映画感想文【トランボ ハリウッドに最も嫌われた男】
2015年製作
監督:ジェイ・ローチ
出演:ブライアン・クランストン、ダイアン・レイン、ヘレン・ミレン
12ヶ月のシネマリレーにて鑑賞。
トランボって誰やねん、という状態で観に行ったので、良い意味でも悪い意味でもゼロベースでの体験ができたと思う。
ハリウッドにおける赤狩りについて、ダルトン・トランボという脚本家について、歴史を学ぶ良いきっかけになった。
赤狩りを端的に説明するなら、共産主義者を社会的に追放すること、か。
日本においては戦前・戦中の印象が強いが、本作品ではソ連との対立が強まった1945年以降、冷戦時代のアメリカが舞台。
ダルトン・トランボはこの赤狩りの標的となった脚本家であり、ハリウッドでは他にも山程の俳優・脚本家・監督や関係者がブラックリストに挙げられ迫害を受けたとされている。
ハリウッドの汚点、ハリウッド・テン。
しかし詳細な歴史の話は一旦脇におく。
もちろんこの映画においては重要な要素の一つであり、その背景を抜いては主人公・トランボの悲しみや悔しさ、周囲の辛さは分かり得ないのだが、それを考える以上にトランボの戦い方が印象に強い。
一方が思想を理由に攻撃される場合、もれなく一方は糾弾者となる。
思想に善悪、白黒ハッキリつけることは難しい。
だが時流を味方につければ驚くほどの力を得ることが出来る。声の大きいほうが勝つ現象は洋の東西も今昔も問わない。
勝てば官軍、だ。
けれど未来永劫、勝ち続けることは出来ない。
すべてにおいて終わりが来ることもまた、この世の真理なのである。
共産主義者は排除すべし、という当時の時流に圧され、トランボはハリウッド、そして世論から弾圧される。槍玉に挙げられた聴聞会では言論の自由を盾に証言を拒み、議会侮辱罪からの禁固刑の実刑判決を受ける。
刑期を終えても事はそれで終わりではない。むしろ始まりとばかり、共産主義者のブラックリストに入れられ、周囲から敵視され、仕事も奪われる。
筆を折られた脚本家、トランボ。
しかし、諦めない。手を変え品を変え戦う。
名前を借り、あるいは創り出し、アカデミー脚本賞を二度も受賞するという勝利を得た。
短絡的で己の利ばかりを追求する質であったなら、すぐさま勝利宣言でもしそうな展開である。
ハリウッドは俺の思想は否定出来ても、俺様の素晴らしい作品を求めずにはいられないのだ!!(ドヤァ……)
その当時はまだそれを世情が許さなかったのか、あるいは実際にトランボもドヤァをかましたものの映画に描かなかっただけなのか。
かつての敗者がザマアミロとふんぞり返るような展開ではなかった。
それまで沈黙を貫いていたトランボが、ついに記者のインタビューを受け自身がアカデミー脚本賞受賞者本人だと明かすシーン。
かつて自分を追いやったものたちを見返す気持ちは、と尋ねられ(意訳)こたえたことには、
「ブラックリストはロバート・リッチ(二度目のアカデミー賞を受賞したときの偽名)を生み出した」
最初は痛烈な皮肉として聞いた。しかしそう語るトランボ、ブライアン・クランストンの表情が悲しみに満ちていて、気づく。
稀代の脚本家ロバート・リッチは、本当なら生まれる必要のない、悲劇の人物なのだ。
主義思想で勝利・敗北、あるいは優劣を決めることの愚かさ。
自分と大きく異なる人を、そして過去の過ちを許すことの難しさと偉大さ。
トランボの勝利宣言(と言っていいと思う)として、ラストの演説は見事なものだった。
かつてトランボを攻撃した筆頭として描かれた、ゲイリー・クーパーや女流ジャーナリスト、ホッパーたちは(既に死去していたとしても)一体どのような気持ちでこれを聞くのだろうか。
打ちのめされたかつての強者の心情こそ、知りたい。
ヘレン・ミレンの演技が素晴らしかった。
名作『ローマの休日』を初めて観たのはいつだっただろうか。
オードリー・ヘプバーン演じるアン王女の可愛らしさといじらしさ、そして別れと成長に感動したことは良く覚えている。
あの物語の誕生の裏にこんな背景があったとは。
無知を恥ずかしく思うが、一方でまた新たな見方を教えてもらったと思えば悪くない、だろうか。
12ヶ月のシネマリレーでは、同じく赤狩りを取り扱った作品『グッドナイト&グッドラック』が上映予定。こちらもぜひ観たい。