魂の闘い有料老人ホーム炎のパワハラ
特養で6年間働いた私は、介護支援専門員の資格を取り、転職した。
有資格ケアマネを募集していた新規開設の有料老人ホームに、正社員として勤務することになった。20年近く前のことだ。
その施設の経営は、当時介護業界の絶好調のてっぺんにいた、株式会社「C」。
訪問介護、施設などを多々経営し、毎日のようにテレビCMが流れる会社だった。
しかし、その実態は、すぐに明らかになり、テレビに毎日顔を出していた会長は消え去り、会社もなくなった。
施設や事業所は、ほかの介護系の会社が、後を引き取って続いている。
何にも知らないで入社した私は、すぐに有料老人ホームというのは、会社のお金儲けのためのものなのだと気が付いた。
有料老人ホームでは、利用者さんのことをお客様と呼ぶが、要するにお金を儲けさせてくれる顧客なのであり、介護は後からついてくる。
それが証拠に、「C」のやり方は、新しい施設を作り、営業をし、入居金をいただいたら、すぐまた新しい施設を作り、入居金を取るということを繰り返していた。
黒服で固めた社員たちは、入居金が入ると、施設の運営には手を貸さず、新規に募集された介護職員に丸投げして、引き揚げてしまう。
開所までは、事務所を黒服の社員が占領し、電話もパソコンも、新規採用のケアマネは見ることもさわることもできなかった。
私は正社員であるにもかかわらず、蚊帳の外に置かれ、仕事内容など一切知らされていなかった。
それなのに、或る日突然雷が落ちた。
「なんで、約束の日に入居判定に行かなかったんだあ。」と黒服に言われてびっくり仰天。
聞いてみると、パソコン内に、予定表があり、当日私の名が入居判定、○○様と書かれていた。
そんな連絡方法も教えてくれず、パソコンも見せてもらえず、営業方針さえ教えてくれず、どうやって知ることができるんだ。ふざけるなよ。
黒服社員は、もともと、「C」の社員から参入の相談員さんにだけはやさしく、相談員さんは私を馬鹿にしていた。もう最初っから差別されていた。
「C」の本社は六本木ヒルズにあり、会長のためのアイドル部屋まであった。こんなところに事務所を借りるお金はどこから出ていると思うんだと思うと腹が立った。
「C」の地域統括会議はもっと露骨だった。
前月の利上げ金の多い順に席次が決められ、売上金が少ない事業所は、すみっことか、ロの字型に並べられた机の内側に囲い込まれ、屈辱的だった。
もっと、嫌だったことは、社員の人たちに品位がなかったことだ。
これが介護をする人間とは思えない(黒服は実際には介護をしない、お金儲けと、差別だけしている)。
そして、何より許せなかったこと。
それは、特別支援学校を卒業し、ヘルパー3級の資格を持った新卒者のMさんが入社してきた時のこと。
当時の施設長が言った。
「Mさんには、お客様に絶対触らせないように、気をつけな。」
この施設は、短期で施設長が辞めていき、施設長は3人目だった。
ヘルパー一級で、スーパー所長だったというのが自慢で、言葉が悪くて、柄が悪くて、ケアマネの私を目の敵にしていた。
「Mさんの対応は、ケアマネがぜんぶやりな。あんた、やさしいだろ。」と私に丸投げしてきた。
施設内でのMさんの仕事内容も、何も決まっていない。
でも、Mさんは毎日出社してきている。何という無計画な会社のやり方なんだ。
それで、私は施設の入居者のケアプランを作りながら、Mさんの対応をしていた。(それ以外にも、職員が足りないため、派遣介護士や、派遣看護師の依頼だとか、「入浴の順番」だとか、体操の準備だとか、認知症の人のためのドリルづくりとか、私が全部やっていた。相談員はパソコンの前に座っているだけ。)
Mさんのおかあさんから電話が来た時、施設長は、電話口で怒鳴りつけていた。
Mさんにも、お母さんにも何の落ち度もない。
Mさんはよくやっていたし(施設長は邪魔者あつかいしてたけど)。
お母さんは娘が心配で、電話をしてきただけなのに。
その後、すぐMさんはやめていった。
その時Mさんのお母さんが私に言った。
「福祉の仕事をしている人たちは、みんなやさしいのかと思っていたのに。」
ごめんなさいと私は言うだけで、でも、お母さんの言葉に心の中でうなずいていた。
「ほんとうにそうですね。ひどい人が多いですね。私が前にいた特養もひどかったです。介護の仕事をする前に、社員の人間性に嫌になってしまいますよね」
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