見出し画像

匿名性と実名性、”本当のあなた”は、どこにいるのか。

「まだ探してるの?本当の自分。」

約2週間前のこと、毎日NOTE会で一緒に頑張ってきた、ゆかちさんが毎日投稿をやめる宣言をしておりまして、、、

毎日記事を楽しみにしていた僕としては、本当に残念な気持ちになったけど、

ゆかちさんが決めたことだから、仕方ない。
と思いつつ、、、ついつい自分のことも考えた。

僕も、自分の実名や写真は明かさずにNOTEを続けているけれど、
僕は、自分の実名も写真も晒すつもりはない。


ゆかちさんの決断をきっかけに、

改めて自分らしさ、本当の自分。って何だっけ。

ということを考えてみました。

今日は、読者のみなさんと、

匿名性と本当の自分。

について考えてみたいと思います。

■本当の自分って、何。

読者のみなさん、クリエイターの皆さんは、

実名、写真付きだったらnoteを始めただろうか。


僕は、正直に言うとNoだ。


実名で例えば友人に見られたり、会社の同僚や上司に見られるのは、正直勘弁だ。


SNSの自分と、リアルの自分。


どっちが本物の自分なのか。


なぜ、匿名じゃないと言いたいことが言えないのか。
なぜ、実名を使って同じことを発信するのを、僕らは怖れるのか。

どうして、会社の人や友人を前にすると僕らは、
自分の言いたいこと、書きたいこと、つまりは本音を言えなくなってしまうのか。


もっと、自由に本音や想いを伝えられるようになりたい。
もっと、どんな時も自分らしさを表現できるようになりたい。

匿名性という檻の中から想いを叫ぶだけじゃなく、そこから抜け出して、あるがままの自分でいたい。


どんな時も、私は私でいたい。

でも、人の前だと自分らしく振舞えない。

そんな息苦しさを感じている人がいるとしたら言わせてほしい。


SNSのあなたも、会社でのあなたも、友人といるときのあなたも、全部あなただ。


そんなことで悩むのは、もうやめよう。

■自分らしさを、追いすぎない。

人の記憶は、都合のよい出来事をストーリーにつなぎ合わせているに過ぎない。


簡単に言うと、人の記憶は都合よく作られているのだ。


それは、歴史に似ている。

戦国時代を生きる武士に、

「俺たちは、戦国時代を生きている。」

なんて感覚はなかった。あるのは、生きるために敵兵を斬るということだけだった。

世界大戦で敵国と戦う兵士に、

「俺たちは、今。世界大戦の真っただ中にいる。」

なんて感覚はなかった。あるのは、人間であふれかえった塹壕と、激しい爆音だった。


つまり、戦国時代も世界大戦も後付けで作られた、

ストーリーに過ぎない。

最前線で戦う本人にとっては、そんなことはどうでもよかった。
生きるか、死ぬかの方がはるかに大事だった。

自分らしさも同じだ。都合の良いストーリーに過ぎない。

僕らは、自分のらしさを作りあげるために過去の都合の良い出来事を、つなぎあわせて自分史を構成しているだけだ。

“こどもの頃から、一人でいるのが好きだった。
友達は、人ではなくて本だった。
今でも、友人は少ない。でも、それで十分。
私には、本がある。だから、これからも一人で生きていく。
パートーナーなんて、いらない。“


なんて、自分のイメージを作り上げて固執しない方が良い。
10年後、やっぱり誰かと一緒に過ごしたいと思っているかもしれない。

10年後、いや1年後の自分がどうなっているかなんて、僕らには予想できない。

人は、変わり得る存在だ。

だから、自分らしさに拘るのはやめよう。


SNSでは、言いたいことを言えている。

友人の前では、言いたいことが言えない。


SNSの自分が本当の自分で、友人の前の自分が偽物の自分。

なんてことはない。


どっちもあなただ。
本物の自分を追い求めるのは、やめよう。

それは、都合のよいフィクションに過ぎない。


■本音をさらけ出せれば、それで良いのか。


どんな時も、自分らしくありたい。
どんな時も、自分の思うことを、ありのまま伝えたい。


本音が言えない。。


そんなことで悩むのもやめておこう。


本音なんか、めったにさらけ出さない方がいい。

“本音をあけすけに語っても、自分をこっけいに見せるだけだ。“


実は、、、
心の底では、、、、
本心では、、、


そんなことを何度も打ち明けられたら、聞いてる側はたまったもんじゃない。

なんで、この人は自分の言いたいことばかり言うのだろう。
なんで、この人は自分のことばかりしか考えないのだろう。

と、思われるのがオチだ。
本音は、心の中にしまっておく。

時折、信頼できる家族や友人と話せればそれで充分だ。


2番目の人格を作ろう。
それは、2重人格でもなんでもない。

“安定した信頼を勝ち得るための、「職業上の外向きの顔」だ。”

外務大臣と内務大臣がいるように、外交と内政があるように。

人からの信頼を得るのは、
本音をさらけ出すことによってではない、
約束を守る、礼節を重んじることだ。

誰も、あなたが本音で語ることなんて期待してない。

むしろ、2番目の人格を作り、
不平不満を述べずに、きっちりと仕事をこなす。
期待以上のことをやる。

そうして、周りからの信頼が得られれば、
結果として、外側と内側の自分を分けることができ、あなた自身も安定してくる。

常に、内側の自分を外に発信する必要なんてない。

■重要なのは、受け入れているか否か。

SNSの炎上。

それは、匿名という壁に守られた個人が、本音を吐露してるから起きてるんじゃないか。


だから、匿名なんてやめて、実名という看板を背負い、責任のある発言をするべきだ。

そんな意見もあるだろう。

大切なことは、


そんな自分を、受け入れているのか。


ということ。

SNSでの自分、会社での自分、友達と過ごす自分。いろんな自分の在り方があっていい。


でも、SNSで個人を批判する人達が問わないといけないのは、

そんな自分を、受け入れているのか。

ということだ。

僕も、小学4年生は苦しんだ。

優等生の振りをしていた。

息苦しかった。時折、すごくむしゃくしゃした。

優等生のはずなのに気づいたら、習い事のピアノをさぼり、教科書をビリビリにしていた。

僕は、優等生の僕を受け入れていなかった。


批判は、自己批判の表れじゃないだろうか。

自分を受け入れてないから、他人を受け入れらない。


そして、自分を受け入れるために必要なことは、
どんな時も、自分らしさをさらけだすことじゃない。


自分の価値を少しずつで良いから、信じてあげることだ。


仕事で頑張って、会社に貢献する。
Noteを一生懸命書いて、読者に貢献する。
こどもを育て、こどもたちにの成長に貢献する。
日記を書いて誰かに貢献した努力を振り返り、自分に貢献する。

そういう小さな一歩を、いろんな場面の自分で積み上げる。


だんだんと、自分の価値を感じることができるようになり、自分を受け入れることができるようになった時に、


僕たちは気づく。


本音をさらけ出すことは、本当の自由でないことに。


■匿名性に悩む、人たちに。

もし、読者の皆さんの中で、

言いたいことが言えない。
自分らしく振舞えてない。


そういったことで悩んでいる人がいるならば、あまり深く考える必要はないと僕は思う。

仕事でのあなたも、SNSでのあなたも、どっちもあなただから。
匿名性で守られていろんなことを書き、伝えるのも、あなた自身。

変に自分らしさを追い求めないこと。

僕らの、自分に対する評価なんて当てにならないし、10年後にはいくらでも変わり得る。

いつでも、本音を語るのが良いわけじゃない。

人から信頼されるのは、あなたが本音を語るからじゃない。約束を守るから、礼節があるからだ。

あなたが周りの人に、本音を語ることを期待していないように、
周りもあなたに、本音を語ることを期待していない。

だから、本音で話せないことに気を病むのはやめておこう。

もし、それでも何か自分自身に息苦しさを感じるのなら、それは


自分を受け入れていない証拠かもしれない。


ならばやることは、本音を語り、自分の気持ちを吐露することではない。


自分の価値を信じられるような、一歩を踏み出す。


この世界に、あなた一人しかいないなら、
いくらでも本音を語ってもらっても構わない。

でもこの世界には、70億人の人が生きている、
だったら、僕らのやることは社会、つまり目の前の誰かに貢献すること。

貢献さえすれば、それで良い。

それが、自分の価値を信じるための一歩。


それが、自分を受け入れるための一歩になる。


匿名だの実名だのは関係ない。


どんな場面もあなたも、あなた自身なのだ。


P.S : ゆかちさんへ、どんな場所であれ、自分であれ。頑張ろね👍

noteを通じてサポートし合えたら嬉しいです!!よろしければサポートお願いします!noteを通じて、少しでも良い人生、良い世界に。