経験なんて関係ない 初めての事はできなくてあたりまえ
けさ いつも通り1歳の娘を寝かしつけて思った。
なんでこんな疲れてるんだ、わたし。
さっき起きたばっかりじゃん
看護師時代、夜勤で15人くらいの患者さんを受け持ち、多重業務なんて当たり前な生活を17年繰り返してきたわたし。
食事介助中、ナースコールが鳴ると、申し訳ないが患者さんには待って頂き、トイレの介助にいき、帰りに点滴が終わる方の交換をして、ついでにその方の食後の薬を飲ませてからまた食事介助に戻る、、
みたいな。
育児なめてた。
もっとできると思ってた。
まぁ、初めてだもんな。でも1人なのに。。。
ちょっと納得してないわたし
でも納得しようと無理やり考えているわたし
思えば2011年
看護師として一生懸命働いていた私は疲れもあり、全てゼロにしたい衝動に駆られた
英語も話せないのにオーストラリアへワーキングホリデーに行った
海外での生活は中学生からの夢ではあった
いつか看護師として留学をしてみたかった
ずっと行きたかったのだけれど、これといって準備もせず。あれよあれよと時は過ぎ、30歳までしかビザがとれないのもあり、ギリギリ覚悟を決めたのだった。
勢いのみ
今ならぜったい真似しない。
もちろん英語は聞き取れないし、話せない。
日本ではベテラン看護師として一応頼りにはされていたし、自信もあった。なんとなく、人間としてもステージがあがっているような気もしていた。自意識過剰すぎる、、、
…でもそれは日本で、その病院の中だけの話。
オーストラリアでのわたしは、まるで赤ちゃんだった。
人にケアしてもらえないと生活できない。
誰も私を大切に扱ってくれない。(ようにみえた)
とても悩んだ。看護師というレッテルを剥がされたらまるで自分には何も残っていなかった(ようにみえた)
いわば、人間力0(ゼロ)の状態。ゼロではないんだけど、わたしにはそう感じた。そうなりたくて来たんだけど、もっと楽な気持ちになれると思っていた。
オーストラリアでのわたしはただのイチ日本人。着物の着付けもわからないし、できるのは折り紙くらい。なんかこう、自分の武器というか、特技があればもっと仲良くなれたかもしれない、という場面が多かった。
そんな私が唯一できたのが
目を合わせてスマイル
ただそれだけで乗り越えてきた 笑
でもあるとき気がついた。
あぁ、わたしは勘違いしていたのかもしれない。
あそこにいるからあの立場で働けたのだと。あの立場で働いていたから周りの人はわたしにあのように接してくれていたのかもしれない、と。
改めて自分の人間性というよりは、環境が作用してたのかな、と。気がついた。
自分に向き合う時間も多くとれた
自分にとって必要なもの、そうでないもの
自分のやりたいことはなにか
やりたいことも大切なひとがなるべく心配しないようなやり方を工夫して
そんな事に気がついた私は余分なモノ?が削ぎ落とされ、ココロもカラダも健やかになっていき、英語も話せるようになって帰国
ちょうど10年くらい前の話でした。
これをきっかけに、自分という個性を前よりは大切にできるようになったかな
世の中には自分の事を良しと思わないヒトもいるし、それは当然。考え方がちがうから。
だから、大切に思ってくれるヒトは当たり前じゃない。大切にするべき存在。
モノもそんなにいらない
必要なものは少しだけ
歳や経験は関係ない
環境がかわれば今までの事はゼロになる
周りの人はあなたの今までを知らない
自分も初めての環境
できなくてあたりまえ
コツコツとトライ&エラーの繰り返し
そのうちみえてくる
そのうちついてくる
人もモノも
あとは なるべく楽しんでやろう
せっかく生きているのだから
あ~
忘れとったな
そうやって看護師としてもやってこれたなぁ
うん、まぁ なんとかなるか
とりあえず やってやってやるのみだね
今までの経験は
初めての事にも生かされているのかもしれないな