日本の再生産領域における男性性―福祉制度における政策と実態の乖離―

文責:魚の理



序論

 最近、再生産領域に従事する男性を扱ったテレビドラマが日本においても散見される。例えば 2020年に日本テレビ系で放送された『極主夫道』では専業主夫として働く男性を主人公としていたり、2021年からTBS系で放送されている『俺の家の話』では第 1 話で父親を介護する男性が描かれていた。長きに渡って家事や育児は女性の領分と見なされてきた日本において、男性が積極的に再生産領域に参入する場面が描かれるようになったのは、性別役割分業に対する問題意識が世間に浸透してきた証拠と言えるかもしれない。

 しかし、その問題意識の浸透は世代によって差がある。総務省が隔年で実施する「社会生活基本調査」によると、1996~2016年にかけて夫の家事関連時間は年を重ねるにつれて微増しているものの、妻と比べると圧倒的に差が開いている(図1)。

(図1)6歳未満の子どもを持つ夫・妻の家事関連時間の推移

出典:総務省統計局(2017)

 加えて、内閣府が2016年に公表した「育児と介護のダブルケアの実態に関する調査」によると、育児・介護・ダブルケアの推計人口において、男性は女性と比べて少なかった(図2)。

(図2)男女別ダブルケアの推計人口

出典:内閣府男女共同参画局(2017)

このように再生産領域におけるジェンダーの不均衡が完全に解消されたとは言い難いのである。

 男女雇用機会均等法の制定や男女共同参画会議の実施を通しても雇用や賃金、そして家事労働の面で男性と女性の格差は縮まらないままである。その上男性が再生産労働に従事することで新たな問題を引き起こす可能性もある。2015年に文部科学省が介護における高齢者虐待の実態を調査すると、虐待者の性別は半分以上が男性であることが分かった(図3)。

(図3)高齢者虐待者の性別

出典:文部科学省(2017)

 本稿では再生産領域に参入する男性を巡る政策と実態を男性性の視点から分析し、ジェンダー平等を達成するために称揚されやすい男性の「家庭化」が理想とは逆の結果を生み出す側面を指摘したい。敢えて男性性に焦点を当てるのは1990年代以降の男性学が「女性学以後の男性の自己省察」(上野 2002)を含んだ学問領域であり、相対化された存在としての男性像を描き出しているからである。なお、本稿で鍵概念として用いるのは「ケアリング・マスキュリニティ」である。詳細な定義については次章で行う。

家族主義的福祉レジームにおける男性性

 「ケアリング・マスキュリニティ」とは男性のケア労働への参入によって女性に集中しがちな再生産労働を分かち合って家庭内における支配的地位を解体し、思いやりや相互扶助の精神を持たせようとする概念である(植田 2019)。欧州では家父長制を生み出す男性性を変化させるためにこの概念が理想化されている。日本でも直接言及されているわけではないが、「ケアリング・マスキュリニティ」の精神がジェンダー平等の実現に貢献すると期待されている。

 2017年に男女共同参画会議が公表した「男性の暮らし方・意識の変革に向けた課題と方策」によると、男性が家事・育児へ参画する意義を①男性自身の幸福感の向上、②生活者の視点・経済感覚の習得、③家族の絆の深化、④女性の社会進出、⑤組織のダイバーシティ化としている。①と②では再生産労働を通して男性自身が「変化」することが求められている。③~⑤では子どもの世話や炊事・洗濯によって得られた経験が稼ぎ手として働く側面にも良い影響を与えると期待されている。

 そもそも日本の福祉レジームは家族主義に基づいて男性稼ぎ主世帯を想定して構築されてきた。その結果、ひとり親世帯や共働き世帯から徴収された税や社会保障費が男性稼ぎ主世帯に与えられる不公平な所得再分配を生み出したり、ケア労働に従事する女性を不可視化した政策立案へと繋がった(落合 2015)。その視座には多賀太が指摘する男性=人間という図式が自然化された社会科学における「男性による男性の研究」(多賀 2002)が含まれている。

 つまり、再生産労働は性別役割分業に組み込まれてきたのにもかかわらず、性差を無視した研究や政策が主流化されていた。後に家族主義を生み出したEsping-Andersenが1990 年に福祉国家論を提唱した際もフェミニストから多数の批判が寄せられていた(藤間 2018)のは家族を問題化する研究者ですら最初から性差に対する意識が十分であるとは言えなかったことを示している。

 その点から見ていくと、先述の調査や政策では男性と女性は再生産領域に限っても大きな隔たりがあると指摘したのは的を射ているように思われる。例えばダブルケアを行う男性と比べて女性は周囲から手助けを得ることが難しくなっていたり、男性と比べて女性はダブルケアに直面してから業務量や労働時間を変化させないといけなかったりと、再生産領域においても男性が特権的地位を占めていることが理解できる。

 冒頭で述べた男女共同参画会議(2017)は言及こそしていないものの、「ケアリング・マスキュリニティ」の精神を活かすことで再生産領域に従事する女性の負担を減らし、男性を覇権の座から降ろす社会を目指していると考えられる。ただ、この想定は単純化された理想論に過ぎない側面もある。次章ではこの概念が実態に即しているかを見ていく。

ケアリング・マスキュリニティと再生産領域の実態

 前章では「ケアリング・マスキュリニティ」を鍵概念として日本の福祉政策における性差の視点について述べてきたが、そこに含まれているのは再生産労働の経験が男性に幸福感を与えたり女性の社会進出を促進するという仮定である。確かに女性が多数を占めている状況に男性が参入すれば、数の上では女性の負担が減り、そして仕事の大変さを通して男性が女性の気持ちを理解してジェンダー平等が成立すると思うのも不思議ではない。

 しかし、その筋書きが現実に適用されているとは言い難い。笹川平和財団が2019年に実施した「新しい男性の役割に関する調査報告書」は日本・韓国・中国・台湾・香港の主要都市において実施した男性性に関する WEB 調査をまとめた報告書である。調査項目としては仕事における競争意識や職場における女性観、そして家庭における性別分業観、家事頻度、育児頻度、介護頻度などであった。興味深いのは全ての都市において家事頻度の高い既婚子どもであり、男性は職場における女性観が差別的であったり、配偶者の収入が多いのである。

 その理由として考えられるのは、仕事に限らず家事も「男がすべきこと」と見なされる状況になると、男性性の特徴である相手に対して競争で打ち勝つ優越志向(伊藤 1993)が仕事と家庭の両面において責任を果たせるという自己イメージを保ち、女性になおさら厳しい視線を送ってしまうのである。ある意味、女性を対等な競争相手と認識しつつも、優越したいという屈折した意識を持っているとも言える。

 加えて、ダブルケアにおいては男性の参入によって女性の負担が増えたり、女性に対する男性のサポートが消極的なものに限られてしまうようである(相馬・山下 2020)。つまり、男性がダブルケアをサポートするようになったとしても、女性の補佐役に徹するだけで、ケアの主体的な従事者とはならないのである。

 「ケアリング・マスキュリニティ」を適用した場合には少しずつであるとはいえ男性が主体的に再生産領域を担い、実質的なジェンダー平等が成立するはずである。だが、現状としては再生産領域への参入が限定的で、時に女性の負担を増やすことになったり、完全な参入が成立したとしても女性に対する優越感が生まれてしまうのである。

結論

 ジェンダー平等は男性が女性の負担を分かち合うことによって成立すると期待されているが故に家事や育児を担う「イクメン」が公的にも称揚されてきた。ただ、それはあくまでも理想と仮定であり、現実と結果ではない。後者を知るためには再生産領域に男性が参入することによって男女にもたらされる負の影響を解明する必要がある。男性学は女性学を踏まえて男性を相対化する視点に根差している。女性を無視して男性の負担だけを強調するのではなく、男性と女性の性差に根差した現実的な政策研究の必要性が今後拡大していくことであろう。

参考文献

伊藤公雄(1993)『<男らしさ>のゆくえ――男性文化の文化社会学』新曜社
上野千鶴子(2002)『差異の政治学』岩波書店
植田晃博(2019)『新しい男性の役割に関する調査報告書』笹川平和財団アジア事業グループ
落合恵美子(2015)「日本型福祉レジーム」はなぜ家族主義のままなのか—4 報告へのコメント」『家族社会学研究』27(1):61-68.
相馬直子・山下順子(2020)「ダブルケアと構造的葛藤─なぜダブルケアは困難なのか」『大原社会問題研究所雑誌』(737):1-16.
総務省統計局(2017)『平成 28 年社会生活基本調査』
多賀太(2002)「男性学・男性研究の諸潮流」『日本ジェンダー研究』(5):1-14.
男女共同参画会議(2017)「男性の暮らし方・意識の変革に向けた課題と方策~未来を拓く男性の家事・育児等への参画~」
内閣府男女共同参画局(2017)「育児と介護のダブルケアの実態に関する調査」
文部科学省(2017)「平成 27 年度 高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律に基づく対応状況等に関する調査結果」

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