啓蒙の光の届かないところーー宮内悠介『暗号の子』文藝春秋
宮内悠介のノンシリーズ短編集。テクノロジーを扱ったものが中心。
表題作「暗号の子」は、完全匿名でVRに作られたASD自助グループが出てくる。「ローパス・フィルター」は、SNSで精神疾患のあるユーザーの投稿を非表示にするアプリ「TweetCalm」のこと。「生産性」のためにSNSから特定の属性の持ち主を「消去」するのは、優生思想なのか。小川哲の『スメラミシング』ともつながるが、「啓蒙の光」(テクノロジーによる世界の記述)が照らすと消えてしまう「自然」(言及されているが『啓蒙の弁証法』である)があるのではないか。しかし、テクノロジーの発展は不可逆的なので(少なくとも今のところは)、自然と啓蒙の光のほどよいバランスをとるにはどうしたら良いのか。バランスを取るのが現実的な落とし所だろう。「現実的な」というのは「実現できる」という意味ではなく、本短編集において、テクノロジーの開発者がギリギリの縁を歩くのに失敗し、「穴に落ちてしまう」ことが多いのは、「現実的な」落とし所の難しさゆえだろう。「暗号の子」は安住の地を見つけられるわけではないが、絶望と希望のはざまを歩み始める。
「ペイル・ブルー・ドット」は『トランジスタ技術』に掲載された短編。「トランジスタ技術の圧縮」というバカ(?)SFを書いたあとに、寄稿依頼が来た結果、書かれた作品。現実と夢、という対義語を両立させようとしながら書かれた傑作。