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NeedsとWantと

仕事をはじめとする、自分の対外的な振る舞いについて考える時。

期待される、もしくは求められる役割や動きに自分を当てはめて担うパターン(Needs主導)と自分がやりたい、と思う役割や動きを担うパターン(Want主導)と分けたとして。

みなさんは、どちらのパターンが多いだろう?
わたしはこれまで圧倒的に前者のパターンが多かった。

新卒で就職する時、大きな意味ではやりたい役割を担ったが、就職後は少しずつやりたいことから離れ、期待されること求められる役割を担う場面が増えた。

わたし自身も経験値を増やすべく、応えてきたつもりだった。
特に仕事においては「何がしたいの?」と聞かれる場面は長い間無かったし、やりたい事を言ってやらせてもらえる立場でもなかったのもあって、期待される、求められる役割に応えることに集中した。

その頃もやりたいことがゼロではなかった。
しかし、仕事では活かせる場面が見当たらずに、課外活動としてやっていた。

だからか、ついに仕事で「何がしたい?」と聞かれるようになった頃には、仕事においてやりたいことなんて無かったし、自分の「やりたい」という気持ちを仕事に持ち込むものではない、くらいに思っていた。
かつてやりたかったことも、課外活動そのものも見直す時期に来ていたので、これです!と素直には表明できずにいた。
これはつい最近までそうだった。

昨年末。
ふと、言葉が降りてきた。

「もう、じぶん一番でいこう。その時が来た。」
この言葉を思いめぐらせながら、年が明け、改めて覚悟する必要があるんだなあと思った。

ちなみに、先日書いた今年の「応」と一見矛盾しているように見えるかもしれない。

一度は受け容れる。
これは自分の世界を狭いままにしないために。
けれども、違和感が出てきたら、そこでその違和感を表明してみる。
それでも違和感が解けなければ離れる。

はじめは、そんなことも思っていたけど。
たぶん、これは「じぶん一番」を越えた境地だと、今は思う。
じぶん一番を大切にしていたら、こだわりは研ぎ澄まされていく。
自分のこだわりが分かっていたら、他者に譲れるのだ。

NeedsとWant、どちらからスタートしても構わない。
たまたまわたしはNeeds主導からスタートしたのだが、Needs主導が悪いのではない。

自分のやりたいことが見えない時は、誰かのニーズに便乗しながら自分のこだわりや持ち味を知り、やりたいことを探せば良い。
また社会の中では、自分の今いる環境の持つニーズとやりたいこととが合致しないこともある。
誰かのニーズに便乗しているうちに、自分のやりたいことへのヒントが見つかることもある。

Want主導でスタートした場合も突き詰めていく過程で、周りとどう折り合うのかが課題になることがあるし、時には「これは本当に自分がやりたいと思っていたことだろうか?」と不安になって迷うこともあるかもしれない。

それでも、どちらかを突き詰め、チューニングしながらちょうど良いところが分かる…… ということなんだろうな、と年末年始にふと出てきた言葉が一週間ほどして着慣れてきた。

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ゆもとりえ (あわい舎)
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