足りないを数える癖をやめて幸せになる
美人に生まれなかった。体質的に痩せられない。音感がなく並外れた音痴。英語ができない。機械とかパソコンに弱い。手先が普通じゃなく不器用。免許はあるが運転できない。掃除が苦手、金属アレルギーとかいろいろなアレルギーがある。60過ぎてもこんなに人よりダメなことばかり。しかし受け入れているからまるで落ち込んだり恥ずかしいとかはないです。考えても仕方ないからコンプレックスもネタにしています。
若い時は「どうして」「なんで」という答えのない自問自答を繰り返して足りないを数えていました。できないを憂いながら、漠然とした将来の不安を抱いていたような気がします。幸せになりたいのになれない気がしていました。20代の中盤まではすぐに焦ってドキドキしたり不安で寝れないこともありました。不安だから友達と毎晩集まってしまっていました。YOASOBIなので朝起きられないを繰り返していました。
仕事が立て込み、徹夜続きのある夜中に、雷に打たれたように気がつきました。この夜中の仕事はどこかで自分が望んでいたことだと。自分の周りで起きていることの全ては全部自分で決めていると。人生は運命じゃなくて自分の意思でコントロールしていると。これは、やらされているんじゃなく、自分の意思ででここにいるんだと気が付きました。
女性でも周りに頼られてかつキャリアのつく仕事をいつかしてみたいと思っていたんだと思います。チャンスだったのにいつの間にかできない自分を認めずに被害者面をしていました。びっくりしました。全然被害者ではなかったからです。
母が亡くなったことも大きいです。母が突然亡くなり突られるようにいつか必ず死ぬということも気がつきました。とにかく明るい世話好きな母の笑顔や元気な声は永遠でないことを知り愕然としました。
その後、自分も原因不明かつ難病と言われる病気に40前後になり、治療方法もわからずほぼ寝たきりを覚悟しました。仕事も引退しようと考えたそのときに、秋田の医師に出会い、あるビタミンの欠乏症だとわかり、たった3日で歩けるようになり体調が復活しました。その後は歩ける毎日に感謝しながら生きようと決めました。
このときに助けてもつらた恩があるいるから今の仕事があります。ヘルスケアとスキンケア。腸内環境と栄養療法をライフワークにしたのはたくさんの主治医と医療関係の方の感謝の気持ちからです。その後も仕事でたくさんの患者さんにお会いして、生きている時間を考え自分なりの死生観が確立していきました。
だから人生は楽しまないと勿体ない。この身体のサイズ感だと旅先の旅館の浴衣が小さい。普通サイズの洋服が入らない不便さもありますが覚えてもらいやすかったり、親しみやすかったりして良いこともあります。低い鼻や小さな目。平たい顔族なのはケンミンショーによると栃木顔なんです。この顔は地域性だから仕方ないと笑い飛ばしています。苦手な英語も最近は、チャットAI君が翻訳してくれます。優秀な秘書になりました。
いろいろなコンプレックスも受け入れてしまうとラクになります。人生は寝て食べて働くだけ。足りないを考えないで、働ける毎日に感謝し、普通の日々を楽しく過ごしていくのがよいなと思います。
若いと経験値がなく未来が見えないので不安になるのは当たり前。でも周りはみんな味方。仕事も運動もできはないよりはできたほうが楽しくなります。早く楽しくなるといいですよね。楽しくなって幸せにななってください