと、映像は全部で17日分にもなることなど、気になる話はたくさんあった。

そんな中で一番わたしの印象に残ったのは、映画づくりで意識したことを尋ねられた堤監督が、「嵐の人間性と表情」と答えたこと。

ちょっとしたところで触れ合う肩、目が合ったときの表情、カメラ越しのファンに向ける目……そういうものに、一人ずつの人間性が感じられるし、そこにグッと来てしまう。


「アイドルは好きだけれど、ステージの上にいるときの姿にしか興味がない。プライベートがどうとかはどうでもいい」と言う方と話したことがある。アイドルとして、というより、人にほれてファンをやっているタイプのわたしとは真逆すぎて、そういうスタイルもあることに目を見開いた。そんな割り切れるものですか…?


透けて見えるあなたが好きだ、と思う。

嵐は二宮和也くんがどうしようもなく好きなわたしは、ニノちゃんのダンスも歌も、ちょっとしたときの表情や反応も、一瞬一瞬の全部が好きでたまらない気持ちで映画を観ている。そこに映る二宮和也という人は、好きのかたまりを形にしたような存在なのよ。

以前、白石麻衣さんが「ありのままを見てほしいから、ありのままが恥ずかしくないよう、素を磨いてます。」とお話されていたのを素敵だと思って、その話を書いた。

素は、普段の生活だけじゃなく、ステージの上でもにじみ出るものだと思っている。

どんなにすごいアイドルや俳優さんだって、ステージの上では自分を0にして、アイドルのその人、役柄の〇〇さんを演じている訳ではない。

自分の上に役を乗せたり、自分の一部を抑えたりしている感覚で「見られる自分」をつくっているはず。普段とのギャップは人によるだろうけれど、誰だって「自分」というベースをもとにつくっている。


この映画でのニノちゃんについていえば、いつもより気合が入っているんだろうな、とわたしは感じた。

バラエティーでの自然体なトークや、映画のなかでもちゃんとその役の人が日常を生きている一部だけを切り取ったような、常温感が彼の魅力で。普通でいるというのは、普通でいるっぽく見せるというのは、人に見られている環境でどれだけ難しいことか……

それが。

20周年ツアー「ARASHI Anniversary Tour 5×20」では、攻めの二宮和也だった。嵐のコンサートには何度も入ってきたけれど、こんな攻めるニノちゃんなかなかないな、とわたしは思う。それすら彼がコントロールしてみせたものと言われればそこまでだけれど、この20周年のコンサートがそれだけ特別で、思いをもって届けてくれたものなんだ、と、約2年ぶりに観たわたしにはグッときた。



2019年12月23日に東京ドームで起こったあれこれが、ぎゅっと詰め込まれているのがこの映画。嵐の5人と、52000人のファンと、関わっているスタッフと。同じ場所にたくさんの人たちがいて、それぞれの特別な日になったはずだけれど、見えていた景色はすべて違う。

その中から125の視点で切り取った映像を、嵐をよく知る堤監督が、一番かっこいい!と思えるように切り取ってつないでくれたのがこの映画だ。

わたしの力では語りつくすことはできないけれど、とりあえず全国公開初日を一緒に観に行った友人と、途中になっている「2回目一緒に入るのいつにする?」という話をすすめなくちゃと思っている。



ドルビーでの初見の感想はこちら▼

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