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クリティカル・シンキングとは一体何か?

はじめに

昨日、弊社の理念である「今、これからを生きる力を」の"生きる力"について世界の様々な機関でどのように定義されているのかを確認してきました。

その中でもクリティカル・シンキング (批判的思考) はこれからを生きる上で非常に重要な資質であると定義されています。

また、弊社のオリジナル教材「Thinking Critically about SDGs」教材においてもSDGsを学びながら、社会問題に対してクリティカルに考える力を養う教材として開発・提供をしています。弊社においても生きる力を定義する上でクリティカル・シンキングを非常に重要な立ち位置であると認識しています。

一方で、クリティカル・シンキングは、日本では批判的思考と"批判的"とあるようにネガティブな印象を受けることも少なくありません。クリティカル・シンキングについて一定の理解があるとそのようなニュアンスを含んだ言葉ではないので、今日は改めてクリティカル・シンキングについてどのような概念であるかを明らかにしていきたいと思っています。

私自身、ジョナサン・ヘイバー著「クリティカル・シンキング」を何度か読んでいるのですが、改めてクリティカルシンキングは現代社会において必要な能力であるとの記述があります。

現在では、世界各国の教育者の教育改革に携わる人々はことあるごとに、丸暗記式学習法からクリティカル・シンキング能力を養成する学習法への転換を主張しています。事実、社会人として雇用者側が求める最も高度なタイプはクリティカル・シンキングの持ち主、クリティカル・シンカーです。

ジョナサン・ヘイバー著 『クリティカル・シンキング』9ページより

そして、クリティカル・シンキングの思考の組み立て方、としては以下の点が重要であると指摘しています。

・自分、あるいは他者が何を考え、何を伝えているかを明確にすること
・自分が信じていることや、他者に信じてもらいたいことの背後にある理由をはっきり示すこと
・ある考えを支持する根拠が正当化どうか、その判断を見極める能力があること

ジョナサン・ヘイバー著 『クリティカル・シンキング』60ページより

いかがでしょうか。何かお気づきでないでしょうか。

生きる力の定義でも記載した、OECDのグローバルコンピテンスで強調される、"Understand and appreciate the perspectives and world views of others" (他者の考えや様々な側面を理解する)や21世紀スキルで必要な3つの資質の一つにあった、"Literacy Skills"については、まさに同じような意味合いを含んでいます。

一方で、21世紀スキルは、"Learning & Innovation Skills"の部分にクリティカルシンキングは別の要素で明確に重要な資質として記載があります。

しかし、ここで言えるのは、クリティカル・シンキングは全ての資質において含まれている概念だと言えることです。

情報を正しく選ぶことができるスキルについては、情報リテラシーが高いとも言えるが、クリティカルシンキングが高いとも言えます

様々な意見を尊重することができるということは、多様性を尊重できるとも言えるが、クリティカルシンキングが高く、多面性を理解することができるとも言えます

つまり、クリティカル・シンキング能力は人間の思考活動の全てにおいて大きな役割を果たすと言えます。

クリティカル・シンキングとは何か?

いきなり核論をつく話から行きます。

クリティカル・シンキングの共通の定義は存在しません。

ジョナサン・ヘイバー著 『クリティカル・シンキング』128ページより

これをみて、このブログの目的とは、、、と思うかもしれません。笑

しかしながら、本著では同時に「クリティカル・シンキング」が何かまるで検討がつかないということでもないと記述しています。

クリティカル・シンキングは時代や場面によって定義が変わっていると言った方が正しい表現かもしれません。

ここでこれまでクリティカル・シンキングを定義しようと試みてきた数々の偉人や機関を紹介します。

いかなる信念、いかなる知識の想定形式であっても、それを裏付ける根拠や自ずと導かれる結論に照らして能動的、持続的、慎重に検討すること
- ジョン・デューイ著『思考の方法』,「反省的思考」,1910年

ジョナサン・ヘイバー著 『クリティカル・シンキング』128ページより

(1)経験から生まれる問題やテーマを思慮深く検討しようとする姿勢
(2)論理的探究と推論の方法に通じていること
(3)(1)と(2)を適用する能力
- エドワード・グレーザー, 1941年

ジョナサン・ヘイバー著 『クリティカル・シンキング』128ページより

自分自身の思考を客観的に眺める「メタ認知」能力の獲得と、「思考の偏り(バイアス)」の克服の2点を重点に置く

主題や内容や問題を問わず、思考者自身がそれらを巧みに分析、評価、再構築して、考えの質を向上させるという思考法。自発的で自律的、自己監視型にして自己修正型の思考法があり、注意深い実践と優劣に関する厳格な基準の適用を前提とする。
- クリティカル・シンキング財団

ジョナサン・ヘイバー著 『クリティカル・シンキング』130ページより

・反省的で合理的な思考法。何を信じ、何をすべきかの決定に重点を置く
・意図のはっきりした目標思考型思考であり、「判断形成を目的とした」思考。思考そのものが一定水準の妥当性と正確性を満たしている
・問題解決、意思決定、新しい概念の学習に用いられる思考プロセスまたは戦略的思考、またはその表明

ジョナサン・ヘイバー著 『クリティカル・シンキング』131ページより

これをみてもうお分かりの通り、非常に難解です笑

これらの共通項、クリティカル・シンキングが目指す目標として述べられているのは、以下です。

個人がそれぞれ自立した主体となること、自ら体型的に思考できるようになること

ジョナサン・ヘイバー著 『クリティカル・シンキング』134ページより

まずはここの部分だけ覚えておけば良いのではないかと思います。非常に抽象的ではありますが、しっかりと個人が論理的に物事を考えられるようになること、と言えるかもしれません。

クリティカル・シンキングとロジカル・シンキング

みなさんは、クリティカル・シンキングとロジカル・シンキングは大体いつもセットで語られる場面を目にしたことはありませんか。ロジカル・シンキングは論理的思考、なんて言われますよね。

しかし、何かとセットにしがちなこの2つの概念ですが、クリティカル・シンキングとロジカル・シンキングがどのような関係性を持っているのか説明しろと言われても意外と難しいです。

結論から言うと、クリティカル・シンキングはロジカル・シンキングなしには達成できないということです。クリティカル・シンキングの考え方は"論理学"という土台の上に立てられている概念のため、論理性なくしてクリティカル・シンキングはありえません。

論理学を体系化した最初の人はアリストテレスと言われており、アリストテレスの方法論の土台は、三段論法 (シロズム)です。

著書では三段論法を以下のような記載で表現しています。

大前提 (前提1):すべての「動物」である
小前提 (前提2):すべてのコリーである
結論:ゆえに、すべてのコリー「動物」である

ジョナサン・ヘイバー著 『クリティカル・シンキング』65ページより

この三段論法にはその名の通り、3つのレイヤーに分かれ、それぞれが大前提、小前提、そして結論という風に分かれています。

この3つの段階にほころびがなければ「妥当性と健全性がある」といえる論証になります。

他にも「モーダスポネンス」「モーダスポレンス」などがありますがここでは詳しくは記載しません。興味のある方はぜひ著書を手に取ってみてください。

こういった論法がいくつかあり、この論証に誤りがあるか、「破綻しているか」を考えることがクリティカル・シンキングを行うということになります。

このように、論理を考え、その論理のほころびを見つける能力が重要になっており、そこにはロジカル・シンキングとクリティカル・シンキングが密接に関係しあっているということだと言えます。

クリティカル・シンキングの三要素

だいぶ簡潔にロジカル・シンキングとクリティカル・シンキングの関係性について述べてきましたが、それらを理解した上で、クリティカル・シンキングには3つの要素があると記述しています。

1. 背景の知識 - 論理的構造と使用される語句、議論の仕方といった、クリティカル・シンキングの構成要素に関する知識があること

2. 1.で示したクリティカル・シンキング要素を実際の場面に適用する能力

3. 個人の特性 - 情報を得て意思決定をする際には、クリティカルシンキング能力を誠実かつ倫理的に活用しようとする姿勢で、推論を優先して行おうとする個人的な特性

ジョナサン・ヘイバー著 『クリティカル・シンキング』123ページより

印象的なのは、3です。ただ単に論理的構造を理解し、それを場面ごとに応用するだけでなく、個人の特性にも目を向け、"倫理的"に活用しようとする姿勢という部分が特徴的です。

現代社会においては未来を予想することが難しくなっています。このような状況において、クリティカル・シンキングが重要と言われています。結局は、過去の事象を論理的に分解することは比較的容易にできますが、未来を論理的に語ることは不確定要素を多分に含み、それは論証されたとまでは言えず、あくまで推論の域を抜けません。

推論とは、分かっていない事を推し量って論ずること。学問上の用法では、何らかの論理規則に基づいて既知の事柄から未知の事柄を明らかにすること。 (Oxford Languagesより)です。

そうなると個人の特性によってどのように未来予想を考えるか、が非常に重要になります。

また、本著では、以下のようなことも強調しています。

クリティカル・シンカーが伸ばすべきもう一つの能力、メタ認知が出てきます。メタ認知は、自分自身の思考プロセスを認識し、理解する能力です。加えて求められるのは、自分の思考に他者の視点を反映させ、自分自身に置き換えて考えようとする姿勢です。

ジョナサン・ヘイバー著 『クリティカル・シンキング』123ページより

実生活でも単に論理で相手を論破するだけでは、組織において適切な意思決定とは言えません。他者の状況や考えも理解した上で、心の広さや共感性のような非認知的要素も盛り込み推論をしていくことが求められます。

人間の心は互いにせめぎ合う理性、感情、本能によって分断されている

ジョナサン・ヘイバー著 『クリティカル・シンキング』123ページより

まとめ

いかがでしたでしょうか。

クリティカル・シンキングは結局つかみどころがないのが魅力であり、非常に便利な言葉であるということはお分かりいただけたと思います。

しかしながら、日本でのクリティカル・シンキングへの印象が"批判的"と表現されていることでネガティブな印象を持っていることに対しては違和感を持つことができたのではないでしょうか。

批判的の"的"が重要であり、上述したような論理の「妥当性と健全性」について検証するということがクリティカル・シンキングです。

また、その論証は単なる論理だけでなく、個人の特性、すなわち倫理観も重要になってくると言われるということです。

かなり詳細を確認していくと非常に長くなりますので、ぜひ興味がある方は書籍を手に取ってみてください。

また、弊社の「Thinking Critically about SDGs」は様々な社会テーマにおいて、これまでまかり通ってきた社会の論理を一つ一つ検証できる教材となっており、この点においてクリティカル・シンキング能力を養う要素です。

こちらについても興味があれば、ご連絡ください。


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