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分かってもらえるとは思わないけれど、誰かに分かってもらえたら、救われるような気がする
" 今日も上手く生きられなかったなぁ "
疲れた帰り道、私はいつも
鈴木さん元気かなぁ?って思う。
鈴木さんとは、きっともう二度と会うことは
ない。連絡先も知らないし。
だけどあの日の帰り道にした会話は、
これから先もずっと覚えているような気がする。
鈴木さんは元職場の人。去年の秋頃に退職した。
いつも周りをよく見ていて、気が利いて明るくて、楽しそうに仕事をしてるように見えていた
ので、退職するって知ったときは驚いた。
ある日、たまたま帰るタイミングが
同じになったので駅まで一緒に歩いた。
そこで遠回しに退職する理由を聞いてみたところ、
「これ、あんまり誰にも話してないんですけどね、」
と言って、特別に話してくれた。
聞くところによると、
職場内の「音」が気になるらしい。
例えば、周りの人がPCのキーボードを叩く音。
その音が激しいと、その人の機嫌の悪さを感じて疲れる。
例えば、クレーム対応をしている事務の人の
電話口から聞こえるお客さんの怒鳴り声。
まるで自分が怒られているように感じて疲れる。
昔から「音」に敏感らしく、職場内のそういう
色んな音に疲れてしまったらしい。
そして、機嫌が悪い人を見ても
自分は何もしてあげられないからモヤモヤして
疲れる。とも言っていた。
それを聞いて思ったのだけれど、きっとこの人は
人の気持ちを想像しすぎて自分のことのように
感じてしまう繊細さと優しさを持ってる人なんだなぁと。
感受性が強すぎると生きづらいけれど、その優しさはきっとどこかで報われて欲しいと思ったし、
どうかそのままでいてください、と思った。
そしてこの話をするとき、
「なんて言ったらいいのか、分からないんですけどね、」と何度も言いながらも伝えてくれた。
その「なんて言ったらいいのか分からないこと」
って、その人の本質だったりする。
話しても分かってもらえないかもしれないという不安を抱えながらも
私に本心を話してくれたことが嬉しかった。
だから私は、
「分かりますよ、言おうとしてること、分かります」と伝えた。
そのときは上手く言えなかったけれど、
本当に気持ち分かるなぁって思ったんです。
私は鈴木さんのような優しさは持ち合わせていないけれど、周りの環境に敏感で疲れてしまう
ところは、まさに自分のことのように感じた。
まず、朝の満員電車がしんどい。
不機嫌な人間達が詰め込まれた列車。これから仕事なわけだから機嫌が悪いのは仕方ないと思うんだけど
当たり前のようにぶつかってきたりとかさ、
そういう空気に疲れる。
朝、会社の扉を開けて入る時、すごく緊張する。
いいようのない不安感。いつも逃げ出したくなる。
仕事が始まって、目の前のことに集中できてる時は全然いいのだけれど、
周りに優秀で必要とされてるような人が
バリバリ仕事をしている姿を見ると
自分の代わりはいくらでもいるような気がして
泣きたくなる。
昼休憩の時、会話の中に入っていかなくちゃって思うと疲れる。
私は、複数人の会話が苦手で(友達同士なら楽しいけど)
みんなが話してるこの会話の、どの部分に反応したらいいのかな、とか
こんなこと言ったらおかしいかな、とか色んなことを考えてしまう。
そして、本人がいないときに
周りの人達が陰口を言ったりしてるあの時間が
苦手。
同調とかしたくないし、でもどんなリアクション取ったらいいのか分かんなくて
私は黙って空気と化す。
そういうの聞いてると
自分のことも陰で何か言われてるんじゃないか
って不安になる。
なんでだろう。仕事をしに来てるのに、仕事以外のことに疲れてしまう。
別に、職場の人間関係がすごく悪いとか仕事が
嫌だとか、そういうことではないのだけれど。
耐えられないほどではない。体調が悪くなるとか精神が病んでしまうとかそういうほどではない。
だけど、毎日ちょっとずつ、ちゃんとしんどい。
これまで何度か転職して、
いろんな職場を経験したけれど
私はいつもこうして、仕事以外の部分で疲れていた。
そして数年前、これからの生き方を考えた時に
辿り着いた答えが
「平日も楽しめる人生がいい!!!!!」
ということだった。
フルリモートワークという働き方。
仕事よりも環境に疲れてしまう私にとっては、
これしかないと思った。
それからは、自由な働き方ができるような業界を調べて、今の職場も、経験を積むために入社した。
そして、先日まさに、ずっと理想としていた
働き方ができる会社に転職が決まった。
そのとき私は、自分でも驚くほどに泣いた。
もう環境に疲れることはない。やっと仕事だけに集中できる。
そう思ったらホッとして嬉しくて涙が止まらなかった。
私にとってこれまでの社会人生活は、自分で思っていた以上に苦しかったのかもしれない。
本当に悩んでいることほど、誰にも言えなかったりする。
もしみんなそうなんだとしたら、この世界中の
人達はみんな孤独を抱えて生きてるってことなのかなぁ。
こんな些細なことで悩んでいる自分は、とても弱いんだと思っていた。
だけどあの日、鈴木さんが話してくれたことで、私は少し救われた気がする。
自分にしか分からないことってたくさんある。
その苦しみも悩みも喜びも。
でもだからこそ
そういう自分にしか分からない部分と向き合って大切にすればいいんじゃないかな、と最近思う。
人は皆、言葉にできない思いを抱えていて
それは人には説明できないもので、
誰かに言っても仕方のないことで
だからこそ、自分の思いを代弁してくれるような
音楽とか映画とか本とかが救いになるんだろうな。
そしてたまに誰かと分かり合えたりした時は
きっと、涙が出るほど救われたりするんだ。
そんなことを思った、土曜日の夜。
それでは聴いてください、
クリープハイプ「二十九、三十」