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知的障害の長女の素敵な生き方

今年50歳になった長女は、知的障害、自閉スペクトラム症、躁病、てんかんです。
小さいときはてんかんの発作が頻繁にあったため、国立病院のてんかん専門外来に通院していました。
主治医であった専門医が、定年になり、個人の神経内科クリニックを開いたので、今はそこに通院しています。
国立病院でなく、個人病院なので、待ち時間も少なく、電話でも相談できるので、とても便利になりました。
てんかんの発作もなくなったのですが、脳波検査と服薬は欠かせません。

今一番、たいへんなのが、躁病です。
こまめな服薬管理、母親の精神的な安定の努力などのかいもあってか、今年は長女の人生で一番、穏やかに過ごせています。
やっとここまでこぎつけたかと、感慨深いものがあります。

それはそれは、苦労はあったけれど、私が母親として、ここまでやってこれたのは、医師、支援者、水泳の先生など周囲の方々のお力も大きいのですが、なんといっても、長女の生活力のすばらしさのおかげではないかと思います。
今の世の中、生きにくさを感じている方がとても多く、若い方から高齢の方まで、自殺する方が増えています。
殺伐とした事件も多く、貧困、虐待、いじめ、差別、DVなど心を痛める出来事が後を絶ちません。
このような時代、どのように生きていったらよいのか。
どのような生活をしていくことができるのか、考える機会が多いです。
そのような世の中ですが、長女の生き方は、とてもシンプルです。

「自分が好きなことを好き」と言える。
「心が喜ぶようなことを素敵」と言える。
美味しいものをたべて、「おいしい」と言える。
とても、シンプルな毎日です。

そして、長女は「忖度」と言うものを全くしません。
なぜなら、たぶん、「忖度」と言う概念を持っていないからです。
偉い人とか、この人に従うとか、この人の言うことを聞くとかいうことは一切しません。
この人は有名人だから、とか、この人は決定権がある人だからなどということは一切考えてません。

自分の、感覚で、好きなことを好きと言い、おいしいものをおいしいと言います。
そして、直感的に、この人は信頼できる人だということを、感じるようで、逆に嫌だと感じる人のもとへは寄り付かないのです。
だから、時と場合によっては、とても失礼極まりない態度をとってしまって、そういう時は、空気が読めないとか、社会性がないとか、糾弾されることが多いのです。

知的障害者でも、できる限り、社会性を身につけて、健常者と共に生きていこうというような考え方があり、それを共生とか、インクルージョンとかいう人が多いです。
でも逆の発想をしてみたらどうでしょうか。
知的障害の長女のシンプルで、素朴な人間性を大事にしていく生活を、健常者の方たちもしていくという発想です。
それをインクルージョンと呼んでみたら、どのような立場の人も、あたたかさに包まれて、だれでも、生きていていいのだなと思える世の中になるのではないでしょうか。

もちろん、のろのろして、ぶかっこうで、スマートさはありません。
タイパだの、コスパだの無関係です。
その人の心と感受性を、一番大事に考えて生きていくこと。
社会の凝り固まった枠組み(誰が、誰のために作ったのかわからないけど、ずーっと今まであったから今もある)に合わせて生きていくのなんて、どこの誰ができるものなのでしょうか。

こんな、素敵な生き方を毎日している長女。
母も見習っていきます。



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