最後のおこづかいは、きっと一生とっておく
大事にしているけれど、きっと、一生使うことはないだろうと思っているポチ袋がある。
中には、小さく折った一万円札。
「じいちゃんから、最後のおこづかいだから受け取って」
お葬式の会場で、めずらしく伯父さんに呼ばれて手渡された。
祖父は、数年前に亡くなった。4月8日で、いい日でよかったと思った。
すごく元気で、80歳を超えても体の具合が悪いところはないし、駆け足だってできるよというのがいつも自慢だった。
わたしは地元の山で植物採集をして大学の卒業論文を書いたのだけれど、そのとき採集に付き合ってくれたのがじいだった。体力なくて一時間も歩けばヘロヘロのわたしに反してじいは、疲れた様子をまったく見せたことはない。
わたしの3倍くらい歩いては、崖を降りて行ったり、高いところは木によじ登ったりしながら「ゆうちゃん、これは?」と、それらしい植物を集めてくれた。
無事に大学を卒業できたのは、実はじいのおかげです。
じいは、母が小学生の頃に奥さん(わたしの祖母)を亡くしている。
伯父と母が家を出てからは、ずっと一人で暮らしてきた。
別に暮らしてはいたけれど、家からじいの家までは車で20分くらい。
子どもの頃は、2か月に一度くらいは週末にじいの家に行ってごはんを食べた。
じいの家に行く前は、必ず母が「じいちゃんに電話して」と姉妹に言う。
日によって、3姉妹のうち誰が電話するかは違っていた。
「もしもし、じいちゃん?」
「あぁ、ゆうちゃんけ」
突然の電話だし、声が似ていた私たち姉妹の声を、じいは一声聞いただけで分かってくれた。
何なら名前も1文字ずつしか違わないから、親でもしょっちゅう間違えるのに。
「今から行くけど、何か買っていくものある?」
「何にもなくて大丈夫だよ、待ってるね」
何回も電話をかけたけど、何か買ってきてなんて一度も頼まれた記憶はない。
もっと頼ってくれればいいのにな、ってときどき思ってしまうくらい、自分のことはきっちり自分でやる人だった。
じいの家でごはんを食べたり、テレビをみたり、特別なことはしないけれど、そうしておしゃべりしながら数時間過ごす。
「じゃあ、そろそろ帰るけ」
母がそういうと、じいはすっと立って、たんすを開ける。
「じゃあおこづかいやんなきゃだ」
そういって、3つのポチ袋を出してきて、わたしたち姉妹に手渡してくれた。
小さい頃ならまだしも、大学生になっても、ハタチを過ぎても、じいは毎回おこづかいを手渡してくれた。
「もう大きくなったからいらないよ」
そういったこともあったとは思う。それでもいつもたんすに3人分の袋を用意してくれている気持ちがうれしくて、最後までおこづかいをもらい続ける孫でいた。
体はずっと元気だったじいだけど、最後の数年は認知症になってしまった。
同じ話を何度もするようになって、亡くしものが多くなって、人の名前を忘れていって。おこづかいも、いつのまにかなくなった。
そういうじいを見ていくのはやっぱり寂しかったけど、最後までずっと、わたしにはやさしいじいだった。
小さい頃から、じいにやさしくされなかったことなんて一度もない。
そんなじいが、最後にくれたおこづかい。
最期のときは何年も自宅に帰ることもできなかったので、きっと本当は、伯父がじいの気持ちを汲んで用意してくれたもののはず。
それでも、元気だったら、3姉妹がみんな社会人になった今もじいはきっと、おこづかいを手渡してくれたんじゃないかなぁ。お金がどうとかじゃなくて、それが言葉は多くないじいの、孫への愛だったんだと思うから。
「働いてるんだから、もういいよ」って笑いながら、いつまでも「ありがとう」をして受け取りたかった。
中のお金を使うことはこの先もきっとないけれど、ときどきポチ袋を手にとると、じいがわたしたちを大切にしてくれたことを思い出す。
じい、おめでとうが届いたよー^^