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読書感想文【その日のまえに】

重松清の短編集。
毎日の生活の隣りにある、死にまつわる短編集だ。

死は普通の日常だと思い出した。
今自分は(多分)健康体で、幸いなことに周りにも死や病の気配は薄い。それは幸運なことなのだが、では死は不運なことなのだろうか。
運、不運、という区別をするべきことではない、と思った。死ぬことはもっと身近で、今生きていることのただの延長線だ。
電車が様々な距離を走って、しかし必ず終着駅にたどり着くように。

勿論、思いもよらなかった死は悲しいことだ。
昨日から今日、今日から明日と続くはずだった生活が突然途切れるのはショックなことだ。喪失は辛い。自分にとって大事な存在であれば尚更。
しかし前もって「その日」を知っていたとしても、どれだけの準備をしたとしても、辛いものは辛い。辛くなくなることは決してない。
本はその準備について多く書かれている。

失う方だけではなく、残していく方だって同じく辛い。
子供を残していく母親の話が二つ収録されていた。どちらも自分自身が死んでしまうことを恐れながら、それ以上に残していく子供のことを思って悩んでいた。まだ自分が守るべき存在だと思っているから、先の苦労を思って悩む。しかし自分と同じ存在、つまり一人で生きていけるだろう大人、夫や両親も残していくことも苦しむ。
死ぬ準備が出来ることは、悪いことではないだろう。立つ鳥跡を濁さず、ともいう。出来れば綺麗に去って、後に残る人たちにいい印象で語ってほしい。そう思う人は少なくはないはず。
だがその準備が終わることはあるだろうか?
身の回りを整理しているうちにあれもこれも、あの人もこの人も、と芋づる式にすべき準備が増えてはしまわないだろうか。
作中、九十歳の老女が「もう思い残すことはない」といった。そんなことがあり得るだろうか、と自分は思う。
たとえ生まれてすぐに失われる命だったとしても、一日でも生きればそれだけ記憶は残る。明日を思って思考する。思考する限り、思いは残るのではないのではないだろうか。

登場する人物や舞台に特別なことは何一つない。ごくごくありふれた、普通の人々。際立った特徴もない人達が自分のすぐ隣にある死をどのように迎えるか、それからどうやって歩き出すか。
どうしたって避けては通れない。昨日今日元気でも、いつか必ずすべての生きるものに等しく訪れる「その日」。
それを考えることが答えなのだと、作中で終末医療に携わる看護師は言う。
忘れないこと、考え続けること。
「その日のまえに」、「その日」を迎えるために、「その日のあとで」生きていけるように。
もっと自分と死を近づけることが必要ではないだろうか、と考えさせられる一冊だった。

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