最近の自分は無題という言葉で表すのが適切だと感じる。言ってることとやってることにギャップがすぐ生まれるし生活する上でも軸がないので地に足のつかない宙ぶらりんな感覚が頭から離れない。 何年後かに振り返って21歳の頃はどんな人間だったかと言われると怠惰で非力で無様な姿しか思い浮かばないだろう。楽しいだけの感情は自己を形づけるものにはならず掴みどころのない日々を形成していく。そこが情けなく辛い。 言葉にすればなにか生まれるかと思った。 だから人と話すしこうやって書いてみてる。 でも
ラーメン二郎を食べてきた。 前回はいつだか覚えてもいないが身体はいつまで経っても味を覚えていて不意に思い出して食べたくなる。 場所は近場の上野毛。 自転車で行ける愛用の店だ。 二郎ラーメンは様々な場所に店舗を置いていることからチェーン店と思われがちだが各店舗が独立していて味も値段も違う。 上野毛は他店と比べて麺が細めで豚も脂身が少ない引き締まった肉質で非乳化のスープが魅力だ。 その味を求めて世田谷の下町にも関わらず平日でも行列になる。 ただ、上野毛の魅力はそこだけでは
考えまとめる習慣つけるためにちょくちょくまたやろかな、、 令和を生きる自分たちは何かと効率を気にする。 手間を省くために損得勘定の上妥当なプランを立てて行動している。 それができるのは現在がとても便利な時代だからだと思う。 キャッシュレス化で財布は持ち歩かなくて済むし 映画やドラマを見るにしてもサブスクで事が済むのでわざわざTSUTAYAまで足を運ぶ必要がない。ZOZOTOWNやamazonで欲しいものは何だって買えてすぐ届けてくれるしkindleでいつだって好きな本
おやすみなさい。 誰に語りかけるわけでもなく虚無と交わされる恒例の挨拶は夜の始まりの合図だ。 寝る前にスマホを触ってしまう生活習慣が故に目を閉じても覚醒し続ける自分と戦い続ける長い夜。 246を駆け抜けるバイクのエンジン音と薄く単調なサウンドが魅力の換気扇、警告音のような蛙の鳴き声がこのコンサートの主役らしい。 明日は早起きするんだ! という自分の精神とは裏腹に身体はまだ夢を見る気配はない。 君を休めるためでもあるんだ。意地を張らないで早く寝よう。 ひとりよがりな言葉が
ブルーピリオドにハマりました。 ここ数年で1番面白いアニメだった。 漫画も買います。 んまぁそんで、芸術に向き合うきっかけをもらったんですね。 幼い頃から美術館行ったりしたけど普通に意味わからんよな。 太陽って題なのに太陽の描写はひとつもない。 なんなら題名すら意味わからないのもある。 人間って答えを求めがちで答えがないものを つまらないと評価して捨ててしまう。 まさに芸術とはその対象。 表現の仕方に型がない。 相手に伝わるようにと言うよりかは自分の思いを自分が感じたように
今とてつもなく悩んでることがある。 内容は明かさないが互いのメリットデメリットが 相反してどうも板挟みになってしまう。 例えで言うとこんな感じ。 木の絵が描きたい画家のおじさんがいる。 人生のかかった大きな展覧会に出展するためだ。 調べてみるとそれはそれは大きくて魅力的な木が あるらしいじゃないか。 これさえ書ければ満足のいく作品が描けると思った。 ただ、おじさんは腑に落ちない点が一つあった。 そんな大事な展覧会に単調な誰もが簡単に考えつく 絵で勝負していいのだろうか? 世
トーマスエジソンが言った “天才とは、1%のひらめきと99%の努力である” これには少し間違いがあると思う。 私は”天才とは100%の努力”だと考える。 そもそもひらめき、才能とはなんなのか。 生まれた時から人間に知性の差がついてると思ってるのか。そうならば生まれてすぐに腹が減ったと助産師に声を用いて訴えかける赤ん坊もいることだろう。確かに、身体に差があると言う事実は否めない。両親に由来する染色体でできているのだから個人差はあるだろう。ただ、どんなに身体が大きくたって運動がで
午後2時17分。定刻。 僕は有り余る感情を精一杯、声に乗せて今日も鳴きあげる。 この時間帯のマンションの廊下は閑散としていて僕の鳴き声がひたすら 響き渡る虚無の空間だ。 玄関の隣、物置と化した寝室の窓際がスタートライン。 ここでいつも主の帰宅待ちレースが始まる。 今日は金曜日。普段どおりだと帰宅が早い日だ。 人間の世界には職業というものがあって社会において与えられた役割を果たす ために朝早くから夜遅くまで働かなければならないらしい。 なんて馬鹿馬鹿しいんだ。僕みたいに自由に生
続き的な感じなんだけど、 ずっと疑問になってることがある。 昔放送してたテレビ番組、ホコタテがヤラセが発覚して放送が中止になったという件なんだが。 原因は多くのクレームだろう。 ただ、テレビ番組ってそもそも企画である以上 他者の手が加わってひとつの作品になるものじゃないか?しかもバラエティ。 ドキュメンタリーでさえありのままのものもあれば実は劣悪な職場環境だけど撮影の時は綺麗な仕事環境を映すってこともあるだろう。 ヤラセをしたことがどれほどの問題か今の自分には 理解できない。
小説、下書きのデータ飛んじゃったから再度書き込み中。しばしお待ちを、 高校生の時、友達がステメに書いてた 一日一善をもじって一日一偽善とか言って笑った 帰り道があった。 現実も一偽善程度だったらいいのにって思った。 今の日本をみて、というか戦後からずっとそうだと思うが(まだ終戦直後の方がマシだった) 日本人はとても周りに流されやすい性格を持ってる人が多いと思う。 良い見方をすれば協調性がある。周りの行動をよく見れてるから。困っている人を誰かが助けようとしたら自然とその周りに
このご時世有名人になるなんて簡単な話になった。 少し前までは路上ライブで少しずつファンを増やしていったりお笑い芸人になるために地道に下積みをして(これは今もある)ちりつも論で有名人への階段を上がっていた。でも、今は違うみたい。 youtubeやらTikTok、もちろんTwitterだって 有名人になるための大きな鍵になった。 可愛かったら、カッコよかったら、面白かったら、 どんな理由にせよファンさえ増えればその人は有名人。今で言うインフルエンサーになってしまう。 誰でも有名人
日常の中でこんな会話を経験したことはあるだろうか? 「○○って誰?どんな人?」 「○○?いい人だよ」 身に覚えがある人正直に挙手 自分はこの返答に毎度毎度ムカムカするのだ。 (短気すぎるのかもしれない) 質問者からすればその人について詳しく知りたいのだからいいやつの一言で済まされては困る。 物の場所を聞かれて「あっちら辺」って答えられたらわかるはずもないだろう。 さらにムカムカする点がある。 “いい人”とは一体何を基準に判断しているのだろうか。漠然としすぎてて返答に困る。
つい先日こんな会話があった。 「理想が高すぎると彼女ができないよ、やっぱ、」 自分を見つめ返してみた。 強がりでは無く現状彼女がほしいとも思ってないし そんな相手もいない。 ただもし彼女にするなら、と考えてみたところ ひとつの答えに辿り着いた。 「芯がある人」 漠然としすぎてるな。 ただ漠然としていていいのだ。 本当にひとつ、その人の代名詞になる何かがあればいい。スポーツでもいいし勉強でもいい、なんならトイレ掃除とか意味わかんないのでもいい。 自分が1番に熱中できるもの。