みんなのきもち
かくして、1/17(水)推しの誕生会は無事に終わった。
ちなみに三遊亭萬橘師匠の正式な誕生日は1/20である。
誕生日のご馳走などを紹介しつつ一考。
誕生会の一週間前。
後援会事務局からリマインドメールが届いた。
実に行き届いたことである。
けれど私はそれを見た途端に落ち込んだ。
何故、参加申し込みなどしたのだ!?
人見知りで人の集まる場所は苦手なのに。
…………行きたくない。
でも推し初めての誕生会なのだからと。
嬉しくてつい申し込んでしまったのだ。
いざそれが目前に迫ると後悔しかなかった。
………………ああ、行きたくない。
申し込んだ私のバカバカッ!!
という素直な気持ちをツイート(ポスト?)した。
私のツイートを見たフォロワーさんから、
「私も行くから大丈夫だよ!」
と返信があった。
しまいには主催者から、
「安心してお越しください」
との返信まで届く。
んもーーーっ!!
私のバカバカバカ!!!
みんなに気を使わせて!
誕生会を楽しみにしている人々の気持ちに水を差すような発言をして!
素直な発言が許されるのは子供だけだぞ!
いい年をしたBBAのやるこっちゃないぞ!!
リアルな私は無口である。
口数が少ない。
そのくせ……いや、だからこそ?
いざ発言するとこういうことが多い。
思い余って口にする本音だからさ。
けど、みんなの気持ちを逆なでする発言となる。
でもだけど…………と思うわけです。
じゃあ、私は素直な感想を呟いちゃいけないの?
たとえば私がいわゆるパリピで、
「誕生会待ち遠しい!メッチャ楽しみ!」
と呟いても反対する人はいないでしょう。
「だよねー!!」
という共感が返って来るだけだろう。
(てか言語全てが死語のような気がする。
〝パリピ〟とか〝だよね〟とか。
すまんのBBAで)
「誕生会が憂鬱な人だっているんだから、そんなこと言っちゃいけません!」
とは言われまい。
「誕生会楽しみにしてる人が多いんだから、そんなこと言っちゃいけません!」
という言われ方はよくあるのに。
でも考えても見れば。
よく欧米人あたりが日本人はシャイだと言うじゃないか。
パーティーや宴会が苦手な人も多いはず。
きっと私だけじゃないはず。
なのに素直にそうは言えない空気がある。
〝みんなのきもち〟を考えて。
その〝みんな〟とは〝パリピ〟なわけで。
〝パーリーピーポー〟と揶揄される程に存在が少ないわけで。
少数派を慮って多数派が口をつぐんでいる?
いや単にネガティブな事柄だから言わないだけ?
コロナ禍では宴会、パーティーなどが自粛になった。
内心喜んだ人も多かったはず。
実はみんな嫌だったのに〝みんなのきもち〟を考えて楽しいふりをしてただけ?
何だかよくわからないよ。
とりあえず誕生会が済んでほっとしたということ。
来年は…………来年になってから考えよう。
どっとはらい。
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