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知名度が先か、ブランドが先か。
また、石丸と選挙の話をしてしまうが。
自分というブランドを育てるには、まず知名度を広げてバズらせないと話にならない、という人がいる。一方、知名度の広げかたに問題があってはいけない、と批判する人もいる。
どちらも正しい。東京都知事選というのは広大な土壌に、わかりやすい政策という種をばら蒔いて、とにかくファンという芽を出させる「プロモーション」というお仕事だ。選挙でファンがたくさん出てきたら、それを大切に育てていかなくてはいけない。そこからが「ブランディング」というお仕事なのだと思う。つまり、過激な言動は必要だが、同時に、それは選挙のためにやっていて実はいい人だと思われなきゃいけない。両輪なんだと思う。
なので、「石丸伸二はプロモーションには成功したが、ブランディングには成功していない」ということになる。たしかに風は吹いたが、風が吹いた後に何が残ったというのだろう。それとも、高圧的?それはお前の物言いが悪いからや!という自己正当化を自分に正直な男だとする亀田史郎タイプのブランディングをしていくつもりなんだろうか。
ブランドとは、知名度という土壌の上に咲く花なんだと思う。
まず、知名度という土地がなくてははじまらないが、その土地にいきなりブランドは咲かない。いつか花開くことを信じて、目をかけ、手をかけ、くじけそうになっても、けなげに育てるものだ。アイドルなんかは、みんなそうして地道にやっている。ブランドという花を育てていくのは言葉であり、語り口である。そこを今石丸はなおざりにしている。繰り返してすまないが、石丸伸二は自己のプロモーションのプロではあるが、自己のブランディングにおいてはアマチュアである。
石丸は、選挙に負けた後も、まだプロモーションをやっている印象だ。もう十分に芽は出たのだから、さらに騒ぎの種を蒔く必要はないし、騒ぎを蒔き散らかしたところで、管理しきれない雑草が広がっていくだけ。せっかくたくさんのファンという芽が出たのに、それをしっかり育てる気がまるでない。もったいないの一言である。選挙で広げた知名度を生かして、全く別の食いものを育てている感。何で食べていくつもりなんだろう。
それに比べて、安野たかひろである。この人は、選挙プロモーションこそ新しい手法を試したくて、どこまで勝つ気があるのかわからない実験的好奇心先走りの印象だったが、ブランディングというものをわかっている、気がする。「応援ありがとうございました」はもちろんの活動だが、この人はその後の検証が綿密。石丸との比較で評価されるのは本人も嫌がるだろうが、それでも、敗戦後の知見をここまで丁寧に報告されると頭が下がる。出てきた芽に水をやることを忘れていない。これを貫いて、ファンに声をかけつづけ、手法を研ぎ澄ませつづけ、4年経ったら、すばらしい花が咲くと思う。
ブランディングというのは、持続性そのものだと思う。即、結果が出るものではないし、どんなにくだらなくても、持続することそのものが価値になる。このブランディングに成功しさえすれば、もう一過性のプロモーションなど必要ない。街頭演説というプロモを減らして勝った小池百合子がいい例だ。実質、中身はないが大きな失敗はしないだろうというブランドを築いた百合子は、この選挙にもう4年前から勝っている。結果論に聞こえるかもしれないが。
さて、今日の音楽は、あいみょん「愛の花」。
選挙が終わって、石丸は高圧的になった。
一貫性をもつべきは自己の性格にではなく、他者への態度なのだなあ、と、しみじみと思う。自分の考えに執着することを、一途とは呼ばない。