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お世辞

「友達にさぁ、お世辞言ったことある?」

急に旦那に聞いてしまった。
わたしの中では決して、急なことではなかった。
そんな目で見ないでほしい。

ふと、旦那と一緒に入った
本屋の中にあるカフェで思ったのだ。

私は、お世辞というのが好きではない!
使いこなせもしない。

なのに、賢く世の中を渡り歩こうとして、
下品なほどお世辞を言いまくっていた時期があった。

友人に対してもだ。

「ゆりちゃんが、あぁ言ってくれたことが嬉しかった」

友人は、十数年も前のことをいまだに記憶している。

お世辞で発した私の言葉を、
相手がずっと憶えていたりすると居心地が悪い。

相手が気分がいいなら良い気もする。

だが、自分にとって、
目の前にいる相手が数十年前より
遥かに大切にしたい存在になっていることを
自覚してしまっている今、

「あれはお世辞だ。どうか忘れてほしい」

なんて言えやしない。

しょうもないことをやってしまった、
と後悔にさいなまれてしまった。


で、冒頭の質問を旦那にした。

「友達にさぁ、お世辞言ったことある?」

すると、わたしの性格を知ってか、
旦那はすぐになにかを察し、
そして予想を超えた返答をした。

「え? 俺、偽善の塊だもん」
「友達にだよ? 相手がお世辞ってわかってても言うの?
 なんで? 誰のために?」

と質問する私に、

「誰のためにって相手のためだよ。
 相手が気持ちよくなってるのを見て、俺も気持ちよくなる。
 もちろん、お世辞ってわからないように努力はするけど。
 相手が、どこにこだわっているか見たらわかるし、
 そこを誇張して言ってるだけだよ。
 嘘をつくのとは違う」

当然だよというような表情をしている旦那。
私は、ほう、と聞いているしかなかった。

付け加えるように、
旦那が言ったひと言が突き刺さった。

「本音がいつもいいとは限らない」

具体的な場面は、思いつかない。
しかし、34年生きてきた私にも、
そこ本音言っちゃうの? って状況が、
数えきれないくらいあった。

私は、偽善の塊になろうとは思わない。
しかし、相手のこだわりを見抜く目は
もっていても損はしないなと思った。

そしてきっと、
十数年前に友人に言ったお世辞も、
決して「嘘」ではなかったのだから許されるはず。

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