「東井義雄先生の教育論再考」の記事をまとめています。
教育現場においても,生成AIの活用が進むだろう。導入時は,おそらく,提供する企業側の論理と実際に使用する現場の先生の論理が優先され,「ツールである」という点が抜け落ち,生成AIの活用が目的となった授業が多く行われるだろう。うまく活用できれば新しい学びが生まれるのに。
2025年2月14日(木) 今回は,こちらの書籍から東井先生の今日論を明らかにしてみよう。 東井義雄(1979)『子どもの何を知っているか』明治図書 ※絶版ということもあり,かなりのお値段となっております… 著書の題名にもなっているが,教師は子どもの何を知っているのだろうか。実際には,一部しか知らないのかもしれない。 本著書は,次の詩から始まっている。 子どもは,どの子も,その子しか持たない光がある。その光を見てやろうということである。 つまり,子どもを知るために
2025年2月9日(日) 今回は,こちらの書籍から東井先生の教育論を明らかにしてみよう。 東井義雄(1987)『いのちの根を育てる学力-人間の回復-』国土社 東井先生を代表する「村を育てる学力」ということばがある。 経緯としては, 当時の調査において,農山村・漁村の子どもの学力が低いという結果が発表された。東井先生のいた兵庫県でも教育課題として取り上げられ,教育研究所によって次の対策が打ち出されたそうである。 戦後の貧しさの残る時代において,都市に生きる希望を見いだす
教育は,世の中を変えることのできる子どもを育てるという大事業である。こんな大事業であるからこそ,このプロジェクトに関わる教師には高い能力が求められる。その能力は簡単に身に付けない。常に,学び,成長し続けなければならない。だからこそ,やりがいがあるのではないだろうか。
教師の仕事って見方を変えると,1年目から裁量権を与えられて,自ら授業や学級をデザインすることができる。これってある意味,スタートアップとして起業したり,企業で事業プロジェクトの責任者として仕事するのと似たところがあるのではないだろうか。
スキルの一人歩きは,知識を方略的な次元でとらえ,いわゆる「学び方学習(Learning to Learn)」に終始する恐れがある。(Lambert,2014)