ああ、大人になってしまったんだな
見てくださって、ありがとうございます。
えだまめです。
最近、アップルのアップデートで、文章を打つと下線が出て、その部分が変換されるようになりました。
(今のこの文書も、iPhoneで書いてるので)
これが、パソコンみたいでちょっと楽しい。
今回は、「大人になってしまった」と感じることについて。
泣けなくなった
少し前、テレビを見ていたらいわゆる「泣ける話」「感動する話」が放送されていました。
そこで気づいたんです。
あ、今自分、泣いてないって。
今まではいわゆる「感動話」って、絶対泣いてきたんです、私。HSP気質もあいまって、その当人や家族の気持ちなんかを想像すると、いつのまにか涙がぽろぽろ…。
なんでだ?と考えたら、
・番組が脚色してるかもと勘繰っている
・テレビの出演者も視聴者も、「感動すること」「泣くこと」を強要されている気がする
それらが引っかかっているのだと気づきました。
話自体は素晴らしいと思うし、感動したんですけど、邪念が邪魔をして素直に感動出来なくなっている。
ここまで言っておいてですが、私はテレビの批判をしたいわけではないんです。
だって、今までテレビの番組を見てたくさん感動してきたし、たくさん泣いてきました。
私が悲しんでいるのは、そんな邪念に邪魔されて、素直に感動出来なくなっている「自分自身」にです。捻くれてしまったなあ。
夢を言えなくなった
子供の頃、あれになりたい!と思ったら、「私、大人になったら〇〇になんねん!!」と、無邪気な笑顔で、それになれると何の疑いもなく言えていたのです。
小学校で中学校で色んな人を見て、私はスーパー可愛い美少女ではないことも、めちゃくちゃ頭が良いわけではないことも、何かに秀でているわけではないことも、知ってしまった。
将来の夢という言葉に戸惑って、即答出来なくなったくせに、「〇〇になる…なんて出来るわけない!!」と、大学生の今では言い切れるようになってしまった。
「大人になったら」も来てしまって、3月になれば20歳になって。
夢を見つけて、他の人に宣言できて、頑張ってる人、ほんとーーーーに凄い!!
心からそう思います。
本音と建前の使い手になってしまった
これが1番、大人になったなーと思ってる。
子供の頃は、建前を言うことを全部「ウソをついてる」と思っていて、お父さんにそれを言うと傷ついた顔をしていた。
ごめん、お父さん。今なら分かる。
「ウソも方便」なんだって。
本音と建前を使い分けることは「悪いこと」なんじゃなくて、「自分と相手を守る手段」でもあるんだって、やっと気づいた。
大人になった
今まで書いてきたことは、言い換えれば、
邪推をすることもあるけれど、ものごとの「裏側」を理解できるようになった。身の丈を知っている。相手に優しく出来るようになった。
とも取れる。
ああ、大人になったんだ、私。
悲しい、だけじゃない。
私は確かに前進している。
そう思おう。
見てくださって、ありがとうございました。
えだまめでした。
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