【夢考察】魂と意識の海
[特技はレム睡眠]
私は朝、目覚めると夢の内容を覚えていることが多く、以前から夢日記に記録しています。
この2年くらいから、夢の深度が深まって来たので、自己探求しています。
記録と考察交えて夢の記事を書いています。
今回は[魂ってどうやらこんな感じっぽいよ]という夢のメッセージについてまとめてみました。
【現実は魂に見られている夢】
これは以前に、いわゆる「降りてきた?」ふうにあったことからの気づきです。
時々、ビジョンのようなものとか記憶なのか妄想なのかわからないエピソードが閃くので、
なんとなくメモに書き始めたら、自動的に勝手に誰か女性目線で文章が綴られていました。
なので、これは夢というよりは自動書記というものかもしれません。
気づいたら一晩かけて30,000文字くらい綴ってきて、出てきた文章の最後の部分に
『ああーそうか!なるほど!』と思うことがありましたので、その部分だけ再掲。
夢とはちょっと違うけど、自分で考えた感じがしないので夢扱いします。
これは以前書いた
「同じ人の夢をみる(Ⅲ)」という記事の抜粋です。
魂の沼
この文章を初めて読んだ時(自分の手で書いてはいるんだけど)
『ああなるほど、私は魂に見られている夢の方だったのか!』と理解しました。
それまで、輪廻転生や前世の話を聞いても、
全く信じないわけじゃないけど、なんとなくしっくりこない。
子どもの頃の記憶と違って、自分の体験として捉えてないですもんね。
ヒプノセラピーや深い夢で前世を思い出した人や、前世の記憶を持ってる子供の話をたくさん聞いたことがあるけど、
じゃあ記憶ってどこにあるの?
子供にいたっては体内の臓器もまだ未熟な成長過程だし、脳そのものに記憶があるわけでないし、と新たな疑問を生むだけでさっぱりでした。
それに、それまで人体の中に魂が入っているという通説をぼんやり信じてて、
それもちょっと無理がある感じでピンとこなくて。
体の中と魂があるというより、こっちが見られている方ね!と考えるとしっくりきました。
コペルニクス的転回。
てことは、魂の中に自分がいたのか!っていう理解です。
よく映画館の例えで「現実は映画で本当の自分はスクリーンの方だ」という表現があるけど、それがやっと腑に落ちた感じでした。
夢やインスピレーションで理解したことは
どうやら
魂というのは『沼』のようで無形であること、
いろいろな記憶が混ざった状態になっていること、
澱みの部分もあって、それも魂の個性みたいなものだってこと、
その澱みを気づくか感じきるとさらさらしてくること、
ということでした。
魂というのはどうも、大きな意識(スピリット)のうちのかたまりのひとつのようです。
よく魂年齢というのがあって、こんな特徴があるという本や記事がありますが
この魂が見ている夢が多いのがオールドソウルなのかな、と思います。
転生が多ければ多いほど、魂はいろんな「思い」を体験します。
[重い思い]があまりに多いと、魂自体が澱んで沈んでしまいますので
自浄効果で、軽くなろうとするようです。
澱みのある沼の水がさらさらになることで、川に注がれて行きやすくなります。
澱みのない[人生ドラマの夢]を見ている霊体(個々のスピリット)は河口にいるハイヤーセルフと同化するのだと思います。たぶん。
流れる川に浮かぶカヌー、そっちが魂
もうひとつ、これは別の夢の中で気づいたことがありました。
夢の中で、私は川の中に半身浸かっていて、向こうからくるカヌーを見てました。
カヌーには何人もの人が乗っています。
どうやら、それが自分の過去生のようなものだとわかりました。
そのカヌーが川ぞいを通過するたびに、その乗客の過去生を映し出すのです。
その時も、ああ、カヌーの方が魂なんだ…と気づきました。
そして乗客たちと私は基本的な思考や感情を共有している感じでした。
夢の中でのひとつの表現なので、現実の法則に当てはめると訳わからなくなりますが
記憶としての「人生」であって、魂はそんな[ドラマ]を体験しているということみたいです。
その夢の中での私は、前世記憶をのせた魂カヌーを見ている人だったので(ややこしい)
魂の気持ちというよりは、今の自我でぼんやり見てました。
カヌーの中の人たちそれぞれの人生ストーリーまではわからなかったけど、
どの人もカヌーの上では、あっけらかんと明るい感じ。
ひとり、自分の人生に執着を持った人が乗ってました。
その人の場面になるとシリアスだったけど。
(詳しくはリンク)
執着や後悔や未練や執念など、いわゆる思い残しがあるとその部分が
想念となって固まって澱みになるようです。
魂が見ている人生映画の中では、その部分がずっとループしてしまう。
魂はこの[重い思い]を浄化したいようです。
あんまり重いとカヌーが停滞して進まなくなってしまうから、かな。
【川は大海につながっていく】
私たちが[人生]と思っている記憶は、魂が見ている夢の体験のひとつだったようです。
魂からすれば、全ぶが等しく愛しい「体験」なので良いとか悪いとかは全然なく
あえていうなら全ぶ「面白い」です。
でも面白くても、澱みが多いと沼化して川に流れないわ、カヌーは停滞するわ。
それは、全体の循環の流れに逆らうので自浄作用で勝手に浄化するようです。
それが現実のドラマにあるネガティブな現象として、見えてくる。
その感情や、その裏にある観念に気づいてあげることで、過去世の人の澱みも解消されて
魂がさらっとしてくる仕組みのようです。
この頃、夢日記をまとめていて気づいたのですが、
私の夢にはよく、川や海や温泉などの水に関連するシンボルがでてきます。
読み返していたら、本当にたくさんの水にまつわる夢を見ていました。
街全体がプールだったり、道路が川になっていたり、
キラキラする海を眺めてぼーっとしていたり、
電車の終着駅が温泉だったり、世界そのものが温泉になっていたり。
それらの水にまつわる夢をまとめて考察してみると
魂の沼(カヌー)自体も川に見られている夢のようなもので
川も大海に見られている夢のようなもので、
それらは流れに従って全ぶ同じところ、つまり大海につながっていく、
みたいな、そんな感じでした。
魂の沼
ある程度の[人生ドラマの記憶]のまとまりである魂の沼(あるいはカヌー)は大きな川につながっています。
沼と川の境あたりに、総監督のようなハイヤーセルフがいるようです。
おそらく沼の個性のようなものだと思います。
それらはたくさんの[人生ドラマの記憶]を集めてます。
ここでは、ドラマ鑑賞しながら澱みと浄化の両方を体験しているようです。
こちらからすると面倒臭いですね。
澱みができたから沼になって浄化しているのかもしれないです。
[人生ドラマの記憶]に重い思い、つまり想念が残ってしまうと沼にループするので
なかなか軽くなれませんから、それを浄化したいようです。
ある程度までクリーンになると川になって流れて行くようです。
でも、この沼化する寄り道は大事らしいです。
こちらからするとキツかったりしますが。
スピリットの川
ここは良くわからないけど、
魂でもあるし個々の記憶霊体でもあるし、いろんなものが流れている意識のようなものでもあるのだと思います。
いわゆる重たい想念のない、クリアなスピリット(この場合は霊よりもう少し人間味の薄れた精神ってことかな)のようなものが混ぜ合わさった状態でひとつの流れみたいな。
(イワシの群れとかスイミーみたいな感じかも)
そういえば臨死体験された方や胎内記憶を持つ子どもの動画で、
一緒に飛んでいる光の玉のようなもを見たとか言いますが、
この川のことかもしれませんね。
漠然とした感想ですが、私の夢で川が出てくる時は
集合意識的な意味合いのような気がします。
あるいはもう少し深く、スピリット側の事情。
川は海から流れてきて、また海に向かって行くようです。
大きな水のようなものが、意識の象徴として現れてくるようです。
ただ、まだ未考察ですが、霧やミストなどの霧散する水も夢の中によく出てきます。
こっちはまだ良くわかりません。浄化そのものの状態のことかも知れませんね。
水が滝のような表現で現れる夢も見ます。たまにですが。
感情や経験を表しているのだろうか、とも思います。
意識の大海
川は流れのままに大海に注がれます。
海の夢も良く見ます。
いつもただ、平穏に和やか〜な、穏やか〜な、長閑〜な感じなので記事にしにくいですけど。
水色の水平線に玉ボケしたようなキラキラした光の反射が遠くに見えて、
それをうっとりと、眺めています。
ずっと眺めていられるなあってくらい穏やかです。
どうやらこれが、アカシックレコードと呼ばれる情報の海であり、ワンネスと呼ばれる一つの魂でもあり、色即是空の色の表現のもとであり、精神の根源にあたる意識でもあるように思いました。
今目の前にある現実は、魂が見ている夢のようなものですが
その夢を作り出しているのも結局は大海、
夢の住人である私たちも海の中に現れているビジョンにすぎなくても、
同じ海という素材でできているんだなあと感じます。
あくまでも魂でありスピリットであり意識である、そっちが本体なんですよね。
これがなかなか体感理解できてない、思考ばっかりの夢の住人の1人です。
そしてもともと同じ素材でもあり、情報でもあるスピリットは海に溶けてひとつになり、
また別の川から流れ、そこでの経験で小さい個性の沼ができ、沼が夢を見て情報を修得し、アップデートしてた川に注がれて海に溶ける。
そんなような循環があるように感じています。
海そのものはいつも眺めているだけなのですが、同じように温泉に浸かっている夢も良く見ます。
夢の中では自分は温泉に浸かっているだけなのですが、
程よい温度であたたかくて穏やかで、ぷかぷか浮かんでいて体の制約がなくて動きも自由。
時には温泉の中を泳いでます。
海の中に温泉宿がある夢を見たこともあります。
覚えていないけど、母親の羊水の中ってこんな感じだったのだろうか、と思います。
たぶんそんな感じ。
宇宙は多次元的でフラクタルな構造になっていると思います。
アップデートして川を流れて辿りつく海が母親の羊水だとしたなら、
もしかしたらまた新しい宇宙が生まれているのかも知れません。
人生ドラマの中でいろんな目に遭い、どんなに辛くて悲しくて苦しくてクタクタになったとしても、それはおそらく魂のサイン、アップデートの兆候。
とにかく、前の人たちの想念に気づいてあげることで沼が川になり大海へちゃんと流れていくような気がします。
その目的は、
おそらくは、全員が「自分はこの意識の大海であり、温泉のような宇宙の羊水そのものだった」ということに気づくためではないかと思っています。
【まとめ】
夢日記は数年前からデータになっているんですが、
エピソードの数だけでもすでに1500くらいあるので、なかなかまとめきれません。
ジャンクな夢(日常の気になること的な)をのぞいて、なるべく面白い夢を記録しています。
昔からの夢は、筆記のメモでもうほとんど残っていませんが
マガジンにある「RADIO Dinosaur]だけは、あまりにも印象的だったのでずっとメモを保管していました。高校生の時に昼寝してみた時の夢ネタがもとです。
短い小説にしてまとめていますが、自分が50年代か60年代のアメリカ?かどこかの高校生の男子だったり、いきなりピエロがプールサイドでラジオ実況していたり、突然恐竜が出てきたり、その後…(このへんにしときます)
でもプロットはほぼ、そのままです。
最後に出てきた音楽は、それまで聞いたこともない曲でしたが、ある時後からMTVで流れてきて「これだ!」とすぐにわかりました。
夢は不思議です。
別の世界の記憶のようです。
この2年ほどですが、明らかに夢の質や内容が変わってきた感じがします。
おそらく、意識の深層や宇宙や非二元についてなど根源のことを知りたがっているからかも知れません。
なので、覚えていられる限りメモしてます。
朝起きてスマホの音声文字変換を使っているので、後で読み返してみると誤変換や寝ぼけた口語でめちゃくちゃですが。
探求などでそういう理解が深まってくると、夢として顕在化してくるように思います。
今まで夢判断とか夢占いとか夢辞典など、何冊も持っていましたし、フロイトも念のため
読んでみましたが、なんか違うなーとずっと感じてました。
夢そのものは個人によって違うものだし、夢が象徴しているものも、
その個人のその時の理解や解釈によって違います。
覚えている内容も本人がどこまで理解できるかで違ってくるようです。
(とはいえ、私もまだ研究中です)
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