エディプレックスの原点を探る|代表インタビュー #01
こんにちは、広報担当の高橋です。
今回は当社代表 岸田のインタビュー第1段!
エディプレックスと岸田さんの経歴についてお聞きしました。
当社は皆、「代表・社長」ではなく「岸田さん」とお呼びしているので、
以下でもそのように呼ばせていただきます。
学生時代
―岸田さんの学生時代のことを教えてください。
大学は経済学部で経営学専攻でした。本当は美術系の大学に入学したかったんだけど、入学したいと思ったタイミングが遅くて受験勉強が間に合わなかったので志望しませんでした。実家が会社を経営していたというのもありとりあえず経営学を学んでおこうとなりました。
大学入学後は授業で使うPCを買わされるんだけど、皆Windows95を購入している中、僕は同級生でただ一人Macを買いました。
ここで人生で初めてMacの製品を触りましたね。シングルクリックのマウスにも衝撃を受けました。当然大学の授業ではWord Excelなども多く当時は全く役に立たなかったのですが…今思えば良い経験だったと。
また、在学中もデザインに興味があって独学で勉強していました。知り合い経由でチラシやWebサイトの依頼を貰って制作もしていました。
ITバブル発生
―日本はITバブルに突入、デザインの分野にもITが入ってきた時代になりました。
これまでの日本のデザインはポスターや雑誌などのエディトリアル系がまだまだ主流だったけど、だんだんWebデザインや3D、デジタルアニメーションなどが入ってきて僕もそういうデザイン派生のITやデジタルに興味を持ち始めました。
大学卒業後は、縁があってデザイン事務所に入りデザインの基礎を学びました。写真の加工や紙面特集の担当をしたり、もちろんWebサイト制作も。
当時お世話になっていたデザイン事務所もデジタルシフトで業務拡大時期ということもあり、休日返上で寝る間もなく働く事も間々ありました。今では考えられませんが事務所で寝泊まりして1週間家に帰らないということもありましたね。まぁ、夜中は大半飲んでいたのですが。
ITバブル崩壊、エディプレックス誕生
―デザイン事務所は2年くらいいたとのことですが、濃い時間を過ごされたことと思います。ここからはエディプレックスの発足について教えてください。
中学時代の同級生と2人でエディプレックスを立ち上げました。
僕がデザイン担当・同級生がシステム担当で、卒業後お互いスキルを得て合流した感じです。
しかし、起業した2000年はITバブルが崩壊した年。
ちゃんとした仕事がなく徐々に資金を食いつぶしていく状態で結構精神的にもきつかったですね。起業した当時は専用のオフィスもなく自宅兼オフィスという状態からのスタートでした。
それまでは広告代理店からの受注も盛んだったけど、ITバブル崩壊により自分たちで営業する必要がありました。
その頃は三〜四次受けくらいで、上流工程から流れてくる仕様に書いてある通りにパーツを作るだけの仕事もちょいちょい受けていました。
そういった仕事も大きな物を作り上げる上では大事だと思いますが、決して起業してやりたかったことではなく。「このままではいけない」と常に思っていました。
下請けの下請けから脱却していく為に自分たちでの営業を強化していくわけですが、まず考えてやった事は当時誌面で存在したタウンページを取り寄せてターゲットを選定して営業の電話をかけ続けました。かなりアナログですよね(笑)
当然電話しても断られるのがベースなのですが、業種ターゲットや文言など微調整を重ねて行くことで確度の高いのは【すでに仕事の存在するWeb制作会社をターゲットにまずはエディプレックスの実績を見てもらうアポを取る】ことでした。最終的にはアポ獲得率も8〜9割くらいになって回れないくらいになりましたね。
それでも下請けから取引が始まる訳なのですが、毎回、相手が望んでいる物と、もっとこうした方が良いのではという提案物をセットとして作ることを心がけて、だんだんと紹介が紹介を呼んでいき、自分たちのやりたかった上流からのクリエイティビティのある仕事を任せてもらえるようになって行きましたね。
転換期① 『2人 → 3人』
―エディプレックスを起業した2名の二人三脚の形態から、大きな一歩として社員を雇用するという選択を行う事で徐々に組織の形態に変化していく。
仕事も増えてきたので初めての正社員を採用することになりました。システムエンジニアの同級生とは長く一緒にやってきているからフィーリングで成り立つ部分が沢山あったけど、新たなメンバーに教育をしたり、作業しやすい環境を作り始めるようになってから、二人三脚の状態から少しずつ「組織」を意識する気持ちになっていったんだと思います。
転換期② 『会社の仕組みを変える』
―会社をもっと大きくしていこうと思ったきっかけはありますか?
会社を大きくしたいというよりは、社会的にも知名度的にもバリューの大きい仕事を任せてもらいたいという気持ちが強かったですね。そのような仕事をエディプレックスに依頼しても良いと思ってもらうため、会社自体に信頼感・安心感を持ってもらう必要があり必然的にメンバーが増えていきました。
起業した当初は、エディプレックスのメンバーは、一人でディレクションからデザイン、コーディングまでこなせる「マルチパートな一騎当千」が集まる高スキル集団にしたいと思っていました。そのため職能での採用枠を作っていませんでした。
しかし中小企業が採用を行っていく上で、上記のような一騎当千のメンバーを揃えることは実質不可能、人が増えて組織が大きくなっていくと職能がないことへの弊害が生まれてきました。広い知識よりは専門領域を担当して知識を掘り下げていきたいという社員からの自然な意向も上がって「スキルごとのセクション制」を導入する流れになりました。
そのような理想と現実の問題を抱えた状態で、大きく舵を切ったのは2018年度の全社キックオフミーティング、テーマを「OSのアップデート」と称して会社の組織形態をフラット化した上で、全体の仕組みをアップデートしていく計画を発表しました。
経営理念を「すべてを、よりよい形に。」と定めたのもこのタイミングです。人事評価制度も手探りながら自前で策定しつつ、合わせて付帯するスキルアップの制度策定など、本当に様々なことをメンバーと協力しながら一つ一つOS部分を整備していきました。
会社について思うこと
―紆余曲折しながら、複数の転換期を経て会社のアップデートを続けてきました。高橋個人としては、転換期②「会社の仕組みを変える」は合流から3年ほど経った頃で、会社がガラッと変わっていったことを覚えています。
経営は生き物ですから、このままで良いという現状維持は曲芸に近いと思っています。現状維持の選択はつまり実質衰退にあたる。
たしかに俯瞰でみるとガラッと変わった印象はあるかもだけど、組織を成長させていく上では避けては通れない必然的な動きだったと。
セクション制を取り入れるとき、それまで目指していた「マルチパートな集団」ではなくなる、個人個人が一騎当千のスーパープレイヤーである必要はなくて、ひとりひとりが合わさってエディプレックスという組織自体がマルチパートで一騎当千の有機体になればベストだと思いますね。
―ありがとうございました。現在のエディプレックスにも関わる「マルチパートで一騎当千の有機体」に関する深堀りは第2弾に記載します!