考えても仕方ないことは考えないように
生きている時間のなかで無駄なことの一つに「悩んでも仕方ないことを悩む」があります。「どうして私はこの国に生まれたんだ」とか「暑い」とか「寒い」とか「花粉が多い」とか。それだけでなく「自分はなぜ頭が悪いのか」などは受け入れて対処するしかないのです。疑問を持つのは良いのですが、抗わないのが正解。
答えがあるのに悩んだフリをしている人も多いのです。例えば「通勤時間が長くて憂鬱」なら会社の近くに引っ越せばいいし、「太っているのが悩み」ならなんとか痩せればいいし「社食がまずい」ならお弁当を持ってくればいいのです。究極ですが「仕事が嫌い」なら不労所得を狙って投資家にでもなってください。
わかりやすい答えがあるのに悩むのは多分やらない言い訳を延々としているからだと思います。仕事と会社の愚痴ばっかり言っているヒトは「実は認めてほしい」の裏返しなのかもしれません。
そして落ち込んでしまうのは『思うようにならないから』と『人に期待し過ぎているから』が原因だと思います。周りや親に感謝もなく、目の前の課題に対しての工夫もなく、学校や会社にも参加意識もなく、そこにいれば周りがよくしてくれる、座っていれば何かが好転すると思っていて、当たり前ですが何も変化しないまたは、期待通りにいかないで落ち込むのは間違いだと思います。
思うようにいかないには必ず予兆があるのにそれを見て見ぬふりをしていたんだと思います。見て見ぬふりをしていたことは不思議と自分に還ってきてしまいます。これから起こる困難なことや大変なことで、逃げるとか避けるというの選択肢もあったと思います。ほおっておくからコトが大きくなってしまうのです。そしてそれを気づいて動かない自分に絶望して落ち込むのです。勝てぬ戦は逃げるが勝ちもありますよ。自分の考えで行動することが大切ですよね。
人生と仕事は答えがでないことが多いのですが「合理的なことが正解」という考え方が好きだし、自分で決めたことなので誰のせいでもないといつも考えるようにしています。そして歳をとればとるほど全く落ち込まなくなります。経験からくることなのか単に加齢でボケているのかはわかりませんが、心地よいですよ。後悔する時間より反省する時間より次に備える時間のほうが大切です。
以前何かを相談されて「それって自分への言い訳じゃないのかな」をやんわり指摘すると、返ってくる接続詞が大体は「だって」とか「でも」だったりします。それが口癖の大人って子どもっぽいですよね。皆さんもなるべく使わずにいましょう。読んで頂きありがとうございました。都内は桜満開。そしてうららかな風が吹いています。桜の見えるレストランや公園でソロランチとか楽しむのもよいですよね。