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映画感想文【敵】

2023年製作
監督:吉田大八
出演:長塚京三、瀧内公美、河合優実

<あらすじ>
大学教授の職をリタイアし、妻には先立たれ、祖父の代から続く日本家屋にひとり暮らす、渡辺儀助77歳。毎朝決まった時間に起床し、料理は自分でつくり、衣類や使う文房具一つに至るまでを丹念に扱う。時には気の置けないわずかな友人と酒を酌み交わし、教え子を招いてディナーも振る舞う。この生活スタイルで預貯金があと何年持つかを計算しながら、日常は平和に過ぎていった。そんな穏やかな時間を過ごす儀助だったが、ある日、書斎のパソコンの画面に「敵がやって来る」と不穏なメッセージが流れてくる。

映画.com


2025年劇場鑑賞一発目としてはちょっと重たいというかねっちょりしたものを喰らった。

特別詳しいわけでもないのだが、長塚京三と言えばサントリーオールドのCM『恋は、遠い日の花火ではない』のイメージが強い。
いつまでたっても男臭さをもつカッコいい人、といった感じ。
長らく『そうだ、京都行こう』のナレーションも担当していたと最近になって知った。声が良いんだよな。

特技は仏語ということで、今回の主人公・仏文学者、渡辺儀助にふさわしい。筒井康隆による原作があるということで、そちらに寄せたのか長塚本人に寄せたのかは不明だが、なんにせよイメージがブレず良い。

彼の生活は実に真面目でまともで、ともすれば退屈とも言える。
妻は20年以上前に亡く、気楽な隠居の身。
目覚ましもかけず自然に任せて目覚め、一合の米を炊き、切り身の鮭を焼いてさっさと朝食を済ます。軽く執筆作業をこなした後は、気心のしれた友人とバーで一杯。たまにかつての教え子がご機嫌伺いに訪ねてきてくれるから、代わりにディナーを振る舞う。
気楽さの種類は異なるが、『PERFECT DAYS』の平山(役所広司)にも通じる平和な平凡さである。

とうの昔に引退した身だが、請われて公演を行うこともある。しかし講演料は一律10万円。一度でも値下げしてしまえばそのままずるすると際限なく、いつかタダでも話すことになってしまいそうだから。
あくまで自分のペースを崩さないように生きて、結果毎月の収入と支出の差額で貯金額を割れば、資産が尽きる日が分かる。
それが『Xデー』だよ、と儀助はいう。

粛々と日々を送る儀助の姿は、傍目には達観していずれ来る死を待っているように見える。刺激のない毎日だが穏やかであることは間違いない。
そんな彼に襲いかかる『敵』とは、一体なんなのだろうか。

悪夢の中に現れる『敵』が本当に存在しているのか、どんな姿をしているのかなどは、あまり重要なポイントではない。なぜなら儀助自身がこれは自分の妄想であり夢なのだと理解しているのだから。
おそらく良い育ちで、高い教育を受け、慎みを持ち、相応のプライドも持っている。
理性では死をきちんと俯瞰し受け入れているが、やはり迫りくる死を生物としての彼は恐れ、敵とみなしたのだろうか。
『敵』がなんなのか、理解したいと儀助は思っているのか。それを仕方ないと思っているのか。
死は儀助にとって悪夢からの解放や救いだったのだろうか。
死を恐れていたのに?
あるいは己の醜い本能がむき出しになることが怖かったのか?

映画の後半は、ぶっちゃけ気持ち悪いおっさんの妄想である。
美しい亡き妻と離婚間近のかつての教え子が、自分を巡って争う。性癖を暴露され針の筵ながら内心喜んでいることは間違いない。ついでに自分の仕事を侮辱した(と潜在的に感じた)不届き者を成敗してくれる。
女はみんな俺が好きなんだ、という妄想であり願望。
フランス文学でさんざ学んだ愛欲のドロドロが、正体のしれない『敵』による恐怖とセットで迫りくるのだから確かに悪夢には違いない。
この気持ち悪いおっさんの妄想を演じきった長塚京三はすごいなと思う。

妄想は、自由である。
それをそのまま吐き出すなら、害悪以外の何物でもない。
それをどうやって『作品』にまで昇華するか。
「作品」と「妄想」の差はどこにあるのだろう。


もう一度見たいとか、人に勧めたいとかはあまり思わないけれど、様々に考えさせる映画であった。
その日の夜にはなにやら良く分からない課題に追われたり、返却まちの本が積み上がっていたり、悪夢を観た。
己の思う『敵』の規模がしょぼいが、それを負担に思う・罪悪感というのはなかなか看過できないものらしい。


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