グリッドマンユニバース感想と主観的なオタク視点
1993年に放映していた、ウルトラマンで有名な円谷プロ製作の特撮ヒーロー「電光超人グリッドマン」。
電脳空間を舞台に戦うという、後年のデジモンやロックマンエグゼではお馴染みとなったテーマの先駆けとなった早すぎた名作。
そんな隠れた名作が2018年に「SSSS.GRIDMAN」、2021年に「SSSS.DYNAZENON」として、名作しか作れないTRIGGERによってアニメとして製作された。
「SSSS.GRIDMAN」と「SSSS.DYNAZENON」の
世界観が繋がる最新作「グリッドマン・ユニバース」が、2023年3月24日(金)に公開された。
私は同日に行われた舞台挨拶のライブビューイングに参加してきた。
感想は、というと濱田龍臣プロや舞台挨拶で広瀬裕太氏が述べていた通り、ほんと満腹になった上でまだてんこ盛りの大盛りを出してもらえる感じなのでまだ見てないグリッドマンファンはほんっと観に行った方がいい。
※以下ガッツリネタバレ書きます。TVの本編と映画観てから推奨だけど、以下には大したこと書いてないのでゆるして()
メタフィクションとしてのグリッドマンユニバース
てんこ盛りの喩えの通り、今回はお祭り映画らしくお腹いっぱいだった、、
今回の映画のストーリーの中で、アカネの作った裕太達のGRIDMANの世界にDYNAZENON勢が合流した。
ウルトラマンやマーベルで今やお馴染みとなった「マルチバース」と内海から語られ、六花達が書く台本「グリッドマン」もTV本編の内容から進み、ストーリーの中でDYNAZENON勢が入ってくると台本の中でもDYNAZENON勢が登場し、六花が拘っていたアカネが消える。
ストーリーが進むにつれ台本とリンクがより強くなりメタのキーアイテムとしての要素がドンドン濃くなっていく。
しまいには裕太以外の"世界"がめちゃくちゃになり、アノシラスとアンチが助けに来て状況を打破していく。
この"台本"とアカネによって"作られた世界"という要素に加え、人間は虚構を信じることができる存在と語られる。サピエンス全史(箸:ユヴァル・ノア・ハラリ)で書かれてたやつだ!って自分は進研ゼミみたいに思ってたけど、メタフィクションに耐性があるオタクでほんと良かった()
グリッドマンというフィクション(虚構)の物語と裕太は自覚する。
そして、GRIDMAN勢とDYNAZENON勢で皆でそれぞれ書いていたグリッドマンが伏線になっていた。各々から見た主観のグリッドマン像が重なり合ってグリッドマンとなる。
TV版エヴァ終盤や旧劇場版「シト・新生」であった"碇シンジの中の葛城ミサト"のように、他者の像は主観で構成されている虚像である。
裕太である時にアクセプターを隠していたり、裕太の身体を借りることで2ヶ月間の記憶を奪ってしまったことに負い目を感じたグリッドマンだったが、本来の裕太はアクセプターを隠さずに、いつでも真っ向から怪獣に立ち向かう強い使命感を持つ。実はグリッドマンより裕太の方が心が強い。
見慣れたアクセスフラッシュの場面で、グリッドマンは裕太に負い目を感じていることを吐露する。それを受け入れる裕太。
そしてアクセスフラッシュをすると、皆のイメージするグリッドマン(客観)が集まった理想の姿、グリッドマン ユニバースファイターへと姿を変える!
「私は弱い!」「友達がいる!」と自らの弱さを受け入れ(受容)、他力で生きていることを自覚(自己覚知)(自己肯定)して自分の心の弱さにつけこんだ敵を圧倒する。
ここで私は舞台挨拶中に、グリッドマン役の緑川光氏が、「収録中感染して十分な力を発揮できず、大事な場面を本来と違って先に録ってもらったりして不安だった中、雨宮監督に『後は任せてください!』って言ってもらったことが嬉しかった」と述べていたことを思い出した。たまたまとはいえそこのリンクアツすぎはしないか……
グリッドマンの世界そのものとなったグリッドマンユニバースファイターはいわばグリッドマンのシリーズ全作の化身。ちょっとめちゃくちゃな感じもするけど、グリッドマンの看板そのものを背負っちゃった…..
そんなかつてマイナー作品だったグリッドマンが覇権アニメという最強形態になったグリッドマン、、
番外編:メタフィクションとしてのアイドル
この勢いのまま、同じメタフィクションとしてアイドルを鑑賞する妄想を書きたい()
アイドルとは偶像。現実にいる人間であるが、虚構の存在である。
ライブパフォーマンスやMVなどで歌の世界を表現する。
配信やSNSなどでメンバー同士でわちゃわちゃしてる様子も、私生活とは少し切り離されている一つの側面でしかない。
一方的な側面だけの、ブログやSNS、配信などオタクが得た情報のみの主観で構成されたアイドル像。
上述したグリッドマンユニバースでの1枚のグリッドマンのイラストと近しい。
だからこそ主観的に見た虚像のアイドルに疑似恋愛をしてガチ恋をしてしまうこともある。熱愛や結婚という現実要素は主観をモロに否定されるため、自己否定にも繋がってしんどい。
アイドルとしての本人の人生は物語であり、アイドルを応援する、オタク個人の推し活の人生の物語もある。
2つの物語が交錯するからこそライブに通って、CDの発売や、更に大きな会場でのライブの発表、ライブパフォーマンスの成長に喜び歓喜する。
私は幼少から特撮ヒーローが好きなオタクということもあり、しばしばヒーローショーみたいな感覚でアイドルのライブを鑑賞している。かなり偏った主観であることは自覚の上だが…
仮面ライダーギーツ28話において、未来人ジーン(演:鈴木福)は推しの仮面ライダーギーツ/浮世英寿(主人公)が何度も死を経験していることを知って「知らなければよかった…」と初めて心からの涙を流す。
それから戦闘にはいると自身の理想をデザインできる変身アイテムでパワーダウンしているギーツに「俺色に染めてやるよ」という言葉と共に授ける。
推しを自分好みにするのは結構なレベルの厄介に思えるけど、意外と配信で「好きな髪型ある?」と聞かれると「編み込み!」などと言ってるのでオタクってそんなもんなのかなぁと客観視してた。()
オタク、主観を信じて自由に楽しもうぜ!