少女漫画家志望
※4,025文字
漫画家志望だった。
同人誌に参加したこともある。
何と肉筆の回覧誌だよ!
あの重いケント紙を紐で綴じて回覧したんだぜ!
薄い本じゃない。ぶ厚い本だったのだよ。
いや、もちろん印刷の同人誌もある時代だったよ。
参考のために羽田にコミックマーケットを見に行ったこともあるし。
今みたいな一大イベントじゃなく、ごく小さな文化祭的お祭りの頃だったけど。
肉筆回覧誌で独自性を追求したらしいよ。
すぐ潰れたけどね。
神保町の出版社に漫画の持ち込みにも行った。
初めての持ち込みは大学生の頃。
イラストがちょこっと雑誌に載ったこともある。
プロ漫画家が原稿落とした時の穴埋めに。
その後、四コマ漫画ブームがやって来て。
いがらしみきおが「ネ暗トピア」で衝撃のデビューをした頃。
やがて「クレヨンしんちゃん」の連載が始まってね。
(あれ当初はエロ系漫画だったのよ。それがサザエさん並みのご家庭漫画になるとは知る由もなかった)
私は某編集さんの進言で四コマ描いて、四コマ専門雑誌を回っていた。
何誌か連載もらってしばらく……月刊誌では数年続いたと思う。
だからってそれだけで食べて行けるわけじゃなく。
ほんのお小遣い程度の収入。
OLと兼業だったよ。
そうして……
今は漫画を読むだけだ。ごくたまにね。
描くことはない。
描きたいと思うこともない。
別に絵や漫画が好きだったわけじゃないらしい。
それしかないと思ってた。
私に出来ることは。
子供の頃から絵がうまいと言われた。
学校の図画工作の時間に。
自分ではうまいとは思わなかった。
というか、うまい下手がどういうことかもわからなかった。
他の生徒の絵が下手だと思ったこともないし。
でも私がほめられることは、それぐらいしかなかった。
私の取り柄は絵が上手いことだけだ!
そう思い込んだのだ。
今になってみれば他にもいいところはあったはずだけど。
ただ無口で可愛くもなく(思春期以降は逆に可愛いと言われ始めて、世間の掌返しが不服だった)頭も良くなく駄目な子だと思っていた。
褒められるのは図画工作だけだった。
そうしてマンガが好きになっていったわけだ。
当時は漫画なんて、バカな子が見るくだらないものと思いっきり卑下されていた。
小学校の時に全校で演劇を見に行った時、最初に校長が全校生徒に向かって言ったものだよ。
「この演劇は漫画みたいにくだらないものではありません」
だから大人しくちゃんと見ろ、と。
未だに覚えているよ。
まあ、今だってそういう教師はいるんだろうけど。
両親もそんな考えだった。
だからこそ私がハマったとも言える。
親が一番嫌がることをやるのが反抗。
別に意識はしていなかったよ。
今だからこそわかること。
クール・ジャパンが世界に誇るマンガ!!
……って隔世の感がある。
ともあれ。
萩尾望都の「ポーの一族」を読んで、これこそ自分が求めていたものだ!!
と歓喜したよ。
何のために誰のために長い年月を生きているのかわからない吸血鬼。
唯一の生きるよすがだった守るべき妹もいなくなり……
「ひとりではさみしすぎる」と友を仲間に引き入れる。
ああ、漫画でもこういう表現が出来るのだ!!
私が本格的にケント紙やペンを買って漫画を描き始めたのはこの後である。
その前はただのノートや余り紙に鉛筆で描いていただけだった。
そうして萩尾望都が描いていた小学館の『少女コミック』の漫画賞に投稿を始めたのだよ。
わりとすぐに佳作になった。
佳作は扉絵が印刷されるんだよ。名刺大の大きさに。
喜ぶまいことか!
もちろん持ち込みも同じ会社だった。
初めて一人で大人の社会に出て行ったわけさ。
白泉社という会社から『花とゆめ』『LaLa』という少女漫画雑誌が創刊されたのもその頃だったと思う。
最初この誌名は冗談か!?
と思ったよ。
大学では寮生活だったけど二年生の時にいじめに遭って(当時はまだ「いじめ」なんて言葉はなかった)泣く泣く寮を出た。
その冗談のような少女漫画雑誌が創刊されたのは、一人暮らしを始めた頃だった。
少女漫画スクールも開催されて、夏休みに参加した。
青山の花の館という名前のビルだった。『花とゆめ』だから?
そこにゲスト出演した生の萩尾望都を見たわけさ(敬称略すみません)。
ちなみに萩尾望都を世に出した『少女コミック』の小学館に関しては……。
数年前とある少女漫画がテレビドラマ化されて、原作者が意に染まぬ改編をされたと抗議の末に自殺した。
その時に担当編集者は何もしなかった!と非難された会社である。
昔から私には、漫画家を縛る集英社、自由に描かせる小学館といったイメージがあった。
それは当たらずと言えども遠からずだったらしい。
自由に描かせるということは、何か事が起きても助けないということでもあったらしい(皮肉です)。
いずれにせよ、萩尾望都の「ポーの一族」は集英社では採用されなかっただろう。
あそこの少女雑誌は、恋愛至上主義。
意中の男子に選ばれることが女子の幸せ!!
みたいな漫画ばかりだった。
強いて言えば、同時期に連載された池田理代子の「ベルサイユのばら」だって歴史ものとはいえ恋愛が中心にあった。
マリー・アントワネットとフェルゼン。
オスカルとアンドレ。
愛……それははかなく♬
愛……それは美しく♬
と宝塚に採用されるだけある。
「ポーの一族」が宝塚に採用されたのはそれから数十年後。
当時ただの読者であった小池修一郎氏がプロの演出家になって、宝塚で舞台化できるまでに出世していたのだ。それもまた劇的な流れである。
甘々な話になっていたら嫌だと思いつつ見に行ったけど、もちろんそうはなっていなかった。
ほっと胸を撫で下ろしたものである。
男女の愛に生きる以前に、自分の生きている意味がわからない少年吸血鬼の話なのだ。
さすがにファンである演出家は本質を外しはしなかった。
って話がまるで別の方向に進んでいるな。
さーせん。
つまり私にとっての漫画とは。
自己を含めて何ひとつ分からず友もおらず小さく縮こまっていた自分が、世の中を歩く唯一のよすがだったのだ。
漫画を描くためには、たくさん本を読まなきゃ!
たくさん映画やお芝居を見なきゃ!
持ち込みだって行かなくちゃ!
一人でこわごわ外を出歩いた。
それしか外に出る理由がなかった。
かの野田秀樹の劇団夢の遊眠社のお芝居を見に行ったこともある。
初期の頃だった。
畳敷きの会場で膝を抱えて見るような小さな公演だった。
まずそのシュチエーションに度肝を抜かれた。
芝居の内容なんぞまるで理解できなかった。
今注目のお芝居だから見て勉強しなきゃ!
という動機だから、面白いはずもない。
あれこれ見に行っても、何ひとつハマるものはなかった。
漫画と共に歩いて来た青春時代?
30代ぐらいまで持ち込みやっていたもんな。
それを止めたのはカウンセリングにつながっていろいろ見えて来たからだ。
今になって見れば私の「漫画家志望」は、やれ「パイロットになりたい」「野球選手になりたい」「デザイナーになりたい」という幼い子供の望みと同じ。
普通なら、やがて無理だと気がついて卒業する。
大人として妥当な道を歩いて行くわけさ。
だけど私は幼い子供の願望に縋り付くしか道がなかった。
同人誌の最後の頃、みんな人が辞めて行った。
しまいには私と男の子二人だけになった。
今だから言うけど、二人の男の子は見上愛に似た可愛くておとなしい女の子(私だよ!)をものにしたかっただけだろう。
その見上愛には全然そんな気はなかったけど。
二人の男の子が、
「どうせみんなプロになれるとは思っていないだろう」
「遊びのサークルでいいんじゃないの?」
と言ってボーリングなんかに行き始めた時、愕然とした。
もちろんボーリングには行ったよ。
漫画の勉強のために。
一人の男の子は既に働いていた。
もう一人の男の子も就職先は決まっていた。
後は遊ぶだけだったのだろう。
でも私には先が見えなかった。
プロ漫画家になるしか道はなかったのだ。
すがるものはそれしかなかったのだ。
同人誌がなくなってから殊更熱心に出版社に持ち込みに行ったわけである。
そんで四コマ誌に時々載るようになったわけ。
BBAになった今思い出してみても、本当に孤独で哀れな青春時代だったと思う。
漫画家になりたい意欲に燃えていた!!
……のではない。
漫画家になるしかない背水の陣だったのだ。
常に背中を丸めて歩いていた。
今は加齢で背中にぜい肉がついて丸い。
って、そんな今が孤独で哀れでないかと言えば……何とも言えないけどな。
そう言えば。
漫画の勉強のために見に行ったものにはハマらなかったけど、今になって落語にハマっているのは何故か?
思うに私はお芝居のように、人が大勢出て来て飛んだり跳ねたり叫んだりするものはには、あまり惹かれないらしい。
宝塚のような大掛かりで絢爛豪華なものもにも。
むしろ煩わしく感じてしまう。
落語のようにシンプルで自分で想像の余地のあるものが好きらしい。
強いて言えば、ケント紙に黒い線で描く漫画が好きだったのもシンプルだったからかも知れない。
カラー表紙を描くまでに出世はしなかったしな。
あ、でも赤色を入れた三色カラーページはもらったことがある。
正直、描いてて楽しいというより難しいという気持ちが先に立ったけれど。
それと、落語にハマって知ったけれど。
昔、木原敏江という漫画家(当時の表記は木原としえ)に「あ~らわが殿!」という漫画があった。
落語「たらちね」の中に「あ~ら、わが君」という台詞がある。
それをもじって「あ~らわが殿!」だったのね。
大島弓子の「綿の国星」シリーズには「そろばん占いの先生」が出て来た。
「そろばん占いの先生」は落語「御神酒徳利」に出て来る。
そういえば「御神酒徳利」というフレーズも木原としえの「摩利と新吾」に出て来たな。
落語が元になっていたのだ。
仲良しの少女漫画家二人はちゃんと落語を聞いて勉強していたんだねえ……
などと思うのだった。
どっとはらい。