想い出がひとつもない夏
9月になった。例年なら子供たちが学校に通い始め、いつもどおりの生活に戻ることにホッとするのだが、今年はそれが全くない。旅行や外出の代わりに時間を費やしたオリンピックや高校野球やパラリンピック。見ているときは楽しいけれど、振り返ってみると「自分ではない誰かの感動」は自分の想い出にはなっていなかった。完全な不完全燃焼の夏。
でもオリンピックを見て楽しかったという記憶は私のなかにいくつも残っている。そのときは無意識だったけれど、自分の生活も充実していたのだと思う。日光の林間学校の宿泊先でクラスメイトや先生と見たバレーボール、房総のホテルでちょっと早起きして部屋の小さなテレビで見た水泳、沖縄のホテルで見たビーチバレー。自分も夏を楽しみながら見たオリンピックや高校野球だからこそ、それらが楽しい想い出として記憶されていたのかもしれない。当時オリンピックを見たことは楽しかったけれど、それは「夏休み想い出ランキングの1位」ではなかっただろう。
森山直太朗さんの「夏の終わり」をイヤホンで聴く。この曲は沖縄旅行の帰りの機内で聴いて以来、夏が終わるという何とも言えない寂しさを和らげてくれる曲である。たくさんの想い出があった夏も、今年のようになにもない夏も、夏が終わるという寂しさは変わらない。耳元で響く直太朗(好きなのであえて呼び捨て)の高音ボイスが私の心のざわめきをかき消していく。
これで「2021年の夏」はおしまい。
来年の夏はどんな気持ちで「夏の終わり」を聴くのだろう。