無題
最近の自分は無題という言葉で表すのが適切だと感じる。言ってることとやってることにギャップがすぐ生まれるし生活する上でも軸がないので地に足のつかない宙ぶらりんな感覚が頭から離れない。
何年後かに振り返って21歳の頃はどんな人間だったかと言われると怠惰で非力で無様な姿しか思い浮かばないだろう。楽しいだけの感情は自己を形づけるものにはならず掴みどころのない日々を形成していく。そこが情けなく辛い。
言葉にすればなにか生まれるかと思った。
だから人と話すしこうやって書いてみてる。
でもなにもない。発散されると思い込んでいた心のモヤモヤはため息にもならない。違う自分が見えるかと思い込んでいた過去の自分が情けなくなる一方。時間だけは無駄にすぎていく。
言葉にすればすくわれるのは足元だけだった。
浪人時代を思い出した。
自分のルーツだったあの時間がバラバラになっていく感じがある。見方を変えれば様々な考え方に影響を受けているかもしれない。逆に影響など実は何も受けておらず思考停止があの時間を無意味にしていくだけかもしれない。
中学生の頃はよく行動力があると言われていた。
そんな言葉に慢心していたんだと思う。
なにも生み出せない情けない時間を他者と過ごす見せかけの充実感で補填しようとしている今の自分を昔の自分はどう思うのだろう。
そして周りの人間はどう思っているのだろう。
心配だけが募る。
生き方がどうこう考えていた時に戻りたい。
くだらなく答えもなかったがあの時間が自分に1番活力があった。
坂道の曲を聴いていた時だったと思う。
今聴いても響かないあの曲たちは今もどこかで誰かの活力になれているのだろうか。
何を目標にすればいいかもわからない。
大学入学前はCMプランナーやテレビのディレクターになりたかった。
映画サークルにだって入った。
今はそこに執着がない。
未来のビジョンが見えないし足が向かない。
話が一転するが今日友人と話した内容で素の自分とは何かと語り合った。
今の自分のどんな箇所が素の自分なのかわからない。というか自信をもって言えない。
浪人時代がルーツであったが今の自分はそのかけらも無いし客観視したところで全てが曖昧で人に伝えられない、自己理解もできない。
全てが不鮮明な日々が心を痛めつける。
こんなこと書いてたら夜も深くなった。
明日も適当な時間に起きてだらしない生活を送るのだろうか。
眠るのが起きるのが怖い。
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