グレッグ・イーガン『ビット・プレイヤー』を読んでいます②
5編目の『鰐乗り』に入りました。
結婚生活1万と309年目の夫婦が、死ぬ前の大プロジェクトとして、銀河系のあらゆる周辺種族からの接触を拒んでいる「孤高世界」とのコンタクトを試みる話です。
ーーこれって、「ソラリス」で描かれる、理解を超えた相手とのコンタクトの試みを彷彿とさせますよね。
ソラリスは、「理解できないもの」との物理的精神的な対峙を主軸に据え、アイデンティティSFとしての要素も多分にありますが、『鰐乗り』の問いの立て方はすこし色合いが違います。
生物学的制約(それは豊かさを得た現代文明とも読み替えられる)から自由になったとき、
人は何を目的に生き、いつ死ぬのか?
データとして生きることもできるし、物理的実体として生きることもできる世界。
「多様性が爆発」した世界…種族ごとの多様性にあらゆる種族に内在する多様性が掛けあわせられ、無限のパターンをもつ世界。
主人公夫婦は死ぬ前のプロジェクトとして、辺縁の世界とのコンタクトを選びます。何十世代もの子孫たちとたわむれ、趣味としての農作業をてして過ごすこともできるのに…
いつまでも生きられる人生をいつ終わらせるか。
その意思決定をするために、彼らは、なんらかの意味あることがらを必要としました。結果として主人公夫婦は自分たちのプロジェクトを「仕事」と呼ぶのはけっして偶然ではありません。
日々の仕事に追われ、ここから解放されたい…と願う。思考実験として「制約からの解放」を選択したその先でも、やはり「意味のある何か」を求めてしまうのではないか。
まだ読んだのは半分くらいですが、ファーストコンタクトものだと思ったらまた少し違う風合いがあったので、書き記しておくことにしました。
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