文化や芸術を支えるお金持ちの話
アートとお金の切っても切れない関係
友人とアドミュージアムに行ってきた。参加費無料だが、汐留の立派な土地に綺麗な作りの展示会会場が作られていた。
聞いた話によると、収益の何%か(財源だったかな?細かなことは忘れた)をこのようなアート関連の運営に使うことが財団の規約に定められているらしい。
お金はあるところにはあるものだ。世の中にある多くの学術活動やアート作品は、このような"持つ者"による寄付の精神で成り立っているのである。
経済的な不安から解放された成功者ばかりなので、刺さる理念を提示できればお金を出してくれる。
寄付の裾野が広がることで生まれる苦悩
クラウドファンディングとかYouTubeのスパチャなどもすっかり市民権を得てきたが、あれは要するに「日常に閉塞感を感じる小金持ちから広く浅くお金を集める」やり方である。
投資ファンドをはじめとして、金融の進歩は新手法の発明とその大衆化によって達成されてきた。誰でも気軽に寄付者になれる時代なのだ。
しかし、寄付の精神と手数料ビジネスは時として対立する。寄付をする側からしたら「善意で出したお金からなんで手数料が引かれるんだ」と考える人間が少なくない。
これは小金持ち特有の現象で、大金持ち(その多くは成功した経営者)はビジネスに対する理解があって手数料にそこまで拒否反応はない。
裾野が広がる代わりに、利幅をとることを許さない世間の目が増える。事業者にとっては苦しいだろうなぁと思う。
以前に食と文化は相性が良いという話を書いたが、寄付という行為も、飲食店に入ることも、お金を媒介とした一種の投票行動である。
選挙が血の流れない戦争であるのと同様に、お金を集めようと寄付を募る行為もまた競争の色合いを帯びてゆく。
お金を集める立場の人たちは、今日も成功者に刺さるストーリーを日夜生成しているのだ。
功成り名を遂げた人の苦悩
かつてサッカー日本代表の監督を務めた岡田監督は、現在自分のクラブチームを経営しているようだ。あれだけの名声を得た人でも、お金を集めるために営業活動をして頭を下げている。
「自分の好きなことをするからには自分でお金を集めないと」という岡田監督の筋の通った姿勢は好感が持てた。こういった応援したくなるストーリーが作り出せるのは人柄のなせる業か。
代表監督だった時も、岡田監督はあえて選手とは距離をとっていたらしい。なぜなら、チームの勝利のために、誰かを代表から外す決断をしないといけないから。選考から外れた人間の家族から恨まれる行為である。
一緒に飲みに行った人間に「君は試合に出せない」と言うことはできないから、選手と距離をとっているのだ。
ああ、本当に心根が優しい人なんだなぁと思った。