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ボカコレをビジネスで考えてみよう

今は作品の発表を控えていて、今回からボカコレも不参加です。
でも前からボカコレにはモヤモヤを抱いていて、そのことを整理したいと思いました。

ランキングイベントなの?

ボカコレのランキングルールが明示されていないことについて、以前、ニコ動の偉い人から「操作されるからできない」という主旨の説明をいただきました。
それはわかります。
でも、まだモヤモヤしているのです。

やっぱり
「参加曲数が多すぎてリスナーが物理的に全曲聞けないのに、リスナーのレスポンスをランキング順位決定要素にするのはおかしくない?」
と思いますし、公式に「ボカロ文化の祭典」書いてあるのですが、
「だったらランキングなしの方が良くない?」
と思うわけです。

どうしてこうなった?

で、ボカコレが生まれた背景について、単純に「ボーカロイドが生まれたから」以外の理由を考えてみました。

  1. DAWとAIで参入障壁が下がった

  2. ネットの普及

  3. 「みんな違ってみんないい」「誰もがonly one」思想の普及

たぶんこれが大きいと思いました。

ボカコレというビジネス

ネットが普及する前、録音もカセットテープで4trだった時代。
アマチュア音楽活動の主流はライブハウスでの演奏でした。
そこでは、チケットノルマという市場原理と、ブッキングオーディションという、品質保証のための淘汰システムがありました

でも、時代は、「みんな違ってみんないい」「誰もがonly one」です。
さらにネットでいくらでも発信できるとなれば、「自分の作品の価値を測る」という恐怖から解放されたわけです。
ますます発信者の数は増えます。

しかし、リスナーの数は増えません。音楽はコモディティ化して耳も肥えています。なのでクリエーターの承認欲求は満たされません。
そこで、ニコ動はボカコレをビジネスとして、インフレしたクリエーターたちのささやかな承認欲求を満たすことを発見したのだと思います。
方法は簡単です。SNSで繋がっている同士に誉め合いをさせるだけです

となると参加曲制限をしない理由もわかります。
動画視聴回数があったりイベント参加コンテンツ数があれば、スポンサーがつきやすくなりますから。
たぶん、ボカコレは、イベント参加者へのささやかな承認欲求の充足と引き換えに、スポンサーと利用者の両方からお金を得られる、ニコ動にとっては美味しいビジネスなのでしょう。

なぜランキングがあるのか?

おそらく「ニコ動ボカロ世界のスター」が必要なのだと思います。
ニコ動の偉い人は、ボカコレ以外でもトップランカーとの関係性をSNSでアピールしています。
「あの仲間になりたい」という欲求を喚起させるためのランキングなのだと思います。
おそらく、見た目は人気によるランキングなのですが、もっと上の立場から見るとボカコレとニコ動への求心性を高めるためのランキングなのだと考えます。
リスナーの投票制であればわかりやすいのですが、そもそも物理的、現実的に全曲聞けない時点で、それは成り立ちません。

ボカコレに対するモヤモヤの理由はこれだった

私はニコ動のビジネスを批判しません。
ニーズに対して承認欲求という商品を提供しているだけです。
頭いいな、と思います。

でも何がモヤモヤしているのか、これ読んでわかりました。

やっぱり作品をちゃんと評価する場所はあるべきだと思っているから。そこで何が語られるのかはともかく、少なくとも場としてあったほうがいい。賞を与える以上、賞を与える根拠を語るし、語らないといけない。そこでは一定の知見を世界に公開するわけじゃない? 「この作品はここが優れているから評価したい」とか「時代と衝突する覚悟がある」とか、そういうことを話す場が公に設定されていたほうが、報道する側だって語りやすいに決まっているし。むしろ、賞の持つ意味なんてそれしかないでしょ。

押井守さん「映画祭の役割は賞だけじゃない。押井守監督がほぼノンストップで語るアニメ文化の継承と業界の問題点」

ボカコレというランキングイベントは「賞が批評に繋がらない」のです。
なんとなくの理由しかなく、賞を与えた根拠が示されない。
商業的な内部コンペティションだったらわかるんです。その時主催者側に根拠を提示する必要はない。
でもやっぱり、順位が出る以上、私は根拠が欲しいのです。
それは一般リスナーのコメントではない、その分野で一定の知見を形成し、発展性や生産性に繋がるものが、文化としては良いと思うのです。

批評なき世界は?

これに関連するところでは、もともと漫画家志望だった宮崎駿というおっさんが「漫画の世界には批評がない」という名言を残してるんだよね。「漫画家というのは批評されたことがないから、可哀想な連中だ」って。要するに彼ら漫画家は打たれ弱いと言ってるわけ。それに比べてぼくらアニメ業界の人間はボロクソに言われる最たる存在だからさ(笑)。でも、宮崎駿と話していて「漫画の世界には批評がない」と聞いたときに、私は「アニメの世界も同じだ」と思ったんだよね。

押井守さん「映画祭の役割は賞だけじゃない。押井守監督がほぼノンストップで語るアニメ文化の継承と業界の問題点」

「みんな違ってみんないい」「誰もがonly one」思想と批評って相性悪いです。
困ったことに、この思想、絶対正義感があります。
だから批評するイベントは減ったのだと思います。
でも、私は、この思想はある意味で正解だけれど、生産性は低いと考えています。少なくとも、これでやっていて、音楽家として成長できるとは思えないのです。

批評のあるイベントが欲しい

批評が難しい時代だと思うのですが、となると、やはり批評があるイベントが、アマチュアDTM&ボカロ音楽界にも欲しいよね、と私は思います。
それになりより、少なくとも「SNSで繋がっているから曲を評価する」よりよほど知見に富む可能性があり、その分野や参加者の成長に繋げられるコミュニケーションであるだろうと思うからです。
クラシック音楽や映画など、文化として成り立っている分野にはありますし、きっと文化として継続していくためには必要なものなのかもしれない、と今は考えています。

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