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愛のぶぶ漬け

親が亡くなってから手紙も荷物も届かなくなった。

届くのは手紙といえばセールスだし、荷物は自分でポチッたものである。

季節ごとに訪れていたものが無くなって、寂しさよりは気楽さが先に立つ。


実家を出てしばらくは、親の荷物に感謝しなければと思いつつうんざりしていた。

カウンセリングにつながって自分が機能不全家庭に育ったのだと認識が転換した。

それからは、はっきり見えるようになった。

これらの手紙や荷物は親の愛ではあるけれど、私に対する愛ではない。

親自身が、自分は良い親だと思い込むために、せっせと送っているだけだと。

だって、私の好物など一つも入っていないのだから。

いつだって親の荷物の中身は処理するのに四苦八苦だった。

友人もいないからあげる人もいない。

賞味期限が切れるまで戸棚の中に死蔵する。

好きではないけど少しだけ食べて、残りは冷蔵庫に死蔵して腐ってから捨てる。

などということを繰り返し、しまいにははなからゴミ箱に直行させる物まで出て来た。

そう言えば、仕方なく会社に持って行った物が語り草になった事もある。

「江戸川さんがよかったら皆さんで……と持って来たのがイカの燻製だった」と。

別にイカ燻が嫌いなわけじゃない。
けれど、こちとら下戸なのだ(母親はそれすら認識していなかったかも知れない)一袋を消費するなど出来やしない。


米を捨てたことさえある。日本人なのに。

何年も米を食べないダイエットをしていた(効果はなかったが)。

というか、もともと米はさして好きではなかった。

パンの方が好きだった。

実家でも食が進まず「おかずだけでも食べなさい」と言われてご飯は残すことが多かった。(小食な子供だった……今は昔の物語)

なのに何で米を送って来る?

日本人としてはさすがに米は捨てられなかった。

遠い友人に送りつけたりしたが、毎年のように10㎏袋の新米を送って寄越すのだ。

消費しきれず古古米になった順から廃棄して行った。

全国のお百姓さんに土下座する。

貧困家庭のお子様たちにも土下座する。

いや、そこまでするなら何故親に「送るな」と言わなかったのかと問われよう。

言ったさ!

何度も言いましたとも!!

そうすると母親は世にも悲しげな声で言うのだ。
「じゃあ何を送ればいいの?
 エリザベスさんは何が好きなのかわからない」
と泣かんばかりに訴えるのだ。

まるで私は母親をいじめる血も涙もない娘である。

そもそも自分で育てた娘が何を好きかも知らない親があるか?

いや、中にはそういう親もあるかも知れない。

けれど我が母は兄ウィリアムちゃんの好物は把握していた。

ラーメン、かつ丼、その他いろいろ。

父の好物も把握していた。

蕗の薹に鰹節と醤油をかけた物。
葱に鰹節と醤油をかけた物。
これらを温かいご飯にかけてわしわし食らう。
(なかなか野蛮である。主婦としてはただ刻むだけの楽な料理であるが)

でも母はこんな簡単な物も父に命じられるまでは作らなかった。
「私は気が利かないから」が母の口癖で、
気が利かないふりで嫌いな亭主の好物は知らんふりをしていた。

では娘の好物は?
父や兄の対応に忙しく見ていなかったのだろう。


晩年にもなれば親からの荷物は届くなり腹具合が悪くなる程、不快なものになっていた。
本気で荷物を見ると、お腹がぐるぐる鳴ってトイレに駆け込む有様なのだ。
身体は実に正直である。

両親が鬼籍に入った今となっては、お腹ぐるぐるの荷物はもう届かない。
けれど明らかに運送屋さんの足音がアパートの階段を駆け上がってくる時に、
「親からの荷物!?」
と未だに腰を浮かせる自分がいる。

毒親の呪縛はなかなか抜けないのだよ。
還暦を過ぎたとて。

親の自己満足のぶぶ漬けでもどうだす?


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