鯖缶を保存食から日常食に価値転換して震災直後被災地の漁業に役に立ちたい
東日本大震災。保存食として缶詰が注目される
震災の年。2011年の秋にある缶詰メーカーの広報の方から声をかけて頂きました。阪神大震災のときよりも10倍売れた保存食としての缶詰。たくさん売れたのは有難いのですが、それが消費されなくて、避難リュックのなかに入ったり、店頭のが返品されたら大変なんです。もっと昔みたいに缶詰を食べてほしいのですがと相談を受けました。40年下がり続けた缶詰の再興プロジェクトが始動しました。
日本の漁業は苦境にあえでいた。そこに震災が襲う
まず関係者のインタビューから入りました。震災の直前。日本の漁業は苦境に立たされていました。安い輸入の魚が珍重され近海の鯖の値段が大きく崩れていたのです。世界一美味しいと言われる日本の魚。漁獲高ナンバーワンが鯖。その鯖は三陸沖でとれたものが最高級と言われているのに、残念ながら浜値は落ち込み漁に出てとってもとっても利益にならない時代が続いていました。
鯖缶の鯖は被災地の大切な産業。震災復興を鯖から
当時鯖缶は定価250円前後なのに100円ショップで並ぶまでに値が崩れていたのです。若いヒトは鯖缶なんて食べたことがありません。鯖缶の値段は漁師の獲る鯖の価値と直結していたのです。そこで私は考えました。鯖缶の価値を変えると鯖の価値が変わる。三陸の漁業が潤う。これが私の震災復興応援だと心に決めました。
無添加かつたんぱく質や骨からカルシウムも摂れる。
調べてみたら鯖缶は食品としてとても優秀でした。港に上がった鯖は24時間以内に加工されて缶詰になります。塩を加えるだけで無添加なのになんと3年間も持つのです。しかも缶のなかで味がなじみ1年以降からさらに美味しくなります。栄養の宝庫でかつ安い。保存も効くし塩が入っているから調味料にもなる。たんぱく質もとれる。しかも骨まで食べられるのでカルシウムも摂れるのです。しかもDHAは心と脳の栄養になります。震災で痛んだ心までケアできます。保存食から日常食になることで健康になれるんです。
ツナ缶を研究して鯖缶の価値をみつける。汁ごと料理に
企画を練る前に消費者の声を徹底的に分析しました。ベンチマークとしたのはツナ缶。ツナ缶は鯖缶よりも後発ですが、おにぎりの具など日常使いの缶詰として定着していたからです。そして消費者の声にのなかで驚きの声が多かったのには驚きました。
「缶の開け方がわかりません」
「鯖缶の汁って捨てるんですか?
という意見です。鯖の水煮缶詰がご馳走だった昭和世代と違い、平成世代以降はツナ缶以外の魚の缶詰を食べたことがなかったのです。
わかったのはツナ缶はマグロにオイルを加えている。鯖缶の水は、実は鯖の身から出た水。その水はとてつもなく栄養の宝庫だったのです。それを捨てては勿体ないと「缶足し」というコトバを開発しました。
鯖缶と缶詰の良さを語る人を探しカンたし部発足
鯖缶の栄養を語る人、鯖の素晴らしさを語る人、缶詰の料理の達人を集めレシピ本をまず作りました。鯖缶の並んでいるスーパーマーケットに本を並べ、レシピ本の横に缶詰を並べ本屋さんでプレゼント。本と缶詰のクロスセルを展開。コンビニにも並べました。
鯖缶特集がテレビでたくさん紹介される
鯖缶をはじめたくさんの魚介類の缶詰がテレビで紹介されるようになりました。追随するようにたくさんの缶詰の本も出版されるようになり、PRをスタートして1年で爆裂的なブームが起きました。うちの会社で作ったレシピ本も5万という大ヒットになりました。
3年後缶詰が欠品。鯖の値段が劇的に変わりました
鯖缶を使って被災地と被災地の漁業を私なりに応援したいと決めて3年目を迎えたときに、あまりに売れすぎたのでPRの契約は終わってしまいました。
10年経過した今も鯖缶は売れ続け、かつ鯖の値段も高く安定していると聞いています。私の鯖缶を通じた震災復興と日本の業業関係者の応援の第一章は終わりました。
しかし私は宮城と福島に大事なクライアントがあります。マーケットを地元だけでなく日本全国。世界進出を視野に入れて並走しています
天災や疫病は歴史のなかで繰り返されるかもしれません。それでも前を向き立ち上がっていくヒトを本業で応援し続けたいと思っています。次の世代のために。未来の日本のために