コロナ騒動の最中、ひっそりと病院で胃カメラを飲むことになったわけ(リモートワークから生まれる目に見えない巨大なストレスの闇)
時は2月中旬。
「コロナウィルスというものが広がり日本でも感染者が出ている」
「これは早々にもリモートワークにしたほうがよいのでは」
そんな話が社内でも出たと思いきや「広まったらまずいので」ということで早々と私の部署ではリモートワークが始まった。
2/19水曜日のことである。
他の部署はまだまだそんな気配もなく、日本社会もコロナなんて大丈夫だろう。
といったようなゆったりした雰囲気だったと思う。
でもすっかり記憶がないのはなぜだろう。
相変わらずの満員電車と相変わらずの日常。
少なくとも私がいた東京ではそんな感じで
何一つとして変わったことは感じられなかった。(ちなみに今でも東京だが)
さてそんなわけで東京でひっそりと私のリモートワークが始まった。
実はリモートワークには慣れていた。
いや、正確にいうと慣れていたつもりだった。
このときは後々私を襲う胃の激痛など考える隙もなかった。
リモートワークに慣れているとはどういうことか。
前職はとても小さな組織で、オフィスなどはほぼなし、と言ってもよかった。
一応オフィス自体は存在したが、日々あちこちに外出をしており、またオフィス自体もお世話になっていた方から間借りしている状態であったことで、基本オフィスを使うことはなかった。
そんな状態で数年経験すると、リモートワークなんぞ訳ない、と過信するのもおかしなことではないだろう。
(いや私が過信しすぎていたのかもしれない)
そうこうしているうちに私はリモートワークを始めたのである。
リモートワークは実に幸せだった。
それまで通勤していたときは、6時前に起きて歯を磨き、テレビを少し見て着替えて7時前には出る、電車に乗る、8時頃に会社に着いてお仕事開始、というタイムラインだった。
(完全朝型人間です)
そんな生活から、7時過ぎに起きて歯を磨き、ゆっくりして8時から仕事ができる。
つまり一時間の通勤がないのでその分朝ゆっくりできるということ。
そんなの当たり前じゃんと思うが、当たり前なんかじゃなかったわけだ。
なんて素晴らしいリモート生活。通勤なんてくそくらえだ。
私はただただ高揚していた。
私の仕事は会社のバックオフィスのようなバックオフィスじゃないようなポジションだ。
毎日毎日スーツと革靴に身を包んでいた2年前から部署を変え、今はスーツのすの字も感じられないような、ゆるーい私服をまとう仕事になった。
社内のあちこちの部署との打ち合わせがメインの仕事だ。
もちろん当たり前のことだが、リモートワークになったことで、社内のあちこちの部署との打ち合わせが全部オンラインになった。
これは楽ちんだと感じ嬉しくなった。
社内の部署との打ち合わせの何が面倒なんだと言われたらこう答える。
「会議室予約が面倒だ。そして地味に移動が面倒なんだ」と。
会議室予約?
オンラインになったらZOOMで発行すればいいだけ。
それまではとんでもない数ある社内の会議室を一生懸命探し、相手の予定を見てマッチングするところを探す、これが結構時間がかかる。
「こんなことに今までどんだけ時間をかけていたんだ」
なんとも悲しい事実を改めて突きつけられた。
しかしそんな悲しい事実はもう過去のこと。
そうこれからは会議室の予約に苦しむ必要なんてないんだ。
そして地味に会議室への移動時間もうっとおしかったんだ、ということがわかった。
そんな面倒が一掃される。
そう思うだけで目の前に朝日が差し込んでくるような清々しさを感じた。
はてさて会議室予約もさくっとできるし移動もないし、なんてリモートワーク最高なんだろう。
密やかな幸せに包まれた私は矢継ぎ早にかつ洋々とオンラインミーティングをセットする。
そしてミーティングに挑む。
オンラインミーティング自体もなんのことはなかった。
「あれ、みんなの表情がはっきり見えるし対面より喋りやすくないか?」
対面式のミーティングの場合、どうしても物理的に相手の顔があちこちにちらばり、あちこちを見る余裕もなく話が進む。
これでは相手に自分の話が通じているのかがいまいちわかるようでわからない。
正確に言えば、一番伝えたい相手をずっと見られるのでその人の理解度はなんとなくわかるが、それ以外の方の表情が見えないため全体の雰囲気がいまいちつかめなかった。
一方オンラインだとパソコンの画面に全員の顔が映り、目線をちらちら動かせば全員の表情がはっきりわかる。
そうなると一番伝えたい相手だけではなく、2番目3番目の相手、そしてこちら側のメンバーの表情までつぶさにわかる。これがわかると何がいいか。
喋り方を変えることができる。
それまでは一方的に話していたものを、表情次第で、相手から話を引き出すよう喋るスピードを落としたり変化をつけたりすることができる。
なんとも最高ではないか。
私はただただそう感じで浮かれていた。
リモートワークが始まったのが2/19。
異変を感じ始めたのはそう、3/1。
「あれ、なんか胃がムカムカする」
最初はそんな具合だった。
もともと胃痛持ちだったこともあり、こんなレベルはなんのこっちゃない。
慣れたもんだ。
そのうち治るだろうと気楽に考えていた。
しかしながらムカムカを過ぎて痛みに近い感覚が始まった。3/2のことである。
ちょっと断食してみよう。
食欲はあるんだけどな。
そんな具合である。
相変わらず仕事は普通にしていた。
急に異変を感じたのは3/3の夜中だった。
みぞおちが極めて変だ。違和感がある。
そして痛い。寝られない。時刻は夜中の3時過ぎだった。
寝られない寝られない寝られない、、、
もう起きるしかない。
そしてアマゾンプライムビデオで夜を明かした。
映画も見られるじゃん。
このときはまだ少し余裕があったことを覚えている。
その証拠にマクドナルドのハンバーガーを食べまくるスーパーサイズミーというジャンクな?映画を観られるくらいだったのだから。
3/4、同じく3時ごろ起きる。つらい。
アマゾンプライムビデオに頼る。気分を紛らわす。
3/5、かなり辛い。変わらず3時起き。
吐きたい気分。でも吐けない。こわくて吐けない。弱虫ペダルだ。(観たことないです、すみません)
もうこれは明らかにおかしい。
うん、病院に行こう。
ちょうど朝日が昇った頃、私はそう決心していた。
もちろんこの日、仕事は休んだ。この状態では仕事をするなどいくらリモートでも無理だった。
ご飯も三日間なにも食べていない。
空っぽの身体で、近くの病院に朝イチで駆け込んだ。
診察はあっさり終わった。
正確には、診てくださった先生は丁寧な方なのだが、この症状をうまく伝えられなかったのだ。
病院に行くと毎回思う。
自分ばっかり話すのもなんだか気が引け、終わったあとに「あ、あれ言うの忘れてた」といつも後悔するタイプなのだ。
いわゆる気を遣い、なんだと思う。
このときも私の想いの30%くらいをかろうじてぶつけたくらいで終わった。
ちなみに先生はコロナ対策のためか、頭から足まで完全防護服仕様だった。
その姿に圧倒されたとも言える(言い訳、シャ乱Q)
「胃腸炎?かな」
あいまいな感じでさらっと言われた。うーん私の胃痛の雰囲気感じ取ってもらえたかな、、、はい、後悔に苛まれる33歳。
とりあえず薬は5種類くらいもらえたし、飲んでいれば大丈夫だという安心感も相まって帰り道は行きよりずっと楽だった。
薬を飲むようになって少しずつ日に日に胃痛はおさまっていった。
はずだった。
病院からもらった薬は1週間分だったので、1週間後には薬が切れた。
切れた2日後の3/13頃からなんか嫌な予感を感じるようになった。
夜中に痛みを感じて起きるようになったのだ。
こりゃだめだ。
次の日、もう一度同じ病院に行って薬をまたもらった。
今度は2週間分。よしこれで乗り切ろう。
2週間後、薬が切れた次の日、やっぱり変だ。
もう一度考え直す。病院を変えよう。
もうこれはこのまま薬を飲み続けても不安が募るばかりだし、決着を着けたい。
胃炎なのか逆流性食道炎なのか、胃潰瘍なのか、それとも胃がんなのか。
ちょっと遠いけど胃カメラ飲める病院に行くことにした。
4/8。
一時間近く待って診察。
「よし胃カメラ飲もう。いつ来られる?」
前にも診てもらったことがある病院だったのもありすんなり胃カメラ許可が出た。
「一番早くていつできますか?」
「うーん、明日!」
そうしてあっさりと胃カメラの日を迎えたのである。
私の胃カメラ歴はもう長い。(しょうもない話)
初体験は中学生のとき。私の持病と信じている慢性胃痛が始まったのもこの頃だ。
初めてバリウムを飲んで「こんなの人間が飲めるレベルの質と量じゃない」と大人の世界の厳しさに驚愕したのを今でもはっきり覚えている。このバリウム事件のあとに胃カメラをやった。初体験だった。
このときの最初の胃カメラは、いわゆる胃カメラだった。口から突っ込んで、何度もおえおえしていた。
目の前のモニターに自分の胃が映っていたが、もちろんそんなものは見たくない。
だらんだらんにただれてたらどんな気分でこの胃カメラを処理したらいいのか、そもそもそのショックに私は耐えられるのかなどぐるぐる考えていた記憶がある。
そのあと社会人になって2回胃カメラを飲んだ。
そのときの2回とも全身麻酔だったのでなんにも覚えちゃいない。
今回が記念すべき4回目だ。
そして初めての鼻から入れる胃カメラだ。
「鼻から入れる胃カメラは楽チン!」
そんな口コミをネットで何度も見ていたので安心しきっていた私。
「はいこれ麻酔なので鼻から入れますねー」
看護師のおばちゃまが私の花に液体を突っ込む。
あれ結構もう痛いじゃん、しかも花の奥が麻酔でかなり気持ち悪い。つばが飲み込めない。
先生が部屋に入ってきてベットを上げられる。
モニターが目の前に見える。いやだから見たくないよ。
「はいじゃあ入れていくねー」
「ここちょっと気持ち悪いかもー」
なんとも軽い感じの口調で私の鼻から胃カメラを突っ込む。
「おーーえ〜〜」
吐気がすごい。あれ十分気持ち悪いし辛いじゃんよ。
気づいたらおばちゃま看護師さんが私の背中をポンポンしてくれていた。これがなんとも安心感を与えてくれていた。いくつになってもポンポンはいいもんだなあ。ちょっとだけ新鮮な気持ちになった。
胃カメラはぐんぐん私の奥に侵略してくる。ここまでくると気持ち悪さはほとんどない。でもやっぱりこわい。自分の中にこれほどのものが入っているという事実がこわい。
「あーちょっと赤くなってるねー」
目の前のモニターに対峙しても目を逸らさなくても大丈夫な丈夫な男がそこにいた。
もうどうにでもなれという気持ちだ。
目の前の私の胃は思っていた以上にきれいだった。(胃ってあんなにピンク色しているんですね)
「胃がんはないね、胃潰瘍も食道炎もない!そこが心配だったけど安心、よかった」
そう言ってもらえた。
ほんとよかった。安心した。
先生ありがとう。
こうして私の4回目の胃カメラチャレンジは幕を閉じた。
最後にそもそもなんでこんなに胃痛が起きたのか、振り返ってみたい。
おそらく、文章の前半?に書いたリモートワークがおそらく元凶なんだと思う。
では具体的には何か。
運動不足(片道一時間の通勤は気分転換や適度な運動にイチヤクカッテイタ)はその一つだ。運動をしないとやっぱりだめだ。体がおかしくなる。ストレス発散には運動が、というデータもいくつもあるくらい効果が高い。
そして一番の元凶は何か。
オンラインミーティング
間違いなくこれだと思う。
オンラインミーティングについて私は先にこう書いた。
「それまでは一方的に話していたものを、表情次第で、相手から話を引き出すよう喋るスピードを落としたり変化をつけたりすることができる」
一見よさそうに見えるこのメリット、実は裏を返せば、
「みんなの表情が見えてしまうことで対面式に比べて各所に神経を使わなくてはならなくなるストレスを生む」
私のような神経質男にとっては大きなリスクになり得るのだ。
それから、オンラインミーティングは雰囲気を掴みやすくみえて実は本当に掴んでいるかがまったくわからないという点も要注意点だ。
情報源が、いわゆるバーバルコミュニケーション(発言)のみに偏り、ノンバーバルコミュニケーション(仕草や雰囲気)がほぼつかめないのだ。
ノンバーバルコミュニケーションがつかめないと、今話していることが受け入れられているのか受け入れられていないのか、バーバルコミュニケーションでしか判断できない。
そうすると、
「でも表情は納得していないような気がする」、というときに「雰囲気で判断」という最終手段が使えないのだ。
人は大きく分けると
・言葉
・表情
・雰囲気
この3つでコミュニケーションをとっているんだと思う。
このうちの前2つはオンラインでもわかるのだが、3つ目の雰囲気だけがどうしても掴みづらい。
今後5Gや6Gが普及した世の中が訪れたならば、雰囲気をもうまく伝えられるオンライン環境がやってくるのではと思うが、まだ今の段階では難しい。
胃痛に苦しんだ男が出したリモートワークのリスクを以上のようにまとめてみたが、最後に「これを教訓にしてじゃあどうしたらいい」を考えてみた。
ずばり
・運動する
・相手の表情を見すぎない
・雰囲気はつかめないので雰囲気をつかもうとすることを諦める
この3つだと思う。
さらにまとめると「楽観的にやろうよ」ということなのかもしれない。
コロナの時代に生きる私達は、これから新しい時代に突入する。今までの既成概念が通じない、まったく新しい世界を一緒につくっていくことになる。
そこで忘れてはいけないことがある。
楽観的に、ということだ。
まだ見ぬ未来を楽観的に探りながら試行錯誤しながら。
一緒に未来をつくっていきましょう。
軽度の胃炎と診断された33歳の男のしょうもない文章を最後まで読んで下さりありがとうございました。自宅勤務によるストレスで苦しむ人が少しでも減りますように。。。
にんじんまんでした。