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母にもらったものと、これからの私のこと

実家を離れてからはや10年ほど。私は「自分の理念と共に仕事をする」なんてことを仕事にしていて、(まぁそれが普通だと思っている方々と一緒に過ごすことが出来ているというのも奇跡のようなことなのですが)自分と向き合う時間を持つということが非常に多いのです。
それはクリスチャンとして生きていた幼い頃からの習慣でもあるのですが、自分の感情なんて曖昧なもので、自分に対して嘘をついていたり、つこうとしていたり、そして誰かに助けを乞うような感情がとめどなく溢れ出したり、全く厄介なものです。

会社に属さなくなったここ3年間。私には背中を追っている和田さんという方がいるのですがこの生活を始めて感じたのは、自分のとてつもない弱さ。自分がやろうと決めたことでも出来やしない。期限だって守らない。自分の感情すらまともにコントロール出来ないのです。
「彼のようには出来ないなぁ。なんてくだらない人間なんだ。」なんてことをいつしか考える毎日。正直辛いし、現状を伝えるのだって憚られるように感じるし、でもそうしないと成長なんてしないしどうすればいいかだって分からない。

売り上げはそれなりに優秀。お金の作り方だってそれなりに分かってはいる。自分で言うのも何ですが、割と能力は高いので学んだことを実践するのも得意なのです。が、ただ、感情がついていかないのです。まったく、感情のせいで仕事が出来ないだなんて社会不適合者ではありますが、これも私なのです。


大人になって解決したいことって、結局のところ自分の中にあることがほとんどなんですよね。そもそも問題を解決する方法なんて調べれば簡単に出てきます。インターネット上には山のように情報が溢れていて、調べなくとも意識に入ってくる山のような情報。それによって絆されることもあれば、遥か上の方にいる自分より能力の高い人たちを見て憂鬱になったり自分の小ささを実感したり、逆に自分の持っている思いや感性の高さを改めて認めてみたり。そんなことの繰り返しですが、結局は自分が今まで積み上げてきたこととどれだけ向き合うことが出来るかということ。
そんなことを、この数ヶ月ずっと考えていました。


「自分が一番のめり込んできて、これから先もずっと続けていけること」

それはこれから取り組んでいくことの核となるものになるのですが、何度考えてもやはり「コーヒー」でした。10年近く働いてきたバリスタという仕事。
でも実は、コーヒーはあまり好きではないのです。正直ブラックのコーヒーを一杯飲み切るのって、結構しんどい。というか胃があまり受け入れてくれないというのが大きい。どちらかというと、コーヒーそのものよりもコーヒーが見える風景が好きで、色や香り、歴史や誰かの心をいとも簡単に動かしてしまうところ。そして世界中でコーヒーが文化となりどこの国でも愛されているということ。そう、私はコーヒーの世界観が好きなのです。
だからと言ってお店をやりたいという思いはもうとうないし、どちらかというと愛好家に近い。


私は何がしたいんだろう。

私のルーツを辿って考えたときに、避けて通れないのは母の存在でした。
今はもうなくしてしまったのですが、私が一番仲の良かった人で、尊敬している人で、そして誰よりも私を理解してくれる人でした。私の好きなものや性格や、言葉遣いから感性のすべては母から受け継いだものだと思えてしまうほど私にはとてつもない影響を与えた人で、それでいて兄妹のように同じことを楽しめた人でした。

幼稚園に通っていない私は、幼少期を母と一緒に過ごし、色んなことを学んでいました。もちろん聖書もそこにはあったのですが、子供ながらに感じていた祈りという神聖な時間。淑女としてあるべき女性らしさや言葉遣い。音楽が与える感情への影響。そしてもてなすということの素晴らしさ。

クリスチャンの間では、教える立場の方をもてなすことは非常に良いこととされていたのですが、私はその時間がとても好きでした。もてなすというのは基本的に場所の提供。そして料理やお菓子、音楽なんかを用意するということ。もちろん一緒にいただくのですが、子供の私が作ったものやへたっぴなピアノまで感謝してくれるんです。当然、与えることが好きになってしまうものです。


「そうか、私はもてなすことが好きなのか。」

目から鱗でした。こんな簡単なことなのに。

失ってからというもの、母とのことは記憶から消してしまう……なんてことは出来ませんが、少し遠ざけるようにしていたのかもしれません。心の中では果てしなく慕っていても、もう会うことのない母。どこか自分ひとりで立つことが偉いと思わなくてはと感じていたのかもしれません。無意識に出来るだけ考えないようにしていたけれど、かと言っても私に、奥深くに根ざしているものなのです。認めてしまった以上これを生業にしないで生きていくだなんて、そんなこと考えられるでしょうか。


それから、母が好きだったものを思い起こしました。

庭で育てているバラのこと。
大事にしまってある父からもらったシャネルの19番。
私が弾くようになったピアノのこと。
憧れていた臙脂の打掛に、戸棚にあるレモン柄のカンカン。
オルゴールのようなコーヒーミル。
アネモネの描かれたピンクのハンカチ。


それは母と私が一緒にいたことの証で、誰も消すことの出来ない愛すべき時間でした。私が今愛してやまないものは母がくれた感性で、誰がなんと言おうと大事にしなくてはいけないもので、これからずっと手放すことなんて出来ないものでした。
さぁ、これを隠すことなく生きていこう。こんなに誇らしいものが他にあるでしょうか。私を形作ったものが生きていく糧になるだなんて。

もしかしたら自分が選んだ道は、普通ではないかもしれません。でも、私が生きたことが証として残るとするならば、どこかの会社で働いていた私ではなくて、もっと人間らしい思い出が残る方がいい。ただそれだけなのです。

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