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『ラスト・サムライ』山岡鉄舟に学ぶ

サボり虫、撃墜できず9時間ロス!を大いに恥じる

このところ頭が混乱しているので、自分の中でも動くより、動かない方を選びがちです。

ある意味、逃避行動とも言えるのですが、今まで作ってきた習慣を
変える事の方が難しいと確信することにもなりました。

辛くても、悲しくても、しんどくても、毎日やる事はやる。
淡々とやる。

こういうことができるのが習慣なんだと思います。

そして習慣はサボり心があると壊れてしまう。

せっかく力まなくてもやれるようになったことが、サボり心のせいで崩れてしまう。

この事を、もっと恐れなくてはいけないと今日つくづく思いました。

たった1日くらいイイや、忌中にブログ書くなんて常識がない。と思われるかもしれないからやめておこう。とか・・・出て来ちゃったんですね!
やらなくても良い理由を探すクセ。

でも、この言い訳だけはさせてください。

書かないでいると、マンスリー・プレゼントを喜んでくれる
メルマガ読者さんの顔が浮かんでばかりいるんです。


習慣が、しないと気持ち悪いからと、普段通りに力まずにやるか?

習慣は習慣だから、とやりたくなくてもやるか?

あなたはどちら?

私は今もう3時ですから、9時間サボろうかどうしようかと思っていたワケです。なんて時間の無駄使い!

私は山岡鉄舟が好きです。『ラスト・サムライ』として尊敬しているので、鉄舟のエピソードをお伝えします。

以下は

HSPやウツの専門医でもあり、仏教家でもある高田明和先生の本から・・・

山岡鉄舟は幕末から明治の政治家で明治天皇の侍従を務めた方です。

そして、剣術家でもあり書家でもあり、禅の大家でもあります。
中でも、書の早さには、皆驚いたそうです。

鉄舟は晩年、胃がんを患い、明治19年5月に医師の勧めもあって
「7月までで絶筆すると」と宣言しました。

この5月から7月までの間に30,000枚以上を書いたと
記録されています。

その後は、自ら立てた東京、谷中にある全生庵から、頼まれた分だけを、例外として書いたのですが、それが8カ月間で101,,380枚になることが、全生庵の受け取りがでわかるそうです。

鉄舟は翌年7月に亡くなったのですが、驚くことに、その年の3月から7月までの間に病床で書かれた扇子が40,000本!というのです。

あまりにたくさん書きすぎたせいか、鉄舟の書の値段は、幕末の三舟と並び称される勝海舟、高橋泥舟に比べ、現在では少し安いようです。

値段が安いことは当時からそうであったらしく、

ある人が鉄舟に
「海舟さんや泥舟さんは大いに自重をされているが、先生のように無造作に揮毫されていると、その値打ちがなくなりますよ。もう少し自重されたらいかが?」

と忠告したのです。

すると鉄舟は

「俺みたいなものにも頼むもんがあるので、断るのも申し訳ないから書いているまでで、書を売るんじゃないから、値打ちがあろうがあるまいが
おれの知ったことじゃない」

と平然としていたといいます。

また別の人が

「今までの墨蹟の数は大変なものでしょうね」と聞くと

「何まだ3500万枚にはなるまいよ」と大笑いしたとのことです。

3500万枚というのは、当時の日本の人口ですから、国民一人ひとりに1枚ずつ行き渡るほどではないとというジョークです。

山岡鉄舟は、明治19年頃から『大蔵経』の筆写を発願し、東京の、芝の増上寺の『朝鮮版大蔵経』を借用して、毎晩のように午前2時ごろまで、写経に励みました。

ある時門弟が

「先生、先生がたとえ100歳まで生きてお書きになったとしても、大蔵経は出来上がりますまい」

というと

山岡鉄舟は

「なにこれ終わったら、もう一度今度は草書でやるつもりだ」
と言ったそうです。

門弟は鉄舟がホラを吹いているなと思わず「エヘヘ」と笑い声を漏らすと。

鉄舟はこの時ばかりはキッとなり

「俺は死にもせず、生きてもいないぞ。このくそ袋が古くなったら、張り替え、張り替えしてやるばかりだ。『大蔵経』の1通り2通りは何でもないことだ」と叱ったとのエピソードがあります。

山岡鉄舟の異母兄弟の小野古風が、「『大蔵経』の書写とは大変なことですね」と言うと

「何、ただ毎日1枚書くだけだと思っておりますから、何の造作もありません」と答えたそう。

結局、山岡鉄舟は『大蔵経』1126巻を写しました

それは全生庵に残されましたが、明治27年の火災で消失してしまいました。

鉄舟は亡くなる前日の午後1時ごろ、折からの8月の猛暑の中で、しかも病が重篤な身でありながら、筆を持ち日課の写経にかかりました。

暑さと病苦の両方で、額から流れる油汗を拭きながら、書いていましたが、2滴ばかりは紙上に落ちたそうです。

ようやく半紙ばかり書いたところで、医師でもあった弟子が

「先生、半枚も1枚も同じことですから、もうお止めになったらいかがでしょう」といったところ鉄舟も素直に「うんそうですね」と筆を置き、絶筆となったのでした。

鉄舟は死ぬときに座脱という座禅の姿のまま亡くなりました。

弟子の描いた像も残っています。

普通の人なら筆を持つどころか、座ることもできない時に写経をするとは驚くべきことです。

これらの山岡鉄舟の話は高田明和先生が、

「私は怠け者で毎晩の座禅、読経を怠けたいと言う気持ちになることが
しばしばです、その時いつも山岡鉄舟のこの言葉、「毎日1枚書くだけだと
思っておりますから」を思い出し勇を振って「行」に取り組んでいます。」

と書いていらっしゃるの。

そのうえ高田先生は

「この文章を書きながらも、鉄舟の心を思い、身が引き締まる
気持ちになります。

心を磨くには、少しであっても毎日修行を欠かさないと言うことが必要です。

私は「行」なしに仏教を理解することはできない、必ず読経・写経・座禅などを続けなくてはいけないと信じています。
しかし生身の人間ですから「今日1日、今1回くらいしなくても、別に悪い事でもないだろう。一日の遅れくらい、長い人生から見れば大した事は無いなどと理屈をつけて、怠けたくなる日もあります。
しかしこの「1日も欠かさない」ということが大事なのです。今日のみで明日はない、今日だけやると思うのだ、と言う言葉は怠惰の心を叱咤する力があります。
今日1日、今1回は、二度と戻らない1日、1回になるのです。その功徳は計り知れません。

ほとんど抜粋引用ですが、私が尊敬する立派なお二人が、


習慣にすることの難しさ、

そして


習慣になったときの容易さの


両方をおっしゃっています。

私はここ10日ほど、こんな時にブログを書いたりできないという気持ちが、サボり心だとは気づいていませんでした。

反対にこんな時にブログを書くなんて、なんて図々しいんだろうと思われるのではないかなどと、言い訳を100個ぐらい作ってました。

自分を甘やかして、惰性でやれること。例えば、風呂磨きとか、コンロ磨き今度磨きなどに気持ちが逃げていました。

気持ちが腑抜けになっている、怠け者だと言うことを自覚する良い読書になりました。

そして、遅くなっても投稿ができたこと嬉しいです!

ラスト・サムライ山岡鉄舟に学ぶの巻…2時間もかかってしまった!


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