お預かりさせて頂いてます
知的障害、自閉症、躁病、てんかんを持ち合わせている長女は、毎日、バスと電車に乗って、生活介護の日中活動に通っています。
今日の朝、いつものようにバスを待っている時、長女が言いました。
「まさか、あんなに、るるくんのおかあさんがなくなんておもわなかった。」
「感激して泣いたんじゃないかなあ。」と私は答えました。
先週、園で開かれた二十歳をお祝いする会で、長女はお祝いの言葉を述べたのです。
園では今年二人が二十歳になりました。
そのうちの一人のルルくんは、入所当時は個別対応でしたが、最近はみんなと一緒に給食を食べることができるようになったそうです。
長女は、お世話焼き屋さんなのでルルくんが入所して以来、声をかけたり、一緒に行動したり、家に帰ってくると、ルルくんがこんなことを出来るようになったとか、一緒にバス旅行に行くことができたとか、嬉しそうに話してくれるのです。
そのルルくん、二十歳を祝う会にはスーツを着て、お母さんも出席しました。
スピーチの大役を仰せつかった長女は、かっちんこちんに緊張して、でも、なかなかのスピーチを披露しました。
長女の言葉を聞いた、ルルくんのお母さんは号泣したのです。
「なんであんなになくかなあ。」と長女は言いますが、私には彼のお母さんの気持ちが痛いほどよくわかります。
無事に二十歳を迎えた重度の自閉症のルルくん。
お母さんの頭の中は、苦労と涙の二十年間の思いが、走馬灯のように浮かび上がったのでしょう。
スタッフの方々からスピーチをほめられた長女。
心から、おめでとうと言ったのでしょう。
いつもいつも、心にかけていましたから。
昨日、生活介護の支援会議のため、園を訪れましたら、スタッフさんから、長女がとてもよく活躍しているという話をお聞きしました。
ええっ。活躍しているんですか。
私の見ていないところでは、どうやら、活躍しているらしいです。
だから、家に帰ってくると疲れてしまったり、がちがちに緊張してしまったりするのですね。
緊張して、口数の少なくなった長女は、なんだか、いつもの長女と違って、大人っぽく見えます。
そして、もっと、もっと大切に思えます。
長女も、そして長女の下の三人の娘たちも、私の子どもですが、もうみんな私よりも、ずーっとずーっと、しっかりした足取りで歩いています。
私は、四人の娘たちに学ぶ日々です。
そして思うのです。
私の子どもとして、ここまで育ててきたのだけれど、娘たちの存在は、私の小さい世界を超えた、どこか、大きい存在だなあと。
たぶん、彼女たちは、私という小さい個人という存在を超えた、大きな大きな、遥かな、時空さえも超えた大きなものから、私が託された命なのではないのかと。
私は、ただ、大きな存在から、娘たちの命を預かっていただけなのではないのかと。
こう思えるようになった今は、テッド・チャン原作(あなたの人生の物語)の「メッセージ」や、劉慈欣の「三体」などが、心の目で読んだり見たりできるようになりました。