【ヨーロッパ駐在】教育は国境を超える〜我が家の幼稚園選択〜
こんにちは。EDUBALアンバサダーのTakakoです。
日本では急に冷え込んできました。
首都圏の帰国生入試は11/20からいよいよスタートしますね。受験生の皆さん、体調を崩さないように暖かくしてくださいね😊
海外赴任が決まると、まず子どもの学校はどうする?インター校か、現地校か、日本人学校か、と考えますよね。
モスクワ駐在が決まった頃、長男は日本の小学校に入学したばかりの1年生の夏。長女は未就学児でした。
長男は日本人学校を選択しましたが、あいにく日本人学校は幼稚園を併設しておらず、そこで、娘の幼稚園を探す必要がありました。
今回は、我が家が経験したモスクワ駐在時の幼稚園事情について振り返ります。
モスクワ駐在
我が家の2回目の海外赴任先はロシアというあまりなじみがなかった国で、赴任が決まった時、どんな国?寒そうじゃない?言語は?などなど頭の中は??でいっぱい。
とはいえ、行ったら行ったで、住めば都。異文化体験満載、中身の濃いモスクワ駐在となりました。
中でもбабушка(おばあさん:バーブシュカ)は印象的でした。
子どもにとっても優しいんです。
常にバッグにはチョコレートやキャンディを持っていて、子どもたちと歩いていたら、結構な確率で子どもに手渡してくれます。
また、地下鉄で若い男性が座席に座っていると、小さな子ども連れの母に席を譲るように言ってくれるんです。(言い方がまあまあきつい(笑))
若い男性もすっと立って素直に席を譲ってくれるので感心しました。
夏に子どもが靴下履かずに家を歩いていると、足が冷えるからと怒られます。
冷蔵庫から出してすぐの飲み物を子どもに与えると、体が冷えるからと怒られます。氷入りなんてもってのほか!(笑)
こんなお世話好きな温かいбабушкаが好きでした。
幼稚園入園
幼稚園には2つの選択肢がありました。
・インター幼稚園
・モスクワ市立幼稚園
我が家は、せっかくの機会だからと現地幼稚園を選択しました。当時のモスクワは英語話者があまりいなくて、若い人でもロシア語しか話さない人がほとんど。わざとでは全くなく、本当に知らない。"スプーン"ですら通じないのですからびっくりです。(スプーン:ローシュカ ложка)
幼稚園入園手続きからスタートし、園生活当初もそれはそれは大変でした。今から思うと、そこまでがんばる必要あったか?まだ幼稚園に行かせなくてもよかったんじゃなかったか、インター幼稚園という選択肢をなぜ考えなかったのか、と振り返るのですが、そこには大きな学びがありました。
娘は日本では次の4月から幼稚園年少さんの年齢だったのですが、8月生まれだったので、ロシアでは3歳になってすぐの9月から幼稚園に通い始めました。日本でいう3月生まれのような感じで、学年では1番月齢が低い3歳児。
幼稚園の入園手続きはもちろんロシア語オンリー。システムもややこしいため、週に一度自宅に来てもらっていたロシア語の家庭教師の先生に全面的にサポートしていただき、やっとの思いで入園できました。いやぁ、英語が通じないってこんなに大変なんだ!と思い知りました。
モスクワの幼稚園は日本のように地域名のついた幼稚園名や可愛い幼稚園名じゃなく、全てNo.⚪︎⚪︎のように数字で分けられます。
детский сад No.〇〇 のような名称です。
幼稚園生活
娘の幼稚園のスケジュールは、
朝食→活動→おやつ→活動→昼食→お昼寝→活動→おやつ→活動
と、そんな感じです。
なんだか食べてばかり😅
3歳になったばかりの娘はしばらくは午前中のみ通い、徐々に昼食、お昼寝と時間を伸ばして行く予定でしたが、どうしても寝たがらない。かなくなにパジャマに着替えずソファに座ってママを待っています。毎日お昼過ぎ、担任の先生から電話がかかってきます。「ソファに座ってママを待っているから迎えに来て」と。
毎朝自宅から一緒に歩いて幼稚園まで行くのですが、更衣室から部屋に入りたがらなくて泣いて嫌がります。たまに朝からしぶることも。
更衣室で泣く娘を担任の先生が抱き抱えて教室に連れて行ってくれ、お昼には迎えに行くの毎日。迎えに行くと、「ママが帰った後はクラスメイトと仲良く遊んでいたよ!」(ロシア語だから定かではありませんが、そんなニュアンス)と先生が園での様子を報告してくれますが、だんだん私も心折れそうになっていきました。
インター幼稚園のことを調べ始め、日本ではまだ年少さんの年齢でもないし幼稚園に行かなくていいかな、と休ませたりする日も増えていきました。
ある日、いつものように離れたがらない娘を更衣室から連れて行ってくれたので帰宅しようとすると、担任の先生がやってきて「泣いてもいいし、ママとバイバイした後は私がなんとかするから毎日連れて来て欲しい。休むと幼稚園に来にくくなるから」と言ってくれ、予想していなかった先生の言葉に、心打たれました。
娘以外はクラスメイトはみんなロシア人だし(たぶん)、言葉の通じない外国人は面倒だろうな、気にしてくれてないだろうな、と壁を作って諦めていたのは自分だったのかもしれないとはっと気づきました。
それからは、マイナス30度の中、まつげと鼻毛が凍りながらも毎日幼稚園まで歩いて連れて行き、午前中で迎えに行くという日課を繰り返しました。
幼稚園でのひとこま
半年くらい経ったある日、迎えに行くと担任に先生が嬉しそうに娘を連れてきて、自身を指差し、
先生「Как меня зовут?(私の名前は何?)」
娘「⚪︎⚪︎(担任の先生の名前)」
という娘とのやりとりを再現してくれ、「今日⚪︎⚪︎(娘の名前)がロシア語をしゃべったのよ!」と満面の笑みで報告してくれました。
それを聞いて、担任の先生は外国人である娘を他のクラスメイトと同じように接してくれてたし、一生懸命娘をクラスの輪に入れようとしてくれていたんだとわかり、涙があふれてきました。
その日を境に「お昼寝する」と娘自ら言い出し、本当に翌日からパジャマに着替えてお昼寝を始めました。半年かかりましたが、自分で乗り越えました!諦めなくてよかった。
あの時のモスクワ幼稚園の担任の先生のおかげで教育に国境はないのだと気づくことができました。
娘が自分で乗り越えた経験・自信は高校生になった今も心のどこかに残っていることでしょう。
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