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今年の漢字は「戦」だったけれど、ワタクシ的には「怒」だったかも?


今年の漢字は「戦」だったけれど、ワタクシ的には「怒」だったかも?

先日、2022年の今年の漢字が発表されましたね。

2022年の世相を1字で表す「今年の漢字」が「戦」に決まり、1週間前にそれを日本漢字能力検定協会が、京都市東山区の清水寺で発表しました。

「戦」に決まった理由、選ばれた理由は

ロシアによるウクライナ侵攻やサッカーのワールドカップの熱戦、そして円安・物価高との「戦」などが理由に挙げられていました。

「戦」が選ばれるのは2001年以来2回目なんだそうです!今世紀に入って2度目!

・コロナ、ワクチン情勢
・安倍元首相の暗殺事件

など、2022年は大きな世界の変化がありました。

私たちはこの1年間、何と「戦」っていたのでしょうか?

・健康の不安
・戦争の不安
・将来の不安
・生活の不安
・お金の不安

この中では、お金に関して電気・ガス料金の値上げが、この冬はキツイなぁと感じています。寒さと戦うなんて無謀ですが・・・。

私の不安というなら「先の見えない老々介護」に尽きるのですが、今年は今まで以上に心に湧き上がる「怒」を解消することに時間を費やした1年でした。

そういう意味で、私の今年の漢字は「怒」だったかも?(笑)


「聞きたくない、これ以上!」ってカンジ

高齢の母の世話をしていると、何かと行き違いだらけで「言葉」が全く通じないと感じることばかりなんですね。そして、何度も心を尽くして、言い換えたり、説明しても、母の方に「好意」として受け取る気持ちがゼロだと、最終的には「わかってもらえなかった」という苦い気持ちと、自分に対する「怒り」だけが残ってしまうんです。

今日こそ、気持ち良く「そうだよね」と寄り添いたいと思っていても、最後は「決裂」。あぁ、今日も3時間ほど、どうにもならない時間を過ごしてしまった・・・という「情けなさ」が、怒りとなって自分を襲うんです。人間が出来てないので、振り回された時間を「奪われた」と感じるわけです。

気分転換に映画にでも、と思ったのですが、週末は駐車場待ちで「精も魂」も尽き果て、家に戻って本のなかに、逃げ込んでおりました。(笑)

そうしたら、八百万の神々、「怒りん坊」はいっぱいいるじゃないですか!

人類とともに怒りの歴史もある!という一文を見つけて、なんだかホッとするわぁぁぁ。

宗教学者の島田裕巳先生は「昔の人の方が、怒りを《すごい力》を持つ何かとして捉えていた」とみているんです。「日本でも古事記などに出てくる神は激しく怒った。神を祀るのは怒りを鎮めるためだった」

という文章を見つけて「私だけじゃない!神様はもっと怒るんだ!」と小躍りしてしまいました。

江戸時代に武士がサラリーマン化すると、怒りや暴力は簡単に振るってはならないものに変化した。このことは犬公方「綱吉」のプリンシプルになってたんですが・・・後世では最悪の将軍ということに。

今の時期は「忠臣蔵」ですが、これだって「怒り」の発露ともいえるんじゃないでしょうか?

明治維新を過ぎてからは、権力側が民衆の「敵国への怒り」を煽りまくって、それを利用して、戦争に突き進んで行ったともいえますよね。

ところが現代は「怒れない社会」だと島田先生は言う。

社会が豊かになり、家制度の重圧や社会的な縛りも少なくなった。パワハラに遭えば転職という選択肢もある。「逃げ道はいくらでもある」。また、うかつに怒ると一生を台無しにしかねないという個人の計算も働く。「人間の精神性がこの30年ほどで格段に変わった。他の先進国も同様だ。怒りのあり方も根本的に変わった」と指摘する。

怒りの表現方法も変わったとみる。直接的に個人の怒りを表明するのではなく、「象徴的行為」を用いると指摘。「スローガンに共感しているだけで、直接的な怒りは出せなくなり、怒りの内実がない」

さらに「グローバル化で全てがつながり、個人の自由の領域が狭まっている。世界が安定を求めるなか、人びとはそうした社会に反抗できず、飼いならされていく」

これが「怒ったらソン!」というアンガー・コントロールと結びついてるんですよね?

でも、SNSの炎上なんかも匿名での「怒り」の表現だと感じます。正論をぶちかますというマウント行為も、人によっては「怒り」の表現ではないでしょうか?

「怒り」を表現することは、「大人げない」とか「未熟」というように、どちらかというと感情表現としては露出しない方が良い、と思われがちですよね?

人生は喜怒哀楽だって、誰でも知っているのに何となく「すみっこ」に追いやられている感情です。

以下引用

そういう風潮のなかで、フランスの元レジスタンス闘志のステファン・エセルが2010年に、93歳で発表した冊子『怒れ!憤れ!』は世界35カ国で計450万部以上を売るベストセラーになりました。
そのなかでエセルは、「たしかに今日の世界では、怒る理由が昔ほどはっきりしなくなっている。言い換えれば、世界はあまりに複雑になった」としつつ、無関心でいると「人間を人間たらしめている大切なものを失う。その一つが怒りであり、怒りの対象に自ら挑む意志である」と指摘している。
「怒り」は歴史を遡ると、仏革命や米独立戦争なども民衆の怒りが発火点になり、社会変革の駆動力になった。一方、自爆テロなども一種の怒りの表出だとする見方もある。
また古代の神々の怒りも激しかった。アテネ大学歴史考古学科の准教授、ディミトリス・プランゾス(54)は、古代からの最も有名な怒りとしてホメロス(前8世紀ごろ)の叙事詩『イリアス』冒頭に記された「アキレウスの怒り」を挙げる。
『イリアス』はトロイヤ戦争10年目に生じたアキレウスの怒りと、それによってもたらされた出来事などが描かれた作品だ。トロイヤ戦争でも、実に多くの神々の怒りが交差する。プランゾスは「ギリシャ悲劇で怒りの結末は不幸だが、現代でも行きすぎた怒りは不幸をもたらす」と話す。
旧約聖書にも神の怒りが記されている。人間の堕落に怒った神が、洪水を起こしてノアとその家族、動物たちを除いて滅ぼそうとしたノアの方舟がその一つだ。
一転して、ローマ時代に怒りを考察したのは哲学者セネカ。皇帝ネロをブレーンとして支えていたが、後に謀反の疑いで自殺させられた。

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セネカは随筆『怒りについて』で、「怒ることは所詮無益なこと」「しばし我慢するがよい。そら、君たちを同等にする死がやって来るではないか」とサラッといってます。

ところがそんな「怒るなんてバカバカしい」と思っていたセネカ、自分が「死ね」と言われた時は「どんな気分だったんでしょうかね?」と思ったりしています。怒ったところでどうにもならん、と毒を煽ったのか?

怒りについては、まだ続く・・・だって「自己弁護」できますから。(笑)


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バーバラ・マルカワ
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